2024年4月7日日曜日

ぼーっと生きていると危険だ!

トイレの手すりで頭をしこたま打った。手すりというか硬い金属製のハンガーのようなもの。尖った角で打ったため,少しだけだが血が出てきた。それもすぐに止まったから大丈夫だろうとたかを括っていたのだが,夜になると傷口がズキズキ痛むし,打った側の目や耳まで痛いような気がする。しかし,肩こりが原因かとも?と軽く考えていた。

僕は心臓に3つのステント(薄いネット状の金属製のパイプ)を設置してから,いわゆる「血液サラサラの薬」を20年間飲み続けている。高齢者(昨年70歳になった)で,血液サラサラの薬を服用している人は,強く頭を打てばそれがもとで硬膜下出血を発症するリスクが高いと脅かされた。それはすぐには現れず,時間が経ってから発症することが多いとのことだ。

念の為,いつもお世話になっている病院へ相談に行った。確かに僕はリスクが高いグループに入るらしい。大丈夫だとは思うが,CTスキャンで検査をすることになった。早めに兆候がみつかれば対処できるとのことだ。結果は今のところ異常無し。しかし,しばらくは用心するように言われ,「次のような兆候があればすぐに連絡を」という詳しい書類を渡された。

帰り道,病院の半地下にある駐車場で思わず満開の桜を見ることができた。ちょうど横長の映画のスクリーンに満開の桜が映っているようでとても美しかった。きっと脳は大丈夫に違いない!

銀幕に映る満開の桜





2024年3月29日金曜日

フライングお花見

昨年のお花見(こちら👉)は少し出遅れたため今年は早めに計画。メンバーはいつもの三人(地質のT君,橋梁のT君),場所は夙川。開花予想と天気予報とランチの場所の予約の可否を考えながら3月最後の平日の29日(金)に決定。まずは夙川駅でお昼前に集合,ランチを済ませた後夙川をぶらぶらしようということになった。

今回ランチはイタリアン。窓からは夙川カトリック教会が見える。なんとなくミラノの気分。

レストランの窓から:夙川カトリック教会

美味いワインでお昼からほろ酔い気分

前回からまだ一ヶ月,三人にほとんど変化なし

ランチの後,夙川沿いに香櫨園駅までブラブラ。やはり桜はまだ咲き始めたばかり,ところどころ桜の木の下で静かにお弁当を楽しむ家族を見かけるが,お花見の賑わいはまったくない。しかし考えようによれば,満開の桜のもと大勢の花見客に混じるよりも,これぐらいの方が,のんびり気持ちよく散歩を楽しめる。

チラホラというのか三分咲きというのか

近くによれば一つ一つの花は全開

人影もほとんどなく静かに桜が楽しめる

香櫨園駅でUターンし今度は苦楽園まで川沿いに遡る。たった30分ほどの間に桜は少しずつ開いているような気もするが錯覚かな?川面に近い道を歩いたが,昨日の大雨で水量が多く途中で冠水しているところもある。苦楽園で和菓子とお茶を食べながらおしゃべり。中学高校の同期の友人は気を許していろんな話をすることができる。

次回は少し足を伸ばしてしまなみ海道へ行こうかということになった。もちろん次回の主役は橋梁のT君。










2024年2月25日日曜日

知己朋友:大人の遠足2024京都編

昨年の忘年会(こちら👉)で,地質のT君が次回は春に城南宮の梅見に行こうと言った。約束通り二月中旬,地質のT君から連絡があり,時期は二月末か三月初めではどうかと。メンバーは橋梁のT君を含めいつもの三人,地下鉄(近鉄)竹田駅で待ち合わせ城南宮へ向かった。 

城南宮は訪れるのは初めて。それどころかT君に聞くまで名前も知らなかった。しかし着いてみると大変な賑わい。枝垂れ梅の庭に入るにも長い列に並ばなければならない。不謹慎だが白い着物を着た何人もの宮司さんが交通整理をしているのは少々滑稽。海外からの人たちも多い。こんなにも有名な名所だったのだと改めて実感。

庭に入ってみると見事な枝垂れ梅に圧倒される。こんなに見事な枝垂れ梅は初めて見る。ここは梅だけではなく,椿の名所でもあるようだ。椿と山茶花の違いがこれまでよくわからなかったが,橋梁のT君の理路整然とした説明に納得。これから僕はもう間違うことはないだろう。

枝垂れ梅は英語でweepingplum,確かに泣いている

幻想的な梅林に見惚れる

ちょっとやらせっぽい椿。花がみな通路側を向いている

地質 のT君(左)と橋梁のT君(右)

小一時間梅と椿を楽しんだ後,夜の会食前に伏見に場所を移し,酒蔵の界隈を散策。運河のある素敵な風景に,何度も訪れたアムステルダムやフロニンゲンの街が懐かしい。

運河沿いの大きな酒蔵

夜になっていよいよ会食。酒蔵に直結したレストラン。日本酒の酒蔵なんだが,何故か皆注文したのは地ビール。美味しい料理を堪能しながら楽しいおしゃべり。今回は,二人のT君達の専門と関係の深い能登の地震の話や,僕が最近気になっている社会的格差などちょっと真面目な話から,それぞれに縁のある大分県の美味しいお酒や醤油まで話は弾んだ。いつものことだが異分野の友人と話すことは学ぶことが多くとても勉強になる。ただ僕は少し酔っ払って,少し饒舌になってしまったようだ。近いうちの再会を約束して今日も楽しくお開き。すでに次回が楽しみだ。


お店の人に撮ってもらったが,slightly out of focus


2024年2月19日月曜日

蟹とたわむる

山陰の静かで寂しい雰囲気がとても好きだ。見慣れた瀬戸内海の海とは違う姿の日本海をみると何故かとても気持ちが落ち着く。相反するようだが,同時にこの海の少し向こうには大陸があるのだと思うとワクワクもする。

ちょっとしたことがきっかけで,香住町に一泊して蟹を食べた。蟹を食べるのは数年前地質のT君の紹介で出かけた京都の網野町の料理旅館以来だ。今回も蟹と地酒の日本酒を堪能した。

りっぱな蟹

ところで,香住町から少し西へ足を延ばせば,山陰線の余部鉄橋がある。中学生になった初めての夏休み,学校の海浜学校で餘部の鉄橋を通ってその先の諸寄まで行った。海浜学校の旅程表を学校でもらってきたとき,それをみながら,父が日本で一番高い餘部鉄橋を通ること教えてくれたことを覚えている。

昔の鉄橋の橋脚

とても高いコンクリートの橋

諸寄の海浜学校で,以前話した同級生のH君と二人が写った写真がある。とても小さな僕と比べて,その当時からH君はひと回り大きく堂々としている(H君のことについてはこちら👉)。そんなことを考えていると,当時がとても懐かしくなり余部まで行った。

橋はコンクリート製の構造物にに変わり,もはや鉄橋では無くなっていたが,鉄製の橋脚がそのまま残されている。橋は相変わらず,とても高くここを列車が通るのかと思うと少し不安になる程だ。事実,30年以上も前に強風で列車が転落し,橋の下の蟹工場を直撃した。列車の車掌さんと,蟹工場で働いていた何の落ち度もない女性達が大勢亡くなった。

蟹は食べると旨いことは確かだが,この事故の記憶や小林多喜二の『蟹工船』を読んだ記憶が,「蟹→山陰→寂しい」とい連鎖が,最初に述べた「山陰の静かで寂しい雰囲気」という僕の感覚に大いに影響しているのだろう。春になればまた一人ロードスターで,鳥取や島根など山陰を巡ろうと思っている。

2024年1月27日土曜日

万葉集より「天を詠む」

「通読」という言葉が適当であるかどうかはわからないが,最初から最後まで系統的に目を通すという意味では僕は万葉集を通読したことはない。それどころか,実は『万葉集』そのものも持っていない。これまで目を通したものは抜粋された歌に口語訳や解釈が併記されたものだけなのだが,それでも鮮やかに情景が浮かび上がるような素敵な歌がたくさんあった。

もちろん歌の解釈は情景だけではなく,もっと内面的なものであることは承知しているが,どうも僕は目に見える像として物事を理解する傾向が強い。これまで書いてきた論文もすべて最終的には図形的な直感イメージに基づいている。数式に基づいて展開されるロジックも,それを絵に描けて初めて間違っていないと確信することができた。つまり昔流の言葉で言えば「幾何」は得意だが「代数」は苦手だったわけだ。これは中学高校の成績に如実に表れていた。

万葉集に関する手元にある書籍
斎藤茂吉(1938)『万葉秀歌(上),(下)』(岩波新書)
大岡信(2007)『古典を読む:万葉集』(岩波現代文庫)
リービ英雄(2004)『英語で読む万葉集』(岩波新書)

そんなわけで,木版画を始めた頃から,万葉集のいくつかの歌から得られるイメージを版画にできたらと何となく考えていた。好きな歌はたくさんあるのだが,まずは僕自身もっとも明快で描きやすいイメージが得られたものから始めることにした。

天の海に 雲の波立ち 月の船

星の林に 漕ぎ隠る見ゆ

果たしてこれが和歌として優れたものなのかどうかは文学的素養のない僕には良くわからない。最初は雲や月や星をそれぞれ海の波,船,林に喩えた言葉遊びのように感じただけだった。事実この歌は斎藤茂吉(1938)にも「秀歌」として取り上げられてはいない。僕も,歌そのものに感動したのでは無く,1300年以上も前の人々も僕達と同じように星空を眺めて,壮大な宇宙に思いを馳せていた事実に感動したのである。これは清少納言が「星は昴」と書いていることに対するものと同じ感動である。


天を詠める『人麻呂歌集』

大岡信は,この歌について以下のような解説を与えている。

おそらく七夕伝説を読んだ歌ではなかろうかと思われる。・・・(中略)・・・「星の林に漕ぎ隠る見ゆ」という空想は,一年に一度逢うことのできた男と女が,一艘の船の中に相擁しつつ,林の奥へ漕ぎ隠れてゆく情景を思わせないではおかない。

【大岡信(2007)p. 191】

実は,この歌を見,その後に続くこの解説(解釈)を読んだ時僕は大きな違和感を覚えた。前述のように僕の感動は,そのような複雑な背景ではなく,古代の人々が単純に天文学的に壮大な宇宙に思いを馳せていたということだったからだ。

そんなとき,リービ英雄(2004)に偶然出会った。そこにはこの歌が次のように英語に訳されている。

On the sea of heaven

the waves of clouds rise,

and I can see,

the moon ship disappearing

as it is rowed into the forest of stars

【リービ英雄(2004)p. 77】

歌の後に著者の解説が加えられているが,そこには七夕伝説に関する記述は一切ない。中国の漢詩の影響について多少触れてはいるが,それどころか

その原作は,翻訳してみると,世界のどこの国で作者が夜空を見,どの言語でことばをつづったものなのか分からなくなる。(p.78)

夜空を見て天を詠み,天の姿を地上の比喩でつなげてみせる。そのような人類共有の根源的な創作意志の表われに,・・・(p.79)

というように,七夕伝説のように限定的なものではなく極めて普遍的なものと捉えられている。これは僕がこの歌に最初に感じたイメージに極めて近い。

本題に戻って木版画の話。単純に壮大な宇宙の広がりを表すために,色は明るいブルーの空に少なめの星と,アルデバランを暗示する赤い星を描いた。月の船は三日月そのもの。満月の明るさでは星はあまり見えないはずだ。船を漕いでいるのは相擁する二人ではなく無国籍の一人。女性でも男性でもどちらでも良い。もう少し工夫は必要だがとりあえず今の僕の実力ではこれが精一杯だ。歌そのものが秀歌でなければ,良い版画はできないということも実感した。次は歌そのものに感動した秀歌を版画にしてみよう。


2024年1月10日水曜日

子育て支援エスノグラフィー

実は昨年3月から学童保育で働いていた。65歳で大学を定年退職するまで,狭く閉じた社会で,ただひたすら研究と教育に没頭してきた僕にとって,新しい世界での新しい仕事へのチャレンジは予想したよりも遥かにエキサイティングで,日々発見の10ヶ月はワクワクするようなちょっとした「冒険」だった。

何年か前から「子育て支援」のお手伝いをしているカミさんから,同じようなボランティアをしてみたらどうかと,市の広報を見せられたのが僕の冒険の始まりだった。広報に示されたQRコードから登録すると,早速とある児童館から電話があり,面接の結果あれよあれよという間に採用された。何の取り柄もない僕を雇うぐらいだから,よほど人手不足なんだろう。ボランティアのつもりで応募したのだが,規定の報酬が支払われることを契約時に知らされた。

勤務は原則として週に3回,1日4時間。バスと電車を乗り継ぎ通勤することになった。通勤時間は片道1時間余り,六甲山の裏と表を繋ぐ山岳列車の先頭車両,運転席の窓越の風景はさながら遊園地のジェットコースターでスリル満点。田舎の私鉄と侮るなかれ。駅で流れる列車の接近音はメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」第一楽章の第一主題だ♫。そんなことを考えていると,いかにも田舎風の名前の最寄駅,箕谷駅も,ついイタリア風にミノターニと発音したくなる。prossima fermata, Minotani!(プロッシマ フェルマータ,ミノターニ!;次の停車駅は箕谷!)

箕谷駅 stazione di Minotani


職名は補助員,指導員や支援員という資格を持つ先生方を補助する非正規労働者だ。僕はその資格を得るための講習を受ける資格もないという正真正銘の無資格補助員である。ちなみに保育所,幼稚園,小学校,中学校,高等学校の先生はその講習を受ける資格があるが,どういうわけか大学の先生,つまり大学教授には資格がない。当初,少しばかりの経験を活かして,放課後の子供たちのお勉強のお手伝いが少しでもできればと考えていたのだが,補助員に期待されている仕事は想像していたものとは程遠く,昔で言う学校の用務員さんの仕事に限りなく近い。

これまでやってきた研究という仕事は重要な仕事だと思うし,とてもしんどい仕事だったが,結局は「好きなこと」を「好きなよう」に「好きな時」にやっているためか「働いている」という感覚はなかった。それに対して,ここでの仕事は,部屋の掃除,おやつの準備と後片付け,子供達の見守りなど,「決められたこと」を「決められたよう」に「決められた時間」に,指導員や支援員の先生方の指導・監督のもとで行うことだ。それらを間違いのないように一つ一つこなしていくことは大変なことだった。一日が終わると「今日もよく働いた〜」と家路についた。はじめて働くということの意味がわかったような気がする。

通勤路にて:鯉のぼりの川渡し

それでも僕と話しているうちに「この人から,掃除やおやつの準備,後片付けという決められたサービス以外の何かを得たい」と感じた子供も何人かいたようだ。数は少ないが,そのように僕に接してくれる子どもたちと関わることはとても楽しかった。このような子どもたちには長い間の研究者生活で得た漠然とした「何か」を少しだけだが伝えることができたと思うし,僕もそのような子どもたちから多くを学んだ。子供の発想にはハッとするような独創性がある。

かねてより,老人仲間とゲートボールやカラオケ,みっともないフォームのゴルフに興ずるだけの老人にはなりたくないと考えていたが,そのような生活よりも数段有意義で刺激的な10ヶ月を過ごすことができた。ほんのちょっぴりだが,社会の子育て支援の一端を担うこともできた。慣れない仕事で失策続きだったが,僕の至らないところを寛容な心で受け入れ,慕ってくれた子供達や児童館の入り口で束の間の会話を楽しんだお迎えのお母さん方には感謝の言葉もない。子供達頑張れ!お母さん達頑張れ!

21ヶ月には遠く及ばないが,社会科学者の端くれとして,この10ヶ月間は何事にも代え難い貴重なエスノグラフィーだった。さまざまな局面でご指導をいただいた児童館の諸先生方や同僚の補助員の方々にあらためて御礼申し上げる。しかし,「僕の冒険」も今日でお仕舞いだ。夕方,公園の手前の四つ角まで子供達を送り届け,児童館での仕事はすべて終了した。公式には1月15日をもって児童館を退職する。しばし休養し,新たな課題に挑戦しよう。Man lernt nie aus!

「歌は終わった。しかしメロディーはまだ鳴り響いている」

(村上春樹『羊をめぐる冒険』より)

2024年1月10日記











ぼーっと生きていると危険だ!

トイレの手すりで頭をしこたま打った。手すりというか硬い金属製のハンガーのようなもの。尖った角で打ったため,少しだけだが血が出てきた。それもすぐに止まったから大丈夫だろうとたかを括っていたのだが,夜になると傷口がズキズキ痛むし,打った側の目や耳まで痛いような気がする。しかし,肩こり...