2020年11月28日土曜日

新刊紹介『日本経済の長期停滞』


畏友O君が日本経済新聞出版から出版した本が送られてきた。題名は『日本経済の長期停滞』。序章,終章および九つの章からなる318ページの大作で,彼の経済学研究の集大成だ。


O君とは学部・大学院と同級生。特に大学院博士前期課程(修士課程)では同じS教授の指導を受けた。修士論文のテーマは二人とも新古典派の投資関数,彼は横断面データ,僕は時系列データに基づく推定を行ったことが研究上の交流の始まりである。

前期課程(修士課程)修了後,彼はペンシルベニア大学へ留学,僕は後期課程(博士課程)に少し在籍した後京都のR大学に助手と採用されしばらく密な交流は途絶えた。その後,彼はK大に赴任し,少し遅れて僕もK大に移籍した。そして,S教授を中心とする3人の共同研究が本格的に始まった。

3人で著した論文は5報と数は多くないが,いずれも思い出のたくさん詰まった力作(自画自賛)であり,今読み返しても当時の光景が目に浮かぶ。S教授の引退後も二人の共同研究は続き,共同論文の数はすでに10報を超えている。才能に恵まれなかった僕が,定年退職まで,ただひたすら研究を続けることができたのは,ひとえに彼にリードしてもらったからだと本当に感謝している。

K大を退職し,一足早く研究を引退した僕は,今回の彼の本についてはまったく助けることができなかった。版画で挿絵を描くぐらいならお手伝いできたのだが,残念ながら,そして当然のことながら,この本には挿絵がない。しかし,二つの章は僕との共同研究がもとになっている。大変光栄なことだ。

僕は教科書を除く日本語の学術書は『生産構造の計量分析』(東京:創文社)一冊を著しただけで,彼のように精力的ではなかった。図らずしも,二人とも,自身の著書のはしがきでお互いを「公私ともにもっとも信頼できる友人」と記した。数多くの共同研究を通して,彼からは多くを学んだし,彼のバランスのとれた考え方にはただただ感服するだけであった。

今回の著書も様々な高度な統計的手法を用いている最先端の難解な研究なのだが,彼の文章はきわめて簡潔でありそれを感じさせない明快さがある。なぜ日本経済がこのような長期にわたって停滞したのか?その答えを,彼は計量経済学というアプローチで極めて明快に導き出している。一読を強く薦める。




2020年11月25日水曜日

手作りの木工品

近所に住むOさんから,素敵な木工品を頂きました。Oさんとは「書道教室」で知り合い,同じK大学の図書館に勤められていたこともあり,それ以降ずっと親しくしています。僕が小さな木版画を作成していることを知り,それを収めるのにちょうど良い素敵な額をいただいたり,K大学の退職に際してもわざわざ美味しいワインを届けて頂き,とても親切にしていただいています。

とても素敵な字を書かれる方で,台北での展覧会,唐山の展覧会には一緒に作品を出品しました。その際作品作りで悪戦苦闘する僕にもアドバイスをなんども頂きました。何度か書道教室まで30分余りのドライブをご一緒しましたが,素敵なおしゃべりを楽しむことができました。

今日,木工が趣味というご主人が作られたスタンド付きのカッティングボードとカトラリーレストを頂きました。カッティングボードは桜,カトラリーレストは黒檀というとても贅沢なものです。とても趣味で作ったものとは思えないほど完成度の高いものです。

色合い,木の肌触り,形状すべて上品で,見ているだけでハッピーな気持ちになります。ダイニングテーブルの彩りが増し,食事が楽しみになります。どうもありがとうございました。






2020年11月24日火曜日

京都までひとっ走り(旧友との再会)

連休明け,京都に行ってきた。小雪の版画(托鉢僧)がきっかけで,同期で同僚だったMさんと30年ぶりに会うことになった。Mさんは現在も同じ大学で活躍中だが,3月で定年退職の予定だ。Mさんとは,当時下宿が近く,よく行き来して「四方山話」に耽った。

三密を避け,往復はもちろん幌を開けてのドライブ,待ち合わせはすっかりモダンになった市役所の近くのホテルの広々としたロビー。30年ぶり,すっかり貫禄のでたMさんに戸惑い最初は少しぎこちない会話だったが,すぐにかつての「四方山話」が復活。


40年前に一緒に勤めていた頃は金閣寺の近くにあった大学も,その後滋賀に移転し,なんと今は大阪の茨木にあるらしい。もう少し時間があれば,もっとすっかり昔に戻れただろうが,こんな時期なので小一時間でおしゃべりを切り上げ,御池通をぶらぶら歩いて,再会を約して別れた。

実は,前日にふと木版画のH先生のインスタグラムを見ると,展覧会が予定延長で本日まで二条城の近くの小さな古本屋さんで開催されていることを知り,立ち寄った。とても雰囲気のある小さな古本屋さんだった。



今回も素敵な作品が目白押し。いつも何か購入しようと思うのだが,決めかねてしまう。今回も同様。しかし作品集の小冊子があったので購入した。帰宅後も眺めて楽しんでいる。木版画をはじめてもうすぐ2年になる。テクニックは少しずつだが上達していると思うが,やはりプロとは,テーマの発想,色合い,何かが違う。これを才能というんだろうなといつも感じる。まあ,しかし自分が楽しめるだけで十分だ。

Mさんとの待ち合わせの前後,街をぶらぶら。勤めていた大学は二条城の近くに新しくできてていた。40年前に勤めていたころからは想像もできないような豪華な建物だった。お気に入りの寺町の飴屋さん(この通りをずーっと上がっていくと昔の下宿がある)にも立ち寄り飴を買ったり,ふと見かけた味噌屋で「柚味噌」を購入したり,久しぶりの一人の京都散策を楽しんだ。


(11月24日記)



2020年11月21日土曜日

小雪

明日11月22日は小雪。北海道などの北国では雪が降り始める頃だし,高い山の山頂付近では既に雪が積もっているが,まだまだ街中では雪を見ることはない。

40年前の4月,R大学に助手として採用され,僕の研究者人生は京都で始まった。赴任当日の夜,まだ電話も設置されていないガランとしたアパートに,母から「父危篤」との電報が届き,教授会での最初の挨拶は父の葬儀への供花,弔電の御礼という少し辛い研究者人生のスタートだった。

住んだのは河原町今出川という出町柳駅に近い街中のアパート。それは中原中也が長谷川泰子と住んだ部屋からほど近く,紫式部が『源氏物語』を著した廬山寺のすぐそばだった。二年間衣笠のキャンパスまで毎日通った。

通勤途中,バスの窓から見える全てが,それまで住んでいた町の見慣れた風景とはまったく異なり,日々発見の毎日だったが,父の死後間も無く,心の底から,それを楽しめる状況ではなかった。


耐えられないほど暑い京都の夏が過ぎ,新しい生活のペースができ新しい研究も始めた。R大での同僚たち(すべて年上の先輩だったが)と京都の生活も少し楽しめるようになった。冬になり夕方,小雪の中,托鉢僧が長い行列を作って歩いている,まさに京都らしい光景を目にすることが何度かあった。どこの寺の僧かはわからなかったが,勝手に比叡山から托鉢のため下山してきたのだと想像していた。

楽しかった記憶もあるし,「汚れちまった悲しみに今日も小雪の降りかかる....」(中原中也)という思い出もある。しかし,あの2年間が僕の研究者人生の原点だ。

当時下宿が近く,R大の同僚だったMさんに近々会いに行くつもりだ。





2020年11月6日金曜日

立冬

明日11月7日は立冬。暦の上では冬が始まる。朝夕には確かに寒さを実感する。この時期の果物といえば柿だ。たわわに実った柿の木の版画を作成した。

近所を散歩すれば,たわわに実った柿の木を見かける。不思議なことに,この版画のように葉はほとんどない。まさか,柿の葉寿司のために刈り取られてしまうわけではないとは思うが。さらに不思議なことに,色づいてまさに食べごろだと思うが,誰もその柿を収穫しようとする気配がない。万有引力で地面に落ちるのか,鳥が食べるのか,毎年,いつの間にか無くなっている。林檎,蜜柑,梨,葡萄,桃などが,柿のように自然に実っているのは近所では見かけない。見かけるのはテレビで映し出される,農園での収穫風景だけである。柿も果物店で売られているからおそらくどこかで体系的に栽培されているのだろう。



版画は,近所で見かける,そんな「不思議」な柿の木を,遠くから双眼鏡で覗いた景色である。たまに,双眼鏡で覗いた景色が二つの円で表されている絵を見るが,あれは間違い。双眼鏡には鏡筒が二本あるからそう勘違いするのだろう。焦点が合って,きちんと見えている状態では,この版画のように一つに円のなかに遠近感の全くない平面的な像を結ぶ。

甘い柿が美味しいのは当然だが,渋い柿も皮を剥いて乾燥させるととても美味しくいただける。柿に甘い,渋いの二種類があるように,双眼鏡にもポロ式とダハ式がある。我が家の双眼鏡はNikon製。左右の視力が異なるので使う人によって調整が必要になる。したがって,二人世帯の場合は一家に二台必要となる。ダハ式はNikon 双眼鏡 EDG 8×42,ポロ式はNikon E2 8×30。8は倍率,42,30は対物レンズの口径。

EDG 8×42

E2 8×30


ぼーっと生きていると危険だ!

トイレの手すりで頭をしこたま打った。手すりというか硬い金属製のハンガーのようなもの。尖った角で打ったため,少しだけだが血が出てきた。それもすぐに止まったから大丈夫だろうとたかを括っていたのだが,夜になると傷口がズキズキ痛むし,打った側の目や耳まで痛いような気がする。しかし,肩こり...