2021年11月30日火曜日

英語の俳句・木版画・篆刻・二人展:第1日

いよいよ本日から始まる。すごく良いお天気だ。早めにきて早速ポスターをギャラリーの外へ。こうしてみるとおしゃれなギャラリーだ。幌を開いたロードスターがよく似合う。

ロードスターが似合うおしゃれなギャラリー

あとは訪問者を待つだけ

昨日Mさんが持ってきてくれたお花を入り口に

最初の訪問者は名誉教授のO先生。二人展は12時から6時までなんだが,なんと先生は10時に来られてびっくり。聞くと,本日午後から病院へ,そのため12月5日まで来られないから,来られるうちに来たとのこと。そんなにまでして,こんな拙い作品展を見にきてくれるとは感激。いい先生だなあ。

Dさんのお嬢さんたちからのお花

続いて友人のT君がわざわざ姫路から来てくれた。T君は中学から高校,学部は違ったが大学・大学院まで同じ学校だった。温厚で謹厳実直なT君も今年定年退職をしたとのこと。なんか長い年月がたったんだなあ。中学・高校の友人には3人(温厚・誠実という言葉がぴったりの学究肌で今は地質調査の専門家T君,中高時代の親友N君は今某市の医師会長)に連絡したのだが,みなもわざわざ遠路きてくれて感激。

皆さん,通り過ぎるだけでなくゆっくり見てくださる。



そうするうちに,昨日お花を贈ってくれた版画のお友達が。お昼過ぎ,遠路東京からY先生,H先生がお花を持って来てくれたり,このブログに登場したこともある元同僚のK君がぶらりと寄ってくれたり。たくさんの豪華なお花も届いた。版画教室の友人4名の女性,8名の女子学生,二人姉妹から,設営を手伝ってくれた版画教室のMさんなどほとんど女性だが,唯一の男性,ゼミの卒業生のHさんからも立派なお花が届く。僕はまったくウダツの上がらない大学教授だったが,ゼミの卒業生のHさんは,今や,大阪のとある大学の経営学部長。すごい!! 

Y先生からの素敵なお花

Hさんからの素敵なお花

今日は,京都から名誉教授のY先生,同じく名誉教授で信頼する先輩のNさんとも久しぶりに再会。大学院の後輩,Hさんは,ちょっと素敵なマスクを差し入れに持ってきてくれた。Hさんは本当に頼りにしている後輩だ。若い時に資料室の助手をされていて研究を助けていただいたSさん(旧姓Nさん)もお母さんと一緒に来てくれ,今日は,まるで昔にタイムスリップしたような気持ちだった。

無事終了。お土産に作った栞も減った。


今日は総勢30人以上の人が来てくださった。明日もまたたくさんの人が来てくれるのだろうか?楽しみでもあるし,ちゃんと応対できるだろうかと不安だなあ。

 





2021年11月29日月曜日

英語の俳句・木版画・篆刻・二人展:前日

いよいよ明日11月30日から,Dさんとの「英語の俳句・木版画・篆刻・二人展」が始まる。今日(11月29日)は午後3時から,作品の搬入と会場の設営だ。Dさんの奥様(どうしてDさんではなく,奥様なのかはあらためて説明する)と僕と二人に加えて,強力な助っ人が三人集まってくれた。一人は,Dさんと僕が現役時代からずっとお世話になったSさん(このブログにもお茶の達人として度々登場している),書道の友人Tさん,版画の友人Mさんである。

言うまでもなく作品展をするのは初めての経験,右も左もわからない。しかし皆で知恵を出し合えばなんとかなるはずだ。展示するのは

  • Dさんの英語俳句に僕の木版画をつけた額15枚
  • 僕の24節気の木版画ハガキの額12枚
  • 篆刻と木版画の小品数点
の三種類。メインはもちろん英語の俳句と木版画のコラボレーション。これをギャラリーに入ってすぐの壁から正面の壁にかけて展示することはすぐに決まった。今回の作品はすべてインチ額(254ミリ×203ミリ)という小さな額だが,ワイヤーのフックにうまく引っ掛からなかったり,水平のバランスがとれなかったり。その場で急遽,額に金具や紐を取り付けると言う泥縄作業。何よりも額の高さ,額と額との間の間隔,キャプションの位置の設定などが難しく,想像以上に大変な作業だった。

この面に5個はちょっと多いかな


やっぱり4個にしよう。一つは次の壁へ移動

一つずつ高さを揃え水平バランスをとる

なんとか高さが揃った

悪戦苦闘すること1時間あまり,なんとか15個すべての額の設営完了。早速版画のお友達が贈ってくれたお花を第一コーナーへ置いてみた。なんか「さま」になっている。みな思わずニンマリ,「えーやん」と自画自賛。15個の英語俳句だけではスペースは余るが,12枚の季節のハガキの額を掛けるにはスペースは足らない。そこで,季節のハガキの額はテーブルの上に展示することを決定。Tさんが用意してくれた立派な毛氈を敷き,その上に乗せることにした。

Mさん絶妙の配置案,毛氈が光る!

そして余ったスペースには用意していた篆刻の小品を配置して準備完了。明日のオープンを待つばかり。不安であってワクワクするような気持ちで5人はそれぞれ帰宅の途に。明日本当に誰か見に来てくれるんだろうか?

篆刻コーナー



2021年11月14日日曜日

5つのバガテル:クリスマスカード

そろそろクリスマスカードのシーズンだ。いろいろな図案が頭に浮かんでは消えていく。どれも小品で単純なものだ。しかしどれも捨てがたい。フィンジ作曲の5つのバガテルというクラリネットの小品がある。バガテルというのは小さいものだが,捨てがたいという意味らしい。そういう意味で,まるで連想ゲームのように戯れに作った5種類のクリスマスカードはまさにバガテルだ。

最初に考えたのはホワイトクリスマス。街中のホワイトクリスマスも素敵だが,版画にするには背景が複雑で僕のスキルでは手に負えない。そこで真っ白な雪原で背景は青い空にしようと考えた。冬の木は雪を冠っているので白抜きでオッケー。ただ木だけでは寂しいので,北海道の雪原ということにして,2匹の金色のキタキツネを走らせた。ついでに7本の木うち1本だけアクセントに金色の木にしてみた。こうして出来上がったのが下のクリスマスカードだ。

ホワイトクリスマス

戯れとは言え,よく見ると必然的にこんな図案になった気もする。息子は学生時代を北海道で過ごした。10年間もいたのに,息子がいるうちに僕が北海道を訪れたのは最後の年の夏に一度だけ。今度は雪のシーズンに訪れてみたい。そういう願望がこの木版画になったのかもしれない。もう一つ,オランダには畏友がいる。1990年に知り合って以来,共同研究のため,毎年のようにオランダを訪れた。もちろん飛行機はKLM(オランダ航空)だ。そしてKLMの飛行機のカラーがまさにこの色(ブルーとホワイト)なのだ。

オランダの畏友と言えば,二人で参加した最後のカンファレンスはイタリアのウルビーノだった。空港のあるボローニャでレンタカーを借り,ルビコン川を渡り(あまりにも小さな川で拍子抜け)二時間あまりのドライブで,ラファエッロの生まれた街ウルビーノに真夜中に到着したことを思い出した。

カンファレンスが終わった後再び車でボローニャまで戻るのだが,その道沿いに,お茶の達人Sさん推薦のラベンナがある。ラベンナは西ローマ帝国の首都,モザイクで有名だ。最初に立ち寄った町外れのサンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂(Basilica di Sant'Apollinare in Classe)に圧倒され,ちょっと寄るつもりが結局飛行機の出発時間に間に合うギリギリまで留まり,すべての聖堂を見た。ヨーロッパに住みながらオランダの畏友も訪れるのは初めてとのこと。そこには羊や三賢人がモデルとなったキリスト誕生に関するモザイクが多かった。

そこでクリスマスといえば狐ではなくやはり羊だと考え出した。7本の木の代わりに羊を並べる同じような図案が浮かんだ。左端に,ミレーの羊飼いの少女を入れたかったが,そうすると相対的に羊が小さくなりすぎる。そこで羊飼いは断念し,そのかわりベツレヘム の星を入れることにした。僕の技量がなさすぎるのか,普通に描けば羊は羊に見えない。豚か,犬か,はたまたカバか?そこで黒い顔の羊(black face sheep)にし「これは羊である」とイクスプリシットに示した。

ベツレヘム の星といっても,星は無数にあるわけだから,東方の三賢人がそれに気づくには通常ではない天文事象が生じたはずだ。そのため空を緋色にしてインパクトをつけた。そうして出来上がったのが次のクリスマスカードだ。

ベツレヘムの星

いくつかの個体が並ぶという構図はとても気に入ったのだが,どれも色が原色で優しさというものが感じられない。そんなことを考えていて次に思いついたのが,クリスマスシーズンのバレエ,チャイコフスキーの「くるみ割り人形」だ。チャイコフスキーはあまり好みではないのだが(事実シンフォニーはどれも好きになれなかった),くるみ割り人形だけ,特に花のワルツは大好きな曲の一つだ。

前にもこのウェブログで触れたが,「孤独のアンサンブル」で東京交響楽団のクラリネッティスト吉野亜希菜さんが自宅の防音室で吹いていたのが「花のワルツ」だ。花のワルツでのダンスを木版画にしてみた。ただ足を開いて飛んだり跳ねたりといういかにもバレエというシーンは嫌なので,優しい色の背景で,軽いダンスのイメージにした。それでもバレエらしい足元を4種類考えてみた。雪をうまく表すのはとても難しい。自分ではランダムに彫っているつもりが,出来上がって見るとやはり規則性がある。

花のワルツ

これでクリスマスカード三部作が完成。これで終わりと思っていたのだが,ベツレヘム の星で,オー・ヘンリーの『賢者の贈り物(The Gift of the Magi)』を思い出した。

人生は,むせび泣きとすすり泣きと微笑みからなっている。そしてそのほとんどはすすり泣きなのだ。

1985-86年とアメリカのフィラデルフィア(Philadelphia)で暮らした。フィラデルフィアはニューヨークから南へ車で1時間ちょっとのところにある。そのため,何度もニューヨークを訪れた。ニューヨークで行きたかったところの一つが,グリニッジ・ヴィレッジ (Greenwich Village) だ。グリニッジ・ビレッジにはきっと『最後の一葉(The Last Leaf)』に出てくるようなアパートがあるに違いないと信じ込んでいた。そこで見つけたのがこのアパート。感動のあまり写真をパチリと一枚。

グリニッジ・ヴィレッジのアパート?

『最後の一葉』ではないが,この実在のアパートのイメージを『賢者の贈り物』のアパートに転用することにした。出来上がったのが次の木版画。灯のついた一室で長い髪を切ったデラが待っている。

賢者の贈り物

ここまで来て,ふと大切なことに気がついた。自画自賛で,僕自身はどれも捨てがたい小品と思っているのだが,どうも版画ならではのものになっていない。絵で描けるものを木版画にしているだけなのだ。版画のスキルを上げてまるで絵のように綺麗な版画を作ることも大切だが,僕はそんなことよりも,版画ならでは,版画でしかできないようなものを作りたいのだ。作曲家が,フルートでもクラリネットでもオーボエでもその楽器がもつ固有の良さをもっとも引き出す曲を作るのと同じだと思う。ドボルジャークの9番『新世界より』の第二楽章は,やはりトランペットでもフルートでもなく,イングリッシュホルンなのだ。

ちなみに,この曲は『家路』と訳され,夕暮れ時の音楽のように思われている。事実小学校では下校時にこの音楽が流れていた。しかし,ドボルジャークは夜明け時,新世界(アメリカ)の平原,草原のあちこちで夜明けとともに動物(きっとバッファローやピューマ)たちが目を覚ますという情景をこの音楽にしたらしい。残念ながらこのことが書いてある出展を忘れてしまったが。

話をもとに戻そう。版画ならではの特性の一つに,版を替えることで色の重なりが比較的容易にできるということがある。そしてその版による色の重なりを利用することでグッと版画らしくなる。その特性を取り入れて簡単なクリスマスカードを彫ってみた。積み木で作った木のぬくもりのあるクリスマスツリーをイメージしている。


積み木のクリスマスツリー


疲れた〜。今年のクリスマスカードはこれで終わり。二人展までいよいよあと二週間ほど。準備万端で臨もう!



ぼーっと生きていると危険だ!

トイレの手すりで頭をしこたま打った。手すりというか硬い金属製のハンガーのようなもの。尖った角で打ったため,少しだけだが血が出てきた。それもすぐに止まったから大丈夫だろうとたかを括っていたのだが,夜になると傷口がズキズキ痛むし,打った側の目や耳まで痛いような気がする。しかし,肩こり...