2023年4月28日金曜日

鯉のぼりの川渡し

今日は,大阪までコンサートに出かけた。お天気も良く,コンサートは夜なので,早めに家を出て経由地の三宮を久しぶりにぶらぶら歩いてみた。人出はすっかり戻ったもよう。三宮のセンター街は人で溢れかえっている。少し気になって,いつものお店のウインドウを覗いてみた。やっぱりあった。ウィンドウには見慣れた木版画が既に飾られていた。

四万十川:鯉のぼりの川渡し(レインボーカラー)

もうすぐ子供の日,あちこちで鯉のぼりを見かけるようになった。最近子供と接する機会が多く,子供たちからエネルギーをたくさんもらっている。ダバダ〜♫,Don_Ichiro 69歳,いまだに違いはわからないが,少し若返った気がする。

鯉のぼり川渡し:兵庫区石井橋から






2023年4月23日日曜日

Man lernt nie aus!

教養課程で選択した第二語学はフランス語だった。しかし第一回目のフランス語の授業で聞いたフランス語は,僕がそれまで映画などで聞いて憧れていたフランス語とは似ても似つかないものだった。正確に言えば,耳に心地良く響かなかった。瞬時にしてそれを習う意欲を無くしてしまった。そのため大学院の入学試験の第二語学はフランス語では無く,独学で学んだドイツ語だ。正真正銘の独語だ(笑)。

あくまで私見だが,語学はやはり「読む」,「書く」,「話す」がバランスしていなければ身についているわけではないと思う。時々「読んだり,書いたりはできるが,話したり聞いたりはできない」という人がいるが,おそらくその人は,実は読んだり,書いたりもきちんとできていないんだと思う。「読み書き」ができて,はじめて話せるし,話せてはじめて「読み書き」ができるんだと思う。

二ヶ月間の入院中に再学習したドイツ語の教科書とノート

独学で始めたドイツ語もやはり独学は難しく,定評あるSchulz-Griesbach, Deutsche Sprachelehre für Ausländer を教科書として,J心のルカルツ神父に習うことにした。キチンとした発音で教えてもらうと習う意欲も出てくる。ルカルツ神父の話すドイツ語は耳に心地よかった。思い起こせば生まれて初めての外国語である英語を習ったのもJ心の神父さん達だ。ドイツ語もまず話すこと,聞くことからスタートした。

僕は西欧言語の本物の発音ができる人から語学を習うという当たり前のことに慣れてしまっていたのだ。だから日本人の大先生が教えてくれる教養課程の初めてのフランス語の授業には馴染めなかったのだと思う。

実を言えばフランス語やフランス語の先生に罪があるわけではない。馴染めなかったのはフランス語だけではない。明確な目的意識のないまま大学に入学した僕にとって,大学で提供されるすべての科目にあまり興味が持てなかったのだ(👉こちら)。

一応文法の基礎を終え,ドイツ語が自然に耳に響くようになった後,大学院の入学試験に備えて独文解釈の教科書を一人で勉強した。ドイツ語そのものより例文として揚げられている文章の内容が興味深く,しばしドイツ語を離れて楽しむことができた。それらは経営学部で提供される簿記や会計という科目よりずっと格調高く学問の香りがするように感じた。

受験に必要だったドイツ語は,その後20年間,仕事(計量経済学)で使う機会はまったくなかった。そのため,すっかり忘れてしまっていたが,1998年半年間のマールブルグ滞在で再びドイツ語に興味が湧いた。正確には必要に迫られたと言って良い。講義はドイツ語ではなく英語でよかったが(英語で講義するのも死ぬほど大変だったが),カフェでのコーヒーやケーキの注文,お肉屋さんでのハムやソーセージの注文にはやはりある程度のドイツ語が必要だった。

ドイツの生活の中では,かつて教科書で習ったそのままのドイツ語,例えばDas gehört nicht mir.(それは僕のものではない)や,Immer geradeaus!(ずーっとまっすぐ) ,Es kommt gleich(すぐに来る)をさまざまな場面でしばしば耳にした。ドイツ語を聞き取れたことが嬉しくて,すぐに場所を変えて自分でも使ってみたりした。一度使えばそれは必ず身についた。このように半年間の滞在中ドイツ語をちょっぴり楽しめたのも,帰国後再びドイツ語の勉強を始めた理由である。

幸運なことに,僕が勤めていたKB大学の経営学部にはドイツ語が堪能な先生が何人もおられた。黎明期の経営学はドイツからの輸入学問だったからドイツ語が欠かせなかったのだろう。事実多くの先生方の留学先はドイツだった。中でも国際会計が専門のK教授のドイツ語はほとんどネイティヴ,本物のドイツ語だった。そんな訳で僕のドイツ語学習の環境は極めて良かった。

K教授の奥様はドイツ人で,定年退職後は日本を離れ奥様と二人ベルリーンに住まわれていた。先生は「妻は異国の地で長い間苦労したから,次は自分が異国で苦労する番だ」と言われていた。先生はドイツから日本に来られたら必ず連絡をくださり,拙宅に泊まっていかれたこともある。残念ながらK教授は僕が定年退職する直前にベルリンで亡くなられた。専門分野は全く違ったが,先生には学部学生であった時以来ずっとドイツ語を通して親しくしていただいた。

このようにドイツ語は僕の生活とは切り離せない大切なものになった。まったく上達しないが,いまでもNHK(エヌ・ハー・カー)のラジオ講座「まいにちドイツ語」は続けている。ドイツ語は僕にとって仕事上必要というものでも無いし,生活のために必要というものでもない。この「実践的合目的性」を持たないところが,天邪鬼な僕の「性分」にマッチし,ドイツ語を学び続ける大きな原動力になっている。もちろん,それが上達を妨げている大きな要因なのは間違いないのだが。

これからの人生でドイツ語を使うことはおそらく無いだろう。

春愁やドイツは遠くなりにけり。

しかし,「いつまで経っても入門レベル」のドイツ語の学習はこれからも続けるつもりだ。Man lernt nie aus!

ラジオ講座のテキスト


2023年4月15日土曜日

料理教室

一昨年,かみさんが神戸市の子育て支援のお手伝いを始めてから,帰りが遅い日は夕飯を作ることが時々ある。作ると言っても僕がやるのは二人暮らしでどうしても余る冷やご飯を使ったチャーハンぐらいなのだが,,,。若い時はよくローストビーフや焼き豚なども作っていたが,最近はすき焼きの味付けか,スパゲッティ,そして朝食時,豆を挽いてコーヒーを淹れるぐらいだ。スクランブルエッグやオムレツなど朝の卵料理も得意だが,最近はほとんどない。

そこで,一念発起,料理を習いに行くことにした。そうすれば料理当番の回数を増やして料理の種類も増やすことができる。今日がその初日。区役所の料理教室(👉こちら),中華,和食,洋食がそれぞれ一回ずつ合計3回,月に一度の3ヶ月間だけの教室。性別に制限はなく定員は12名なんだが行ってみると皆男性。それも僕が一番若いぐらいで老齢の方ばかりだった。先生は女性で,お二人ともとても親切で優しい方だった。新人は僕だけ,他の方は3ヶ月クールの教室を何度も継続されているようで親しく話をされている。

1回目の今日は中華料理。献立は

  1. えのきと長葱の生姜スープ
  2. 海老のチリソース炒め
  3. 大根もち
  4. 杏仁豆腐

の4種類。4人一組でこれらを作る。僕のグループは欠席者がいたため3人。僕は生姜スープと,杏仁豆腐の2種類を担当することになった。思ったより簡単に,それらしいものができた。実際に食べてみるとどれも美味。

手前の二つが僕のつくった杏仁豆腐とスープ

スープは薄味だったが,実はこれは僕の好み。15年前に腎臓を傷めて以来,塩分を控えめにしているので家の料理はすべて薄味だ。腎臓の治療のため入院した二ヶ月間は塩分のない腎臓病食だった。腎臓のためには塩分を控え,カロリーを十分摂らなければならないため朝食は塩分の多い食パンではなく,毎日,塩分に比してカロリーの高いクロワッサン。二ヶ月間ひたすら牛乳と小さなクロワッサン二個を食べ続けた(笑)。

入院中の朝食配膳の表示ラベル

病院での元旦の朝食の箸袋

ただ思わぬ発見もあった。腎臓病食では醤油,塩,マヨネーズなどの調味料が使えない温野菜を食べるわけだが,それによって野菜そのものがこんなに甘みがあり美味しくそれ自身が味を持っているということを知ることができた。これは僕の人生で大きな収穫だったと思う。

それ以降,僕の醤油,ソースなどの調味料の使用量は激減した。好物の蕎麦でさえ,あまり「つゆ」にどっぷり浸けなくなった。余談だが,「蕎麦をつゆにどっぷり浸けるな無粋なことはしねえ。そんなことをしちゃあ,そばの味がわからねえ」と言って生きてきた男が,死ぬ前に「一度でいいからつゆにどっぷり浸けて蕎麦を食いたかった」という落語の枕があった。やっぱりどっぷりつける方が美味いな。

明日4月16日は父の命日だ。父が死んでもう43年になる。僕が父と共に生きた期間より,父無しで生きた期間の方がずっと長くなった。





2023年4月13日木曜日

新しいバッグ

20年以上使ったパタゴニアの黒のスリングバッグが流石にくたびれてきた。何度もパタゴニアのショップに持って行って修理してもらたり部品をもらったのだが,そろそろ限界かな?。襷掛けのショルダーストラップには昔の携帯電話がすっぽり収まるポケットがついていて便利だったが,スマホになると入らなくなったこともあり新しいものを探していた。

パタゴニアのスリングバッグ

この小さなスリングバッグはとっても気に入っていた。江戸時代の武士が背負う打飼袋のような感じで襷掛けで担ぐのだが,バスや電車に乗ったときに,小さい上,担ぎ直さなくても背中からお腹側へ「くるっと」回すことができるためとても便利だ。

難点は普通のリュックやバックパックより幅が狭いということだ。つまり幅の広いものは入らない。そこで文房具もこのスリングバッグにあわせてスリムなものにすべて変えたのだ。

いまだに残っているスリムなノート:今も売っているのかなあ?

当然書籍も大きなものは入らない。KB大学で使用した教科書は,すべて結果的にこのスリングバッグに入る小さいものだった(笑)。電車のなかで読む本もすべて文庫本。

先日,長い間共同で研究をしてきた旧友のO君と梅田駅で会った。待ち合わせまでの時間隣接のデパートをぶらぶらしていると同じようなスリングバッグのポップアップショップがあり,素敵なバッグが目についた。展示されていたものの素材と色(ペブルグレー)が気に入り購入しようとしたが,展示品は販売することができなく,さらに同色の店頭在庫もないため,他の色を薦められた。よく似た色はあったがやはり最初に目についた色がリファレンスになってしまい,他の色のものを購入する決心がつかなかった。

帰宅後,そのバッグ製造会社(もとはイギリスとのこと)のウエブサイトを見ると,ペブルグレーはあったが,ふとウェブショップのセール・キャンペーンのページをみると,色数は少なく,もちろんペブルグレーもないが,値段が5,000円近く安いものが並んでいる。それを見てしまうと色などもうどうでも良くなった(笑)。そこで選択可能な中から,ラグーン(サンゴ礁の海の色)を選んで購入。


healthy back bag

背中に当たる部分のカーブが体にフィットして心地よい。内も外もポケットが多くて整理しやすい。水筒が入るポケットもある。コロナも少しおさまり,最近外出の機会が増えた。外ポケットの開閉がマグネットなのが,中のカードの磁気に影響しないかと少し心配だが,これからはこのバッグが活躍しそうだ。






2023年4月9日日曜日

知己朋友:大人の遠足京都編・2日目

目覚めると今日も晴天。天気予報によると今日は昨日より少し気温は上がるらしい。泊まったのは僕たち一組だけ。とても気さくな若女将のおかげで,まるで知り合いのお家にプライベートに泊まりにきているような感じだ。しっかりと朝ごはんをいただいた後,知恩院や青蓮院へ行ってみることにした。

すごい朝ごはん,しかし気が付けば完食(笑)

知恩院は,小学校5年生のとき家族で祖父の納骨に訪れて以来だ。その時の記憶はほとんどないが,大きなお寺だとあらためてびっくりした。実は祖父と父が二人で知恩院の大きな木の前で撮った写真がある。そして父と僕が同じ木の前で撮った写真がある。残念ながら僕と息子が同じ木の前で撮った写真はない。今回その木がどこにある木なのかは確かめるすべもなかったが,もう一度写真を見て,今度は僕と息子と孫の三人で写真を撮ろうと思う。

知恩院の山門

青蓮院では庭園の奥にある「好文亭」でお抹茶とお菓子をいただく。喉の渇きを潤すことが第一の目的で気楽にぶらっと寄ったにもかかわらず,少々形式張って堅苦しく戸惑ったが,つい最近Sさんに招待された京都のお茶会の経験が生かされ,結構落ち着いて楽しめた。少しばかり様子が違ったが,後で調べて見るとSさんのお茶の流儀は裏千家,好文亭のお茶の流儀は表千家とのこと。僕の人生は正真正銘の裏街道。やっぱり表より裏が僕にはふさわしい(笑)。

好文亭

茶室の襖,上村松園の孫が描いたらしい


お昼に解散。とても楽しい大人の遠足だった。帰宅後「70歳にもなって一緒に泊りがけの旅行に行ける友人がいることはとても素晴らしいことだ」と女房に誉められた。滅多に誉めてくれたりしない女房がそういうのだからそうなんだろう。次回も楽しみだ。

(追記)帰宅後すぐ二人から連絡があり沢山の写真が送られてきた。地質のT君からは僕の道楽の一つ篆刻で使う石の性質や生成について詳しい解説が。なにやら道楽も科学的になってきた。









2023年4月8日土曜日

知己朋友:大人の遠足京都編

J心の舟木一夫こと橋梁の専門家T君と2月に何年かぶりに会い食事をした時,次回はもう一人のT君を誘って食事をしようという話になった。地質が専門のもう一人のT君にそのことを知らせると早速京都で食事会をアレンジしてくれた。皆中学高校の同期,僕を入れて「三匹の侍」ならず「三匹のT」だ。

せっかくだから食事の前に京都のお花見でもということになり,壬生通りにある蕎麦屋で昼食をとった後,懐かしの嵐電に乗って妙心寺と御室仁和寺を訪れ,遅咲きの御室桜を楽しんだ。コロナも落ち着いて結構な人出だ。外国の観光客が多い。

妙心寺の庭:石庭の石の溝に桜の花びらが詰まっている

仁和寺の五重塔:背の高い桜は既に散り始めていた


妙心寺でお菓子と抹茶を頂いたり,嵐電の終点これまた懐かしい「北野白梅町」で美味しいコーヒーを飲んだりし,夕刻203番の市バスで四条河原町へ。夕食は地質のT君が,川床のお座敷を用意してくれた。僕は京都のお座敷での食事は初体験。日が長くなり,あたりはまだ明るいが,ちょうど良い頃に木屋町に到着。

こうして見ると皆歳をとったな。当たり前だが皆同い年。

鴨川が見えるお座敷

鴨川と東山の夕暮れ

泊まった部屋から見える素敵な坪庭

桜餅がお汁に?と思ったが,道明寺粉のお餅の中身は鯛

美味しい料理と,楽しいお喋り,次々に飛び出す中高時代の友人の懐かしい名前とともに,あっという間に時間が過ぎる。近況報告ではそれぞれの現在の仕事の話から道楽の話まで延々と話は続く。僕以外の二人は現在も現役。引退した僕も,最近これまでの仕事とは全く異なるちょっとしたボランティアのような仕事を始めたことを話すと驚かれた。道楽の話では,地質のT君が最近始めた俳句を,落柿舎(👉こちら)で投句箱に投句したところ,いきなり入選したとのこと。スゴイ!

せっかくだからと,今日はここでゆっくり一泊することになっている。話は尽きないが,ちょっぴりお酒も入っているからまもなく,ぐっすり眠れるだろう。

2023年4月1日土曜日

Die Mainacht(五月の夜)

4月になったばかりで早すぎるし,まだ改善の余地は残っているが,とりあえず一つ木版画をアップロード。出来上がったものを手元に置いておくと落ち着かない。ブラームスのドイツ歌曲 "Mainacht(五月の夜)"を聴いていて浮かんだイメージをそのまま木版画にしてみた。相変わらず小学生の図工の宿題のような絵柄だが,月に関する第二章だ。

Wann der silberne Mond durch die Gesträuche blinkt,
Und sein schlummerndes Licht über den Rasen streut,
Und die Nachtigall flötet,
Wandl' ich traurig von Busch zu Busch.

愛聴盤はナタリエ・ストゥーツマン(Nathalie Stutzmann)というコントラルト歌手(👉こちら)。大好きな曲だ。

Mainacht

まあ何となくの妄想のイメージなんだが,実はこれは半年間滞在したマールブルグ大学の宿舎の窓から見ていた景色に似てなくも無い。振り返れば,もっとも熱心に講義の準備をしたのは,ドイツでの半年間だったように思う。春から夏にかけてドイツは日が暮れるのが遅く,こんな風景が記憶に残っているというのはきっと夜遅くまで準備していたんだろう。ドイツに到着したのは今から25年前の今日だ。

春の月 ドイツは遠く なりにけり



ぼーっと生きていると危険だ!

トイレの手すりで頭をしこたま打った。手すりというか硬い金属製のハンガーのようなもの。尖った角で打ったため,少しだけだが血が出てきた。それもすぐに止まったから大丈夫だろうとたかを括っていたのだが,夜になると傷口がズキズキ痛むし,打った側の目や耳まで痛いような気がする。しかし,肩こり...