2022年4月4日月曜日

義経千本桜

初めて吉野の桜を観に行ったのは今から四年前の春だ。わざわざ奈良まで行かなくても,長い間勤めていた大学の前庭や,とってもお世話になったS教授の家の近く夙川の満開の桜も見事だったし,通勤路の六甲ドライブウエイからの山桜の眺めも素晴らしかった。そもそも,桜の花を美しいと思うようになったのは随分歳をとってからだったように思う。そういう訳で,吉野の桜も,文楽の演目「義経千本桜」の「道行初音旅」で知っているだけだった。

静御前が吉野山に隠れている義経に会うために旅するのだが,お供していた佐藤忠信は,ときどきいなくなる。しかし,静御前が鼓を叩くと,突然現れる。実はそれは佐藤忠信に化けた狐だったという話である。それもその鼓の皮が狐の死んだ親のものだったので追いかけてきたという奇想天外な話だ。どうも現実逃避者の僕は,このような虚構の世界がとても好きなのである。

話の内容はともかく,幕が開いて,桜満開の舞台が現れる時はパーっと世界が明るくなる。実際に吉野山で見た山一面の満開の桜と同じだった。山一面の桜と遠くに霞む山並みの記憶をもとに木版画を作成した。添えられた篆刻はもちろん「道行初音旅」である。

吉野桜

実は,義経千本桜が僕の文楽初体験だ。S教授と一緒に大阪の国立文楽劇場で初めて文楽を鑑賞した。もちろん仕事の上では,S教授から国際的な場で研究活動をするという指導を受けたが,歌舞伎や文楽といった日本の伝統芸能についても指導を受けた。文楽だけでなく,歌舞伎もS教授に初めて連れて行ってもらった(吉右衛門の「土蜘蛛」だったと記憶している)。

研究者としての才能にはあまり恵まれなかったにもかかわらず,研究者人生を楽しめたのは,研究だけでなくすべてを含めて指導してくれたS教授のおかげだととても感謝している。

追記:鼓で思い出したが,ゼミの卒業生のH君のお姉さんは鼓の名手である。お能になんどか招待していただいた。お能は歌舞伎や文楽に比べて多少馴染みにくかったが,鼓のポン!という澄んだ音色はとても素晴らしかった。

2022年4月1日金曜日

新学年スタート

四月には満開の桜とともに新学年がスタートする。とりわけ小学一年生はあらたな学校生活のワクワクするスタートだ。好スタートを切る子供,ちょっぴりスタートに遅れる子供,運悪くつまずいてしまう子供もいるだろう。しかし心配することはない。人生は三弾ロケットである。一段目,二段目はちょびっとしか飛ばなくても三段目でドカーンと飛ぶこともある。重要なのはたとえちょびっとでもとにかく飛ぶことだ。

期待と不安でいっぱいのそんな新小学一年生の元気いっぱいのスタートを木版画にした。このような後ろから見る構図にしたのは,顔を描く必要がないからだ。

完成:スタート!

構図は簡単だがとても気に入っている。しかし今回もまた色遣いで苦労した。最初は春らしい軽やかな色にしようと,二人の新一年生以外は薄い色にしたのだが,もうひとつパッとしないものになってしまった。そこでアトリエ・プンタスへ行きこのみ先生に指導してもらうことにした。

最初の刷り上がり:スタート

いつものようにいろいろ勉強ができた。色の濃い薄いが軽やかさや透明感を生み出すのではなく,どのような色を使うかが大切とのこと。このみ先生によれば,

  • この木版画のキーとなる色は木影の薄い水色。ブルーはコバルトブルーを水ではなく,白色で薄めたものを水色ではっきりさせた方がよい。春のブルーは,セルリアンブルーではなくコバルトブルーを基調とする方が良い
  • ピンクはちょっとした混色で随分温かみのあるピンクになる。絵の具の色をそのままではなく,他の色をちょっぴりだけ混ぜることで随分雰囲気が変わる
  • 肌の色も濃い目にした。版画は刷り上がりは色が薄くなるし,乾燥すればもっと薄い色になるため,思ったより濃いめの色合いにしておく
ということだ。今回もこのみ先生の指導で,ぐっと素敵な木版画になった。新一年生頑張れ!


ぼーっと生きていると危険だ!

トイレの手すりで頭をしこたま打った。手すりというか硬い金属製のハンガーのようなもの。尖った角で打ったため,少しだけだが血が出てきた。それもすぐに止まったから大丈夫だろうとたかを括っていたのだが,夜になると傷口がズキズキ痛むし,打った側の目や耳まで痛いような気がする。しかし,肩こり...