2021年12月16日木曜日

英語の俳句・木版画・篆刻・二人展:帰り道

Dさんのことを「Dさん」と呼ぶようになったのはいつ頃だっただろう。Dさんは学部も大学院も僕の3学年先輩だが,最初の出会いは,僕が大学院・修士課程1年生の時だった。その時Dさんは既に大学の助手であり,学生の僕は「D先生」と呼んでいたと思う。事実,修士論文の作成に必要な数学的な方法をDさんに指導してもらった記憶がある。その後,Dさんは別の大学に異動し,僕も別の大学の助手に採用され,独立に研究者の道を進んでいた。

それが再び同じ大学に勤めることとなり,いつの間にか気軽に「Dさん」と呼べる間柄になった。気軽といっても,一方的に先輩のDさんに助けてもらうばかりだったという点では,以前と変わりはない。物静かで思慮深いDさんと,おしゃべりで慌て者の僕が,親しいと知り驚く人が多かったが,どこか根底で通じることろがあったのだろう。

Dさんはアメリカの大学院で博士号をとった。別の大学に勤めていたもう一人の畏友O君もそうだ。僕はもちろん国産の博士号しか持っていないが,こういう友人達にずっと囲まれていたこと,そして学生時代に指導を受けた先生がそうであったことから,国際的な場で研究をしなければならないという強迫観念があった。もしこのような先生や友人がいなければ,もっと気楽に研究者生活を送ることが出来ただろう。

外国,特にアメリカで教育を受けたことがない僕が,国際的な場で研究活動をすることがどんなに大変なことかということをDさんはよくわかっていてくれたんだと思う。苦手な英語で編集者や査読者とのやり取りを経て,やっと論文の掲載が決まった時,その過程を見守ってくれていたDさんは自分のことのように喜んでくれて「Tさん,よく頑張ったねえ。」と,時にはご馳走までして労ってくれた。

実は,「クルルのおじさん(→こちら)」に書いてあるように,Dさんはもういない。二人展はDさんとの最後の約束だった。二人展が終わり,準備から撤収まで献身的に手伝ってくれた二人に共通の知人Sさんを,帰り道にあるご自宅まで送った後,一人車で有馬街道を家まで帰った。自分でも「よくやり切った」と感慨深く,やはりDさんが「Tさん,よく頑張ったねえ。ありがとう」と言ってくれているようだった。ちょうど有馬街道のトンネルを出ようとしていた。

この一年半,Dさんはいつも僕の斜め後ろにいるような気がしていた。それがトンネルから出た時,Dさんがその言葉とともにスーッと,異なる次元の世界へいってしまったような気がして,感情が溢れ出てしまった。いい先輩だった。






2021年12月5日日曜日

英語の俳句・木版画・篆刻・二人展:最終日 歌は終わった。しかしメロディーはまだ鳴り響いている。

いよいよ今日が最終日,最初はとにかく六日間無事に早く終わってほしいとばかり考えていたが,いよいよ終わるとなると,少し寂しい気もする。今日も沢山の方が来てくれた。双子ちゃんを授かったという大学院ゼミの卒業生のIさん,着物姿でさっそうと現れた元資料室(現在の研究助成室)助手のIさん(Dさんを交えてときどきランチ会やおしゃべり会をする仲間→こちら),昔そのままの雰囲気できてくれたゼミの一期生のUさん(旧姓Oさん)とTさん(旧姓Yさん),二つの大学で僕の講義を聞いたという変わり種のNさんは今や立派な女性経営者,語り始めると懐かしくて止まらなくなる。

二人展のテーマが,英語の俳句,木版画,篆刻と広範囲であることからか,今日は書家の方が,インスタグラムで二人展のことを知ったと,見ず知らずの僕たちの作品展に大阪からわざわざきてくださった。もちろん,僕の木版画の先生のH先生も,お姉さんと一緒に見にきてくださった。プロの版画家が,こんな拙い木版画の作品展を見にきてくださったことに感激した。変わったところでは,ジョギング中の若い男性が,看板をみて「入場は無料ですか?」と。ぶらっと入ってきてくれた。もちろん無料だ(笑)。そして,最後の訪問者は,開催中の学会のZoom会議をしながら終了間際にきてくれた,元若い同僚のS君だ。

夕方6時,すべての訪問者がいなくなった段階で,作品の撤収作業を開始した。感慨深いものがある。これについては場を改めて詳しく書きたいと思う。期間中,様々な方が,高価な差し入れのお菓子やお花をもってきてくださった。何せ初めての経験,不十分な対応だったと思うがお許しいただけるだろうか。いずれにせよ本当にありがとうございました!夜8時ごろに撤収作業は終了。ガランとしたギャラリーに感無量。

歌は終わった。

しかしメロディーはまだ鳴り響いている。
村上春樹『羊をめぐる冒険』

我ながらよくやりきったと思う。Dさんの奥さん,献身的に手伝ってくれたSさんとがっちり握手。英語の俳句も木版画も始めて間もない素人の戯れ,「二人展」などと称して作品展を開くことは無謀なことだったかもしれない。しかしこの作品展を通じて,古い友人との再会,あたらしい友人との出会いがあったことは確かだ。案内ハガキに,

本当に本当に拙く小さな作品ばかりですが,観に来ていただいた方方が「ちょっぴりハッピーな気持ちになった」と感じていただければ望外の喜びです。

と書いた。目的は達成することが出来ただろうか。





2021年12月4日土曜日

英語の俳句・木版画・篆刻・二人展:第5日

本日は土曜日。40名ほどの来訪者があった。作品は英語の俳句が中心的な役割を果たしているので,皆さん版画を一瞥して素通りではなく,じっくりと俳句との組み合わせを鑑賞されている。俳句や版画について質問される方もいるし,例えば二十四節気の版画のキャプションのスペリングミスを指摘くださった方もおられた(脚注)。そのため最低30分程度はギャラリーに滞在されるようである。ギャラリーを開いているのは12時から6時まで6時間だから平均的に3,4名の人が滞在していたことになる。当初は,ガランとしたギャラリーで,一人物思いに耽るつもりだったが,当てが外れた。対応にてんてこ舞い。

今日もまた名誉教授のK先生が来てくれた。先生は病気のため体が少し不自由になったが,奥様に連れられてきてくださった。今や,すっかり変わったK大学K学部,皆が家族のようだった昔が懐かしい。ところで今日は懐かしい顔が沢山。K大学でのゼミの一期生I君が奥様と来てくれた。1995年の震災の時もI君は四国にいるT君と二人で,交通が遮断されているなか大学までお見舞いと応援に駆けつけてくれた。T君は今回どうしても外せない用事があって来られなかったが美味しいお菓子を陣中見舞いに送ってくれた。いつまでも覚えておいてくれるのは有難いことだ。そして初めて奥様ともお会いすることが出来た。みな本当に立派になっている。立派にならなかったのは先生だけということか,,,,

圧巻は,2002から2008年にかけて一時在籍した大学での学生たちが大挙して来てくれたことだ。大挙してきてくれたのは,一人を除いてすべて女性。顔をみただけでそれぞれとのエピソードが鮮明に思い出される。たった35人だけの特別コース。今から思えば,その大学のいろいろな人の,いろいろな思惑の絡み合ったコースだったが,僕はそういうこととは無関係,私利私欲無しで,全力投球できたと思う。泣いたり笑ったりの彼,彼女達との4年間だった。皆素敵に歳を取り,魅力的な彼,彼女になっている。落ち着けばまた彼ら彼女らとワイワイやりたいなあ。

集まってくれた学生たちと


学生たちが送ってくれた素敵なお花


「二人展」もあと1日を残すのみとなった。この「二人展」の経緯については,ちょっぴり辛いためあえてこのブログでも触れなかった。もちろんきていただいた方にはきちんと説明はしたのだが。ちょうどこの日に来てくださったDさんの大学時代のゼミの同期生「クルルのおじさん」が,そのことについて紹介してくれた。名文だ!一読してほしい(→こちら)。

(脚注)筍, bamboo shootのoが一つ落ちてbamboo shotになっていた。これがほんとの大(o)間違い。

2021年12月3日金曜日

英語の俳句・木版画・篆刻・二人展:第4日

二人展も後半になる。今日は最後の平日だ。金曜日は県立美術館の木版画教室がある。1時半に教室が始まる前にAさんとKさんが立ち寄ってくれた。 2013年に科学研究費の成果報告を兼ねて小さな研究集会をK大で開いたことがある。その研究会では,畏友のO君(今日ご夫妻で二人展に来てくれた)が司会,二人展の相方Dさんがキーノートスピーチをしてくれ,東京のK大,H大からのゲストスピーカーとならんで僕も渾身の論文を報告,研究集会はとても思い出深いものになった。今回「二人展」のテーブルの片隅にその時の自作のポスターを額に入れておいた。これで素性がわかってしまったのだが,今日来てくれた版画のKさんはなんと学部は違うが僕たちの後輩だった。

お土産の栞の横においた研究集会の自作ポスター

そうこうするうちに,版画教室が終わり教室の先輩たちが連れ立って見に来てくれた。木版画を初めてまだ2年,作品展を開くのは無謀な試みだったかもしれない。しかし先輩たちの後押しで思い切ることができた。もちろん木版画だけでは話にならない。事実来てくださった人は皆「木版画」そのものや「英語の俳句」そのものを褒めてはくれなかったが,「両者が妙にマッチしている」と言われることが多かったのは,僕たちの狙いどおりでとても嬉しかった。

木版画教室の面々

以前このブログで紹介した大学院の卒業生N君が奥様と一緒に見に来てくれた。普段は研究上の付き合いだが,この機会に奥様やお子さん同伴で来てくださることが多い。初めてお会いする奥様は魅力的な人ばかりだ。聞くところによると奥様は僕の二十四節気の木版画のファンということ。ファンがいるとはうれしい限り。励みになるなあ。

この他,元同僚,昔お世話になった研究助成室の女性,書道教室で一緒だった友人とともに,プロの画家の方,ロシア語のエキスパートまで多士済々に来ていただいた。Dさんのゼミの後輩のG君が,アップルパイの差し入れを持って,遠く大津から見に来てくれた。僕はお会いするのは初めてだが,僕にとっても後輩にあたり,なぜかとても身近な感じがした。差し入れにいただいたアップルパイは絶品。りんごの味が口中に広がる。是非お試しあれ(→こちら)。


Sさんが持ってきてくれた立派なお花

それこそ30年ぶりの再会。Tさん(旧姓Kさん)からの可愛いお花


明日から週末。平日忙しい人たちが来てくれるだろう。お土産の栞は品切れ状態。明日までに増産しなければ,,,,。



2021年12月2日木曜日

英語の俳句・木版画・篆刻・二人展:第3日

今日3日目も無事に終わった。僕も少し慣れてきたのか,適当に休憩を取りながらきて下さったかたといろんなお話ができるようになった。今日は,若い同僚だったA君がお花を持って見にきてくれた。確かA君は学部,大学院も僕の後輩になるし,教官と学生という関係でK大に居た時期がダブっていたこともあるのだが直接の関係はなかった。しかし確実にDさんの講義は聴いていたはずだ。

今日は元気一杯の二人の息子さんを連れてきてくれた。息子さんの一人はDさんのお孫さんと同級生ということだ。自動車通勤の途上,六甲台付近で,お子さん二人を横断歩道を渡って幼稚園に連れて行っているA君にあったことが何度かある。研究では世界に通用するハイレベルの論文を書くA君だが,研究を離れるととても良いお父さんという微笑ましさがあり,僕は彼にずっと親しみを感じていた。K大学K学部の未来はA君にかかっている!よろしく頼むぜ!

A君からいただいたお花。

Dさんと同年齢,Dさんと専門分野が同じで親しかったというO先生がわざわざ訪ねてくれた。実は僕が放ったらかして大学を辞めた後に,ゼミ生のT君が大学院に進学し学位論文の指導をしてくれたのがO先生である。続いて現役時代お世話になった名誉教授のT先生,目を悪くされて出歩くことも大変だろうに,奥様につれられて来てくださった。本当に有難いと思うし,いつまでも気にかけてくださっていることに心から感謝している。

今日は,僕のゼミの卒業生の女性も二人来てくれた。一人はオーボエ吹き,当時もし僕に余裕があればオーボエを習うことができたのにと思うと残念だ。彼女が卒業して数年後,オーボエではなくクラリネットにのめり込んだ。もう一人僕たちがアメリカ滞在中にも訪ねてくれた学生で,とても人懐っこく,それ以降も家族での付き合いが続いている。今日は研究者を目指しているという娘さんと一緒に来てくれた。

一見何の関係もないようだが,以外にも来訪者の間にはつながりがあるものだ。もちろん,独立にインターネットで開催を知ったり,前日に来てくれた人から「素敵な作品展だから是非行ってみて」と薦められたなど,まったく知らない方の来訪もあり感激!明日の第4日目も新たな出会いが楽しみだ。

2021年12月1日水曜日

英語の俳句・木版画・篆刻・二人展:第2日

第2日目の今日は,少し来訪者の数が減り20名余りだったが,やはり素敵な人たちばかりだった。すべての人について書きたいのだが,そうすると論文になってしまうほど書きたいことが多い人たちだ。

いの一番は名誉教授のM先生。少し前に大病をされたM先生は,午後からは体調が思わしくなく,体調の良い午前中ならと,無理をして来てくださったのだ。学究肌で,ちょっと粋なM先生が芳名録にお名前とともに「二人の合作の心とセンスに感動した」と書いてくださったことは光栄なことだし,ちょっと自慢してもいいかな。

M先生が帰られた後すぐ,Dさんのゼミの同期生のYさんご夫妻や版画教室での大先輩のHさんがきてくださった。Dさんの奥様を交えて,今回の作品や,Dさんとの思い出について話していると,C君がなんと高知から遠路見にきてくれたのだ。C君は大学のゼミの3学年後輩。彼が学部3年生の時僕は大学院の修士課程2年生,きっと僕は,先輩ズラしていたんだろうな。いまだに彼は僕のことを先輩と呼ぶ。

Yさんからのお花が綺麗

卒業後,有名カメラメーカーに勤めていたが,今は和紙で有名な高知県の地元に戻り家業を継いでいる。事業は伝統的な和紙製造から,今や紙の総合メーカーに発展。今日は,自社製品のマスクを沢山持ってきてくれてマスクの本当の効力と正しい使い方などを熱弁,居合わせた来訪者に配布してくれた。学生時代はワンダーフォーゲル部,相変わらず元気いっぱいのC君だ。

C君の会社の製品(マスク)

もとカメラメーカーに勤めていたC君,この日もそのブランドの最新式デジタルカメラを持参して,居合わせた皆の写真を沢山撮ってくれた。下はC君とのツーショット。流石に高級カメラ,とても綺麗にとれている。忙しいC君は,疾風のように現れて,疾風のように高知へ帰っていった。

向かって右がC君

今日は,京都時代の友人Mさん夫妻,学生時代にお世話になったNさんTさん(僕が博士課程の学生だった頃教務学生掛長としてさまざまな相談に乗っていただいた),現役時代に大変お世話になったSさんHさんなど,懐かしい方々が沢山きてくださった。

そして今回の作品展の額装でお世話になった,老舗の額装店のご夫妻が見にきて下さった。拙い作品だが,お二人のアドバイスのおかげで,少ない予算ながら,バラエティに富んだ額装ができたこと本当に感謝している。

実は,今日はとても嬉しく舞い上がってしまうような来訪者があった。オランダには30年来の畏友がいることはこのブログでも紹介したことがある。彼との共同研究のため毎年のようにオランダに通った。おそらくこれだけ長い間同じ航空会社を使っていれば,偶然同一の客室乗務員(昔はスチュワーデスさんと呼んでいた)に出会うことはよくあることだと思う。普通はお互い覚えていないから再会したことに気がつかないだけだ。

実は僕は,ある客室乗務員の方と3回遭遇した。もちろん2回目に出会ったとき,その客室乗務員の方は僕のことを覚えてはいなかった。彼女にとって僕は,多くの乗客のうちの一人に過ぎないから,それは当然なんだが,僕はちょうどDuty Freeの販売に座席を回っているその人を覚えていた。

座席にちょっとした問題が発生した時に対応してくれたのが彼女だった。それが最初である。その問題は結局解決しなかったのだが,不思議にそのことについて不満に思うわけでもなく,彼女の対応に,何かすごくほっとするような,リラックスするようなハッピーな気持ちになったから覚えていたのである。彼女には生まれた時から何かそのようなものが備わっている感じがした。そのことを彼女に伝えると,とても喜んでくれた。

それから数年後,定年退職の3ヶ月前の12月,彼女と再び同じアムステルダム行きの飛行機で一緒になった。流石にその時はお互い覚えていて,3回目の再会をお互いとても喜んだ。これぐらいの偶然は当然起こり得るだろう。僕は彼女に,今年度で定年退職のためこれが最後のオランダ出張であること,長い間,彼女を含めてその航空会社に大変お世話になったことにお礼を言った。なんと,彼女にとっても,最後のオランダ行きの飛行だったのだ。この飛行を最後に退職されるとのこと。何か偶然を通り越して感無量だった。

その彼女が素敵なお花を持ってきてくれたのである。4回目にして初めて地面に足をつけてお会いした。これまではいつも1万メートルの上空だった。ギャラリーがパッと明るくなった。僕はあまりの嬉しさに舞い上がってしまった。空の上で知り合ったのだからそれも当然だ。人生は出会いと別れの繰り返し。ずっと近くにいても親しくなれない人もいれば,たった3度の出会いで気持ちが通じ合うような人もいる。


空からの使者にいただいた素敵なお花

というわけで来訪者は20人ほどと少し少なめだったが,素敵な出会いが沢山あった1日だった。








2021年11月30日火曜日

英語の俳句・木版画・篆刻・二人展:第1日

いよいよ本日から始まる。すごく良いお天気だ。早めにきて早速ポスターをギャラリーの外へ。こうしてみるとおしゃれなギャラリーだ。幌を開いたロードスターがよく似合う。

ロードスターが似合うおしゃれなギャラリー

あとは訪問者を待つだけ

昨日Mさんが持ってきてくれたお花を入り口に

最初の訪問者は名誉教授のO先生。二人展は12時から6時までなんだが,なんと先生は10時に来られてびっくり。聞くと,本日午後から病院へ,そのため12月5日まで来られないから,来られるうちに来たとのこと。そんなにまでして,こんな拙い作品展を見にきてくれるとは感激。いい先生だなあ。

Dさんのお嬢さんたちからのお花

続いて友人のT君がわざわざ姫路から来てくれた。T君は中学から高校,学部は違ったが大学・大学院まで同じ学校だった。温厚で謹厳実直なT君も今年定年退職をしたとのこと。なんか長い年月がたったんだなあ。中学・高校の友人には3人(温厚・誠実という言葉がぴったりの学究肌で今は地質調査の専門家T君,中高時代の親友N君は今某市の医師会長)に連絡したのだが,みなもわざわざ遠路きてくれて感激。

皆さん,通り過ぎるだけでなくゆっくり見てくださる。



そうするうちに,昨日お花を贈ってくれた版画のお友達が。お昼過ぎ,遠路東京からY先生,H先生がお花を持って来てくれたり,このブログに登場したこともある元同僚のK君がぶらりと寄ってくれたり。たくさんの豪華なお花も届いた。版画教室の友人4名の女性,8名の女子学生,二人姉妹から,設営を手伝ってくれた版画教室のMさんなどほとんど女性だが,唯一の男性,ゼミの卒業生のHさんからも立派なお花が届く。僕はまったくウダツの上がらない大学教授だったが,ゼミの卒業生のHさんは,今や,大阪のとある大学の経営学部長。すごい!! 

Y先生からの素敵なお花

Hさんからの素敵なお花

今日は,京都から名誉教授のY先生,同じく名誉教授で信頼する先輩のNさんとも久しぶりに再会。大学院の後輩,Hさんは,ちょっと素敵なマスクを差し入れに持ってきてくれた。Hさんは本当に頼りにしている後輩だ。若い時に資料室の助手をされていて研究を助けていただいたSさん(旧姓Nさん)もお母さんと一緒に来てくれ,今日は,まるで昔にタイムスリップしたような気持ちだった。

無事終了。お土産に作った栞も減った。


今日は総勢30人以上の人が来てくださった。明日もまたたくさんの人が来てくれるのだろうか?楽しみでもあるし,ちゃんと応対できるだろうかと不安だなあ。

 





2021年11月29日月曜日

英語の俳句・木版画・篆刻・二人展:前日

いよいよ明日11月30日から,Dさんとの「英語の俳句・木版画・篆刻・二人展」が始まる。今日(11月29日)は午後3時から,作品の搬入と会場の設営だ。Dさんの奥様(どうしてDさんではなく,奥様なのかはあらためて説明する)と僕と二人に加えて,強力な助っ人が三人集まってくれた。一人は,Dさんと僕が現役時代からずっとお世話になったSさん(このブログにもお茶の達人として度々登場している),書道の友人Tさん,版画の友人Mさんである。

言うまでもなく作品展をするのは初めての経験,右も左もわからない。しかし皆で知恵を出し合えばなんとかなるはずだ。展示するのは

  • Dさんの英語俳句に僕の木版画をつけた額15枚
  • 僕の24節気の木版画ハガキの額12枚
  • 篆刻と木版画の小品数点
の三種類。メインはもちろん英語の俳句と木版画のコラボレーション。これをギャラリーに入ってすぐの壁から正面の壁にかけて展示することはすぐに決まった。今回の作品はすべてインチ額(254ミリ×203ミリ)という小さな額だが,ワイヤーのフックにうまく引っ掛からなかったり,水平のバランスがとれなかったり。その場で急遽,額に金具や紐を取り付けると言う泥縄作業。何よりも額の高さ,額と額との間の間隔,キャプションの位置の設定などが難しく,想像以上に大変な作業だった。

この面に5個はちょっと多いかな


やっぱり4個にしよう。一つは次の壁へ移動

一つずつ高さを揃え水平バランスをとる

なんとか高さが揃った

悪戦苦闘すること1時間あまり,なんとか15個すべての額の設営完了。早速版画のお友達が贈ってくれたお花を第一コーナーへ置いてみた。なんか「さま」になっている。みな思わずニンマリ,「えーやん」と自画自賛。15個の英語俳句だけではスペースは余るが,12枚の季節のハガキの額を掛けるにはスペースは足らない。そこで,季節のハガキの額はテーブルの上に展示することを決定。Tさんが用意してくれた立派な毛氈を敷き,その上に乗せることにした。

Mさん絶妙の配置案,毛氈が光る!

そして余ったスペースには用意していた篆刻の小品を配置して準備完了。明日のオープンを待つばかり。不安であってワクワクするような気持ちで5人はそれぞれ帰宅の途に。明日本当に誰か見に来てくれるんだろうか?

篆刻コーナー



2021年11月14日日曜日

5つのバガテル:クリスマスカード

そろそろクリスマスカードのシーズンだ。いろいろな図案が頭に浮かんでは消えていく。どれも小品で単純なものだ。しかしどれも捨てがたい。フィンジ作曲の5つのバガテルというクラリネットの小品がある。バガテルというのは小さいものだが,捨てがたいという意味らしい。そういう意味で,まるで連想ゲームのように戯れに作った5種類のクリスマスカードはまさにバガテルだ。

最初に考えたのはホワイトクリスマス。街中のホワイトクリスマスも素敵だが,版画にするには背景が複雑で僕のスキルでは手に負えない。そこで真っ白な雪原で背景は青い空にしようと考えた。冬の木は雪を冠っているので白抜きでオッケー。ただ木だけでは寂しいので,北海道の雪原ということにして,2匹の金色のキタキツネを走らせた。ついでに7本の木うち1本だけアクセントに金色の木にしてみた。こうして出来上がったのが下のクリスマスカードだ。

ホワイトクリスマス

戯れとは言え,よく見ると必然的にこんな図案になった気もする。息子は学生時代を北海道で過ごした。10年間もいたのに,息子がいるうちに僕が北海道を訪れたのは最後の年の夏に一度だけ。今度は雪のシーズンに訪れてみたい。そういう願望がこの木版画になったのかもしれない。もう一つ,オランダには畏友がいる。1990年に知り合って以来,共同研究のため,毎年のようにオランダを訪れた。もちろん飛行機はKLM(オランダ航空)だ。そしてKLMの飛行機のカラーがまさにこの色(ブルーとホワイト)なのだ。

オランダの畏友と言えば,二人で参加した最後のカンファレンスはイタリアのウルビーノだった。空港のあるボローニャでレンタカーを借り,ルビコン川を渡り(あまりにも小さな川で拍子抜け)二時間あまりのドライブで,ラファエッロの生まれた街ウルビーノに真夜中に到着したことを思い出した。

カンファレンスが終わった後再び車でボローニャまで戻るのだが,その道沿いに,お茶の達人Sさん推薦のラベンナがある。ラベンナは西ローマ帝国の首都,モザイクで有名だ。最初に立ち寄った町外れのサンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂(Basilica di Sant'Apollinare in Classe)に圧倒され,ちょっと寄るつもりが結局飛行機の出発時間に間に合うギリギリまで留まり,すべての聖堂を見た。ヨーロッパに住みながらオランダの畏友も訪れるのは初めてとのこと。そこには羊や三賢人がモデルとなったキリスト誕生に関するモザイクが多かった。

そこでクリスマスといえば狐ではなくやはり羊だと考え出した。7本の木の代わりに羊を並べる同じような図案が浮かんだ。左端に,ミレーの羊飼いの少女を入れたかったが,そうすると相対的に羊が小さくなりすぎる。そこで羊飼いは断念し,そのかわりベツレヘム の星を入れることにした。僕の技量がなさすぎるのか,普通に描けば羊は羊に見えない。豚か,犬か,はたまたカバか?そこで黒い顔の羊(black face sheep)にし「これは羊である」とイクスプリシットに示した。

ベツレヘム の星といっても,星は無数にあるわけだから,東方の三賢人がそれに気づくには通常ではない天文事象が生じたはずだ。そのため空を緋色にしてインパクトをつけた。そうして出来上がったのが次のクリスマスカードだ。

ベツレヘムの星

いくつかの個体が並ぶという構図はとても気に入ったのだが,どれも色が原色で優しさというものが感じられない。そんなことを考えていて次に思いついたのが,クリスマスシーズンのバレエ,チャイコフスキーの「くるみ割り人形」だ。チャイコフスキーはあまり好みではないのだが(事実シンフォニーはどれも好きになれなかった),くるみ割り人形だけ,特に花のワルツは大好きな曲の一つだ。

前にもこのウェブログで触れたが,「孤独のアンサンブル」で東京交響楽団のクラリネッティスト吉野亜希菜さんが自宅の防音室で吹いていたのが「花のワルツ」だ。花のワルツでのダンスを木版画にしてみた。ただ足を開いて飛んだり跳ねたりといういかにもバレエというシーンは嫌なので,優しい色の背景で,軽いダンスのイメージにした。それでもバレエらしい足元を4種類考えてみた。雪をうまく表すのはとても難しい。自分ではランダムに彫っているつもりが,出来上がって見るとやはり規則性がある。

花のワルツ

これでクリスマスカード三部作が完成。これで終わりと思っていたのだが,ベツレヘム の星で,オー・ヘンリーの『賢者の贈り物(The Gift of the Magi)』を思い出した。

人生は,むせび泣きとすすり泣きと微笑みからなっている。そしてそのほとんどはすすり泣きなのだ。

1985-86年とアメリカのフィラデルフィア(Philadelphia)で暮らした。フィラデルフィアはニューヨークから南へ車で1時間ちょっとのところにある。そのため,何度もニューヨークを訪れた。ニューヨークで行きたかったところの一つが,グリニッジ・ヴィレッジ (Greenwich Village) だ。グリニッジ・ビレッジにはきっと『最後の一葉(The Last Leaf)』に出てくるようなアパートがあるに違いないと信じ込んでいた。そこで見つけたのがこのアパート。感動のあまり写真をパチリと一枚。

グリニッジ・ヴィレッジのアパート?

『最後の一葉』ではないが,この実在のアパートのイメージを『賢者の贈り物』のアパートに転用することにした。出来上がったのが次の木版画。灯のついた一室で長い髪を切ったデラが待っている。

賢者の贈り物

ここまで来て,ふと大切なことに気がついた。自画自賛で,僕自身はどれも捨てがたい小品と思っているのだが,どうも版画ならではのものになっていない。絵で描けるものを木版画にしているだけなのだ。版画のスキルを上げてまるで絵のように綺麗な版画を作ることも大切だが,僕はそんなことよりも,版画ならでは,版画でしかできないようなものを作りたいのだ。作曲家が,フルートでもクラリネットでもオーボエでもその楽器がもつ固有の良さをもっとも引き出す曲を作るのと同じだと思う。ドボルジャークの9番『新世界より』の第二楽章は,やはりトランペットでもフルートでもなく,イングリッシュホルンなのだ。

ちなみに,この曲は『家路』と訳され,夕暮れ時の音楽のように思われている。事実小学校では下校時にこの音楽が流れていた。しかし,ドボルジャークは夜明け時,新世界(アメリカ)の平原,草原のあちこちで夜明けとともに動物(きっとバッファローやピューマ)たちが目を覚ますという情景をこの音楽にしたらしい。残念ながらこのことが書いてある出展を忘れてしまったが。

話をもとに戻そう。版画ならではの特性の一つに,版を替えることで色の重なりが比較的容易にできるということがある。そしてその版による色の重なりを利用することでグッと版画らしくなる。その特性を取り入れて簡単なクリスマスカードを彫ってみた。積み木で作った木のぬくもりのあるクリスマスツリーをイメージしている。


積み木のクリスマスツリー


疲れた〜。今年のクリスマスカードはこれで終わり。二人展までいよいよあと二週間ほど。準備万端で臨もう!



2021年10月20日水曜日

英語の俳句・木版画・篆刻・二人展のお知らせ

定年退職した旧友二人の戯れの作品展です。日日感じたこと,訪れた地で出会った小さな出来事,移りゆく季節への想いを英語の俳句と木版画にしました。本当に本当に拙く小さな作品ばかりですが,観に来ていただいた方方が「ちょっぴりハッピーな気持ちになった」と感じていただければ望外の喜びです。



会期:2021年11月30日(火)〜12月5日(日)  12:00~18:00


                    〒657-0846 神戸市灘区岩屋北町1-7-18 サントヴィラージュ摩耶1F

                    ☎︎ 078 881 2055 


JR摩耶駅,阪神西灘駅から三宮寄り徒歩2分

This is an exhibition of Haiku, woodcut printing, and classical Chinese seal carvings that two old friends have created over the years in accompany of each other. They are collections of little wonders of day-to-day events, small encounters of their trips, and tranquil moments of seasons that they watched passing by. If visitors can also enjoy these small moments of happies of being, it would make me a very happy man.


30 November 2021 ~ 5 December 2021: 12:00 ~ 18:00 at Gallery & Space Coffret

1-7-18 Iwayakita-machi Nada KOBE 657-0846 Japan ☎︎ 078 881 2055

A two-minute walk from JR Maya or Hanashin Nishinada station


出井文男 Fumio Dei (1949-2020)   得津一郎 Ichiro Tokutsu (1953- )


2021年10月18日月曜日

月に吠える

萩原朔太郎は群馬県の前橋の人だ。前橋には先日亡くなった叔父(父の弟)が住んでいたし,新しい三人の家族もすべて前橋生まれ。何よりも科学者として筋を通した尊敬する高木仁三郎氏が前橋の人である。前橋は遠いところだが,このように縁がないわけではない。朔太郎の詩集『月に吠える』をふと読み返したくなったが,手元には見当たらない。

誰かに貸したことは覚えているのだが,誰に貸したかを忘れてしまった。まあ随分前の話だからおそらくもう返ってはこないだろう。そんなことを考えていて,木版画のイメージが浮かんだ。月に吠えるのは犬だけではない。クジラだって時には氷山の影で吠えたくなることだってあるだろう。題して「月に吠えーる(whale)」

木版画:月に吠えーる


構図はまったく違うのだが,この版画は木版画教室のKYさんの作品(9月のカレンダーのお月さん)に触発されている。そこではブルー系の色が巧みに組み合わされて透明感のあるとても素敵な版画になっている。同じようにブルー系の色で,南氷洋の透明感と寂しいクジラの遠吠えを描きたかったのだが,,,。

もともと芸術的素養がない上,絵画の基礎的訓練を受けたこともない。さらには木版画の高度なテクニックもないから,相変わらず小学生の図工の宿題のような版画だが,これが僕の版画なんだと割り切ることにした。木版画を初めて約3年,意外と早くそのことに気がついた。

経済学の研究を生業としてきたが,周りの秀才研究者たちは,注目すべきトピックを高度な数学を駆使して分析した最先端の研究成果を次々と発表しているのに対し,そのような研究者としての才能にあまり恵まれなかった僕は,相変わらず特に注目されているでもないトピックを単純な手法で分析するということしかできなかった。

ずっと自分の研究に対し,なんとなく人の目が気になっていた。しかし50歳に近くなった頃だろうか「これが僕の研究スタイルなんだ。これしかできないんだから,誰がなんと言おうと死ぬまでこれを続けるしかない」と割り切ると,意外とそれから肩の力が抜けた論文を発表することができた。事実50歳台半ばから定年までの間が論文の生産性が一番高い時期だったように思う。

本職の経済学ではそのことに気がつくのに30年近くかかったが,その経験からか木版画では,気がつくのが比較的早かった。これで続けていこう!




ブラームス 作品53 アルトラプソディ

マリアカラスもバーバラボニーも素敵なソプラノ歌手なんだが,やはり聴いて落ち着くのはアルトの声。ブラームスもそうだったのかもしれない。ちなみにNHKのアナウンサーの井上あさひさんも森田美由紀さんもアルト(多分)。聴いていてとても心地よい。

ところで,久しぶりに午後寝転がって,CD(歌手はワルトラウト・マイヤー)を聴いていて,コンサートでの情景(アルトの独唱,男性のコーラス,オーケストラ)が頭に浮かんできたので,それを木版画にした。版画の構図は,斎藤清「目」をこの夏初めて見,それに大いに触発されている。もう少しリファインする必要があるが,とりあえず投稿。女性の顔のグレーは不要だったかな。


木版画:アルトラプソディ


2021年10月16日土曜日

蔵書票を作ってみました!

先日訪問した創作版画協会の作品展の二階で,ちょうど蔵書票(EXLIBRIS)の作品展が開催されていた。その素晴らしい作品に大いに刺激され,初めて自分用の蔵書票を作ってみた。なにぶん初めての挑戦なので,デザインは以前作っていた石のハンコの使い回し。全体のデザインも見様見真似で作成したのだが,それでも出来上がったものは結構蔵書票らしくなった。

サイズは 52ミリ×77ミリ

定年退職を機に,ほとんどの蔵書を処分してしまった。そのため蔵書票を使う場面はほとんどない。小さな作品を様々なスタイルで作成するのもまた楽し。友人の蔵書票を作って練習してみよう。

2021年10月14日木曜日

新しい干支のハンコ

 以前,干支のハンコ(篆刻)を作成していたが,小さなものから大きなものまで,まったく統一が取れていなかった。まさに思いつきでその時その時に作成したので,例えばネズミは「鼠」ではなく「子」,ヘビは「蛇」ではなく「巳」という字を当てているが,ウシは「丑」ではなく「牛」だし,ウマは「午」ではなく「馬」の漢字を使っている。

そこで今回新しく,すべてを15ミリ四方の大きさに揃え,自体も「子,丑,寅,・・・,亥」に揃えることにした。


配置に用いた木版画は,正十二面体の展開図。上部の正五角形の中心「子」から右下の「丑」斜め左上の「寅」へと反時計回りに進み下部の正五角形と,「巳」,「午」で接続する。さらに今度は時計回りに「未」,「申」と続き最後に中心の「亥」で終わる。

ところで正多面体は,正四面体,正六面体,正八面体,正十二面体,正二十面体の5種類しかないことがわかっている。その展開図の形は,正四面体が2種類,正六面体と正八面体が11種類である。ここまでは,えっちらおっちら考えると全てを得ることができるのだが,正十二面体になると展開図の形のはなんと43,380種類ある。正二十面体も同じく43,380種類ある。こうなると全てを得ることはほぼ不可能。えっちらおっちら考えているうちに命が尽きてしまう。

しかし,全ての展開図でなく,そのうちの一つを得るだけならば,43,380種類あることはかえって利点である。つまり雛形の展開図が一つあれば,それを少しだけいじるだけで,たくさんある展開図の中から,自分の好みのものをちゃんと得ることができるわけである。

この展開図はハガキサイズに収まる配置で,一つのセルが出来るだけ多くなるようにしたものである。さらに配置そのものがシステマティックな文様になるように工夫した。これは「巳」と「午」の二つの正五角形を接続する辺の中点を中心とする「二つ割り回転対称」である。

「子」を1,「丑」を2,. . . ,「亥」を12とするならば,展開図から十二面のサイコロを作成することができる。実はこの展開図の干支の配置はそのサイコロにはなっていない。サイコロというものは対面の合計が決まっている。例えば,正六面体(立方体)の普通のサイコロならば1の裏は6,2の裏は5,3の裏は4にと合計が7になっているのである。

同様に正十二面体のサイコロでは対面の合計が13になる。つまり,下の写真の赤い袋の上の2つの正十二面体のサイコロが示すように,1の裏は12である。

中国の研究者からもらった様々なサイコロ

干支を描いた展開図において,例えば「子(1)」の裏は「亥(12)」となっているように,ほとんどの場合その原則を満足している。しかしながら,展開図から直ちにわかるように「巳(6)」と「午(7)」のように合計が13になる面が隣り合っていることは,そこで直ちにサイコロの原則が破綻しているのである。

サイコロの面の配置は特に重要であるというわけではない。配置はどうであってもそれぞれの面の目が出る確率は12分の1で等しい。そのため,展開図で見た目が不自然な並びではなく,干支の連続的な並びを優先し,サイコロの原則は採用しないことにした。

ともかく,これで新しい干支のハンコが完成した。

2021年10月5日火曜日

版画作品展に行ってきました

県立美術館の木版画教室でお世話になったHさんから創作版画協会の作品展の案内状が届き,本日これまた木版画教室でお世話になっている先輩のMさんと二人,三宮のトアギャラリーまで行ってきました。

案内状はHさんの作品

ため息がでるような素晴らしい作品ばかりで,ただただ感嘆。ここまで来れば,もう趣味の世界を通り越してもはやプロの世界。木版画愛好者ではなく木版画家なんだ。人生のメモ書きとして,心に浮かんだ情景を簡単な図案で木版画にしているだけの僕とは訳が違う。

僕が考えていたようなアイデアがすでに高度なテクニックで実現されている作品もいくつかあった。僕の考えていることもまんざら悪くはないのだなと少し安心。作品について質問すると丁寧に教えていただき,とても勉強になった。しかし同時に「今の僕の力では,作品を作るのはまだまだ先の話」ということも実感。

ギャラリーの入り口にもHさんの作品

木版画の摺りの実演もある

同じトアギャラリーの二階では蔵書票の作品展。蔵書票の作品展は,昨年Mさんに教えてもらって大阪まで見に行ったのだが,その時に記帳した住所に案内状が送られてきていた。

書票作品展の案内状

これがまたすごい!あまりにもすごくて写真をとるのをすっかり忘れるほど。蔵書票だから大型の作品は無いが,木版画有り,銅版画有り,篆刻有りの盛りだくさん。僕も蔵書票に挑戦したくなった。残念ながら定年を機に,自分が書いたものも含めてほとんどの蔵書を処分したため,蔵書票を使うことはほとんどないと思うが,クラリネット吹きの石のハンコを元にオリジナルの蔵書票を作ってみよう。

石のハンコ(2センチ×4センチ)

作品展を見終わったあとはランチ。まずはMさんが下調べしてくれたワインのうまいピザ屋さんへ向かうが,あいにく今日は臨時休業。テクテク歩いて別のレストランへ。ここは,ビーフンを製造販売する有名な会社の直営レストラン。満員のため店外の椅子に座って待つこと約15分,待機中にオーダーをする効率的なシステムで,店内の椅子に入るとすぐに注文したメニューが出てきた。

お店の外観。大きな本社ビルの一階

流石にビーフンの専門家,とても美味しい。加えて安い。というより一緒に食べて楽しい人と食べるから美味しいのかもしれない。どんなに高いフランス料理でも,嫌な人とのビジネスランチでは美味しくないだろう。

コロナ禍でのアイデアか?外には調理済みビーフンの自動販売機まである。来週からいよいよ県立美術館の木版画教室が始まる。そこでまたお会いすることを確認してMさんと別れた。今日はとっても気持ちの良い日だった。




2021年9月29日水曜日

足慣らし六甲山ハイキング

今日は朝から天気がいい。先日購入したハイキングシューズの足慣らしに六甲山へハイキングに出かけようと思いついた。計画も何もなし,とにかく森林植物園まで行けば,そこが様々なコースの起点になる。自宅から徒歩15分ほどのところにある神戸電鉄の北鈴蘭台まで行けば森林植物園までの無料のシャトルバスがある。それに乗ろうと,昨日のご飯を電子レンジで温めおにぎりを作って出かけた。

ところが北鈴蘭台の駅のシャトルバスのバス停まで来て,今日水曜日は森林植物園は休園日,したがってシャトルバスは運行していないことに気がついた。仕方がないからあまり面白くもない舗装道路を一人トボトボと森林植物園まで歩くことにした。

何の変哲も無い舗装道路

トラックが猛スピードで走っていく。結構危険な道路だが,道の端を気をつけて歩くこと30分足らず森林植物園に到着。当然のことだがゲートは閉まっていて誰もいない。本当なら園内の森のレストランでソフトクリームでも食べるのだが。

シャトルバスの発着場のベンチで地図を広げて作戦を立てる。再度公園を経て諏訪山まで行こうか,少し足を伸ばして布引まで行こうかなどと考えているうちに,気力がだんだん失せてきて,まあ靴も買ったばかりだし,今日は山田道をあるいて谷上駅まで降りていくことにしよう。

山田道の入り口


木漏れ日の森の道

少し歩くうちに,途中に弓削牧場があることを思い出した。実は森林植物園の森のレストラン,ルピックのソフトクリームは弓削牧場のソフトクリームでとても美味い。俄然気力が湧いてきた。10分ほどで,弓削牧場に到着。

弓削牧場

がーん!ここも今日はお休み。ありゃま,今日は運が悪いな。どうも僕は水曜日とは相性が悪い。そう言えばK大時代,月に一回の教授会は水曜日だったな。思い出しただけでも気が重くなる。まあ,教授会になると急に生き生きとする人たちもいたな(笑)。

本日休業の看板

ソフトクリームは逃したが,別の日にまた来ることにして,仕方がないから先へ進むことに。帰宅してからウェブで調べると9月のミルクソフトクリームの販売は土日だけ。どうせ逃していたんだな。

丸山川沿いに下っていく。水もとっても綺麗し,涼風が心地よい。広い河原にでると,空が青く高い。こういう景色が自宅から歩いていける距離にある。リフレッシュするなあ。

空が高い

せせらぎの音が心地よい

橋も綺麗に整備されている

澄んだ水流

あっと言う間に,谷上駅についてしまった。ちょっと物足らない2時間足らずのハイキングだったが,足慣らしにはちょうどいい。次回は六甲山を越えて,表に出てみよう。

市営地下鉄が見えた!

地下鉄の終点谷上駅







ぼーっと生きていると危険だ!

トイレの手すりで頭をしこたま打った。手すりというか硬い金属製のハンガーのようなもの。尖った角で打ったため,少しだけだが血が出てきた。それもすぐに止まったから大丈夫だろうとたかを括っていたのだが,夜になると傷口がズキズキ痛むし,打った側の目や耳まで痛いような気がする。しかし,肩こり...