2023年12月31日日曜日

静かな大晦日

息子家族が帰ってこないため,何年かぶりに静かな大晦日を過ごしている。大掃除もそこそこに,おせちの準備も早々と終わった。うとうとしながらストーブのそばで本を読んでいると,この静かな時間の流れを木版画で表してみたくなった。いつもながらの単純な絵柄で,大晦日のお昼すぎからバタバタと3時間ほどで完成した。なんということのない昔風の石油ストーブ一台だけの絵柄だが,聞こえてくるのはストーブの上でシュンシュンシュンシュンと微かな音を立てているヤカンの音だけの,静かなのんびりした雰囲気が伝わるだろうか?

アラジンと魔法のストーブ

2023年はとても充実した年だった。ただとても忙しく,ゆっくり本を読む時間をとることができなかった。来年はもう少しゆったりした時間を楽しみたい。2024年もよろしくお願いします。



2023年12月16日土曜日

知己朋友:2023忘年会

中学・高校の友人3名(橋梁のT君,地質のT君と僕T)で旧居留地の中華料理店で忘年会。3人が集まるのは同じく神戸の夏以来。日本では広東料理がメインだが今回は趣向を変えてちょっぴり辛い四川料理。ワインで中華料理を楽しむ,ちょっぴりモダンなお店だ。

パッと見るとフレンチのような雰囲気

お天気はあいにくの雨降りだったが,いつものようにおしゃべりを楽しんだ。食事のあとは元町商店街を6丁目まで散歩。ここは僕のテリトリーだから,お気に入りのZIPPO(こちら👉)のお店,古本屋,豚まんのお店などを紹介し,最後は特にお気に入りのお店で月餅をお土産に購入。

街は大変な賑わい。コーヒーを飲む場所を探すのも一苦労。結局老舗の有名コーヒー店で再びおしゃべり。今日もとても楽しい時間を過ごすことができた。「次回は春だな」ということで。


2023年11月22日水曜日

小雪:柿の彼方に

本日は小雪。この辺りはまだ雪は降っていないが,北日本では先週大雪だったとのこと。立冬から二週間,すっかり冬になって我が家ではすでにストーブを出している。燃焼の匂いが嫌で,ずっと床暖房とオイルヒーターで暖を取っていたが,最近のガス代,電気代の高騰や,災害時に備えエネルギー源を分散するために,古典的な(Aladdin)の石油ストーブを使い出したわけだ。ストーブの上で沸かしたお湯は湯たんぽに使え,エネルギー効率はすこぶる良い。

日に日に寒さが増すのと並行して,庭先の物干し竿に吊るした干し柿の色も日に日に濃くなっていく。吊るし柿越しに青い空と遠景の山を眺めていると,ふと「オズの魔法使い」でジュディー・ガーランドが歌う「虹の彼方に(over the rainbow)」を思い出した。そんなことを思いながら,吊るし柿と遠景の山を木版画にした。実際には柿の数はもっと少ないし,住宅に遮られて山も全体が見えるわけではない。いつもの誇大妄想の癖が出た虚構の世界だ。

吊るし柿

 題名は曲名をもじって「柿の彼方に(over the persimmons)」。篆刻は小雪。午後ちょっぴり素敵な出来事があった。

2023年11月21日火曜日

クリスマスカードの試作品

今年もクリスマスカードを送るシーズンが近づいた。友人たちのほとんどは,メールでデジタル画像を送ってくるのだが,そんな時こそと,僕は手作りの木版画クリスマスカードを毎年送っている。年賀状は定年を機に既にやめてしまったが,クリスマスカードは送り先が10名ほどの外国人で少なく,手作りで丁寧なカードを送っている。ただ続けているとだんだんアイデアが枯渇してくるのも事実だ。今年はちょい手抜きをして,三角形をモチーフに簡単なクリスマスツリーのカードを作成した。

青いメリークリスマス

赤いメリークリスマス

 簡単とは言え,今年一年を象徴する題材が隠し味。いまだメリークリスマスの文字色をどうしようか迷っている。

2023年11月8日水曜日

立冬:炉開き


本日は立冬。暦の上では冬の始まりだ。日中は相変わらず暖かいが,朝夕はぐっと冷え込むようになった。週末からは一気に気温が下がるようだ。茶道では「炉開き」のシーズン。というわけで「炉開き」をテーマに小さな木版画を作成した。

昨年,京都のあるお寺で「炉開き」のお茶会に招かれ参加した。正式なお茶会に参加するのは初めての経験,茶道の作法は全く知らず緊張のあまり,「亥の子餅」以外は何も覚えていない。わが家の庭で紅葉したヤマボウシの葉と畳の上の懐紙に乗った亥の子餅を描いた。畳は琉球畳。茶室に琉球畳が使われるかどうかはわからないが,長方形の通常の畳より正方形の琉球畳の方が数段デザインがやり易い。おまけに縁がないから手間も省ける。濃いグレーのアクセントは「炉」のつもり。参考のためわが家の和室の琉球畳の写真を揚げておこう。

炉開き


琉球畳

2023年10月21日土曜日

九州紀行

女房の故郷大分へ行ってきた。夜神戸発のフェリーに乗れば,早朝大分に到着する。40年間毎年のように利用した航路で,今瀬戸内海のどのあたりを航行しているかまでなんとなくわかるほど。自宅の延長のようで全く緊張感はなく,展望風呂に入って部屋に戻ると,すぐに眠ってしまった。朝起きると船はすでに豊後水道,大分港到着の直前だった。

出航前のフェリー

船の右手前方には九州の山影が見える

朝食を済ませると,予定が詰まっている女房とは夕方に合流することにして,一人,砂湯で有名な別府の「竹瓦温泉」を訪ねた。

歴史的な建物

砂湯は人数制限があり予約制だ。しかしウェブでも電話でも予約は不可能,現地で直接受付の人に申し込む。僕は9時に到着したが,確保できたのは10時15分からの砂湯。付近を散策したり,温泉の待合室で寝転んだりしているとすぐに10時15分になった。

砂湯の入り口
男女別々の更衣室を過ぎれば,あとは男性も女性も一緒。更衣室で備え付けの浴衣に着替え湿った砂の上に寝転ぶと,女性(「砂かけばばあ」という妖怪が『ゲゲゲの鬼太郎』に出て来たが,砂湯の女性は「ばばあ」からも「妖怪」からも程遠い若く優しい女性)が鍬(くわ)を使って身体に砂をかけて生き埋めにしてくれる。もちろん,顔は砂の上に出ているから本当の生き埋めではない。ポカポカと身体が温まる15分ほどで終了。少しずつ砂を払って砂から出る。

死んだわけではありません

まだ生きています

身体にたっぷり付いた砂を払うのが大変だが,浴衣を着たままのシャワーの後,あたたかい温泉に浸かって砂湯コースは完結。竹瓦温泉を出,すっかり寂れた別府の商店街を抜けてJR別府駅へ。日豊本線で大分まで向かう。大分はキリシタン大名大友宗麟の町。駅前には大友宗麟の銅像と並んで,フランシスコ・ザビエルの立派な銅像がある。こんなにお天気なのに,両手を広げ「雨が降り出したのではないか?」と心配しているような様子。それとも何かを尋ねられて,「さあ,わかりません」と言っているような,,,

雨かな?

ちょっと遅い昼ごはんに,地元の料理「とり天」と「リュウキュウ」を食らい,午後は商店街(ポルトガル語のセントポルタ中央町,イタリア語のガレリア竹町と何やら外国風の名前)をぶらぶら,定評のある書道用品店で篆刻用の石を買い込んだり,お気に入りの日本酒,麦焼酎,菓子などを買い込んで一日の予定は終わった。

2023年10月20日金曜日

ベートーベン

芸文センターで久しぶりにベートーベンの弦楽四重奏を楽しんだ。演奏はジュリアード。演目はベートーベンの他にヴィトマンの弦楽四重奏(ベートーベン・スタディ)も。ベートーベンは13番(作品130)と大フーガ(作品133)。実はこれを生で聞くのはおよそ15年ぶり。2008年の11月にいずみホールでゲヴァントハウス弦楽四重奏団の演奏で同じ13番と大フーガを聴いて以来。

ジュリアード弦楽四重奏団

芸文センターの小ホールはとても好きなホールだ。ギリシャやローマの円形劇場のようになっている。たいていのホールは下から舞台を見上げる感じだが,ここだけは上から舞台を見下ろすのだ。演者の表情と合わさって一つ一つの音の出どころまでわかり,散々CDで聴いた曲でも初めて聴く音楽のように新鮮に聞こえる。「これはこんな曲だったのだ」と発見(聴?)する。実は心に残るコンサートの多くは,この小ホールで聴いている。




2023年10月19日木曜日

人工衛星饅頭

神鉄湊川駅から地上に上がったところに「関西名物人工衛星饅頭」というお店がある。山手幹線と湊町線の交差点の北西角の一等地なんだが,お店が開いている時はほとんどない。降りたシャッターには「人工衛星饅頭」と書かれているが,それがどんなものなのかもわからず半年間が過ぎた。実は半年ほど前から週に3回この前を通っている。

人工衛星饅頭

少し前地上に上がったときにお店が開いていたので驚いた。お客は全くいなかったが,ガラスの向こうで若いお兄さんが「人工衛星饅頭」を焼いている。それ以降お店はよく開いている。しばらくお休みだったのを再開した雰囲気だ。

見た目は「御座候」の回転焼きににているが,とにかく一個だけ買ってみた。税込一個100円。「御座候」より安い。材料は回転焼きと同じだと思うのだが,食感が全く違ってとても美味しい。焼き立ては熱すぎるので注意が必要だが,皮がパリパリしてとても美味しい。

工程は回転焼きに似ている

どうして「人工衛星」というのか理由をガラスの向こうで饅頭を焼いているお兄さんに聞いてみた。なんでも,旧ソ連が人工衛星,スプートニクの打ち上げに成功した年の翌年,人工衛星ブームの中で開業したとのことだ。僕の年齢ぐらいの歴史がある。お店が開いていると,必ず一個買ってバス待ちの時間に頬張る。1日のエネルギーの源泉だ。


2023年10月9日月曜日

ラテン語始めました!木版画はしばらくお休みします。

七十歳を機にラテン語の勉強を始めた。特に目的があるわけでは無いし,これからの人生に役立つことはまったく無いだろう。何よりもそれがものになる可能性はほとんどないのだが,何か新しいものに挑戦したくなった。

実は四十歳を少し過ぎた頃,ラテン語に挑戦したことがある。経済学の「お勉強」の過程で,Q.E.D. (quod erat demonstrandum;証明終り)や,ceteris paribus(他の条件を一定として)などラテン語の表記を目にすることが多かったから,少しかじってみたくなったのだ。  日本語の辞書や教科書は揃えたが,忙しさにかまけてほとんど手をつけることができなかった。定年退職時,蔵書はごく一部の幾何学や紋様の本を除きすべて処分したため,今回改めてテキストを購入した。

新しく購入した教科書。600頁以上の大著。

まだ,すこし読み進めただけであるが,今のところとても分かり易くラテン語の勉強を楽しめている。こんどは「経済学」という雑念(?)もなく,じっくり学べば楽しめそうだ。何よりも,ものになってもならなくても,人生の最後のフェーズでラテン語を勉強できるということは幸せなことだ。そう思うとラテン語の「難解さ」さえ楽しめそうな気がする。

というわけで,木版画と篆刻はしばらくお休み。5月の立夏から続けてきた「新二十四節気」も最近どうも「どこにでもあるような,何の工夫もないありふれた図案」を,彫って摺るだけになっていたから,ちょうど良い充電期間と考えている。彫ったり摺ったりは,適度な「肉体の疲労」と「時間の経過」を伴うため,「仕事をした気持ち」にしてくれるが,実は「創造的活動」とはほとんど関係がない作業なのだ。

彫りや摺りではなく,何を木版画にするかを探し出すこと,つまりイメージを作り出すことが一番重要で困難なことだ。充電期間に「ラテン語」の勉強や,最近ハマっている万葉集を足がかりとする小旅行で,木版の題材を探したい。それが木版画における僕のスランプ脱出法だ。どうしても誰かに伝えたいイメージが浮かべば,それを木版画にしよう。

2023年9月18日月曜日

秋分:月見れば千々にものこそ

週末は秋分。まだまだ暑い日は続くが,確実に日の長さは短くなっている。秋はすぐそこまで来ている。今年の中秋の名月は秋分のほぼ一週間後9月29日だが,やはりこのシーズンのメインイベントはお月見。満月に月見団子というのはあまりにもありふれているので,木版画は「月見そば」とした。

月見そば

表題は百人一首第23番

月見れば 千々にものこそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど

 大江千里(古今集193)

から。見ればの「れ」を「そ」に替えただけ。「月見そば」と一気に読まず,「月」の後に一呼吸いれて読めば,より自然に下句に続くだろう。篆刻は「秋分」。まあ版画に関しては図案も技法も稚拙だが,篆刻そしてユーモアのある文とのセットで,見た人にちょっぴりニッコリしてもらえれば,それだけで良いと思っている。

2023年9月7日木曜日

白露:サティ,梨の形をした三つの小品

九月に入ってちょうど一週間が経った。明日9月8日は白露。まだまだ暑い日が続くが,秋の気配を感じる時も多くなった。この時期は特にみずみずしい梨が美味しい。エリック・サティの「梨の形をした三つの小品(Trois morceaux en forme de poire)」に触発され,何となく二十世紀,幸水,豊水(左から順)三種を木版画にした。ちょっとセザンヌ風。篆刻は白露。

梨の形をした三つの小品

子供の頃,梨といえば「二十世紀」だった。というより果物屋さんには「二十世紀」しか無かったような記憶がある。調べてみると「二十世紀」が1880年代,「幸水」と「豊水」がそれぞれ1950年代,1970年代に開発された品種だそうだから,それも頷ける。家で食べる梨は決まって「二十世紀」だった。三種の梨はそれぞれ特徴があって美味しいが,僕はやはりシャキシャキ感が強い「二十世紀」が一番好きだ。

西洋梨は,日本の梨とは全然違う。食べると,シャキシャキ感はなく滑っとした感じだ。もちろんそれはそれで濃厚な味がして,美味しいのだが,,,。キシェロフスキーの「トリコロール/赤(Trois Couleurs: Rouge)」で,イレーヌ・ジャコブが「梨のブランデー」を一口飲んで咽せるシーンがある。どんなものだろうと気にはなっていたが,当時日本ではそんなブランデーは一般的でなく,見つけることはできなかった。

2006年の夏,学会報告のためウイーンを訪れた時,乗り継ぎのパリの空港の免税店で梨のブランデーをふと目にし,映画を思い出して購入した。ブランデーとはいうものの無色透明で,見た目は日本の焼酎に近い。麦焼酎,芋焼酎というのがあるのだから梨焼酎があっても不思議でない。予想どおり西洋梨の匂いほのかにする焼酎のようだった。不味くはないのだが,やはり色も香りも琥珀色のコニャックには敵わない。コニャックのように楽しむのではなく,バニラエッセンスを作る時のラム酒の代わりに使った。

梨のブランデー(ラベルにPoireの字が見える)


2023年8月22日火曜日

処暑:怒りの葡萄

明日8月23日は処暑,少しは涼しくなった気もするが秋はまだまだ先の様子。そんな中,店先に並ぶ秋の果物から,葡萄を木版画にしてみた。篆刻は「処暑」,表題はスタインベック『怒りの葡萄』(The Grapes of Wrath)から。漢字の葡萄は複雑で彫りにくいからひらがなにした。怒りを表すため葡萄は,まるではなく角をつけた。実は,この角のアイデアは幼稚園に通う孫が作った折り紙細工から借用したもの。もちろん彼女は怒りを表そうとしたわけではないのだが。

怒りの葡萄

先週は半年に一度の心臓の定期点検,朝早くから病院へ向かった。海の近くにあるこの大きな病院には20年近く通っている。僕は,今話題の「健康保険証と一体化されたマイナンバーカード」を持って行ったのだが,なんとこんなに大きな病院(30を超える診療科と768床の病床)に,マイナンバーカードの読み取り機がたった1台しか無いのだ(2023年8月18日現在)。それもその1台は保険証確認カウンターに,正面からは見えないように小さな看板で隠されている。

紙の保険証ならば,いつものように検査室の受付で簡単に保険証の確認が出来,直ちに検査を受けることができるが,マイナンバーカードの場合は,病院内にたった一箇所の確認カウンターまで戻り,受付順にこれまた,たった1台の読み取り機で確認を行った後,再び検査室の受付に戻り,あらためて検査の受付をすることになる。つまり検査の順番は後回しだ。マイナンバーカードは紙の健康保険証に比べて,すこぶる不利な取り扱いを受けることになるわけである。

国をあげてマイナンバーカードの普及を進めているように思っていたが,公共機関の現場ではそんなことには全く無関心のようだ。それどころか,流れに逆行し,マイナンバーカードの利用を抑制する方策がとられているようにさえ感じる。医療に関しては僕はこの病院に絶大なる信頼を置いている。事実,50歳で心臓,腎臓,泌尿器と次々と患った僕が,定年退職時まで,細々ながらも研究と教育を続けることができたのも,この病院の高い医療水準と,優れた先生方のおかげだと心から感謝している。

しかし,どれほど医療水準が高く,どれだけ優れた先生方がおられても,事務方については,やはり「お役所の現実」がある。こんなに大きな,地域を代表する公共病院にマイナンバーカードの読み取り機がたった1台しかないという現実は,僕の理解のはるか彼方にあり,不便さへの「怒り」よりも,ただただ「呆れる」ばかりだった。このことは,仮に「東京駅にICカードが使える自動改札口が一箇所しかなければ,ICカードが普及するか?」と考えればよくわかる。

それでもその日は楽しいこともあった。病院の近くに住む木版画教室の友人のSさんから「家庭菜園でカボチャが獲れたから近くに来るなら取りにおいで」と親切な連絡があり,立派なカボチャをいただいた。まだ食べてはいないが,昨年と同じく美味しいに違いない。

立派なカボチャ



2023年8月7日月曜日

立秋:夏過ぎて秋来にけらし

 明日8月8日は立秋。暦の上では秋だ。とはいえ,まだまだ暑い日がしばらくは続きそうだ。いくら暑くても秋を感じたい。そんな時にはキンキンに冷えた「かき氷」や「アイスクリーム」よりも,適度に冷やしたわらび餅が一番。というわけでわらび餅を木版画にして「立秋」の篆刻を添えた。少しだけ歪ませた立方体を図案にしたが,きな粉が降りかかった様子を木版画にするのはとても難しい。特に本体から皿にこぼれ落ちたきな粉をどうするかが問題。歯ブラシに絵の具をつけて指で弾くというやり方を版画教室の大先輩Yさんに教えてもらったが,これは結構スキルが必要だった。普通にやるとお皿だけでなく紙前面にきな粉が飛び散ってしまう。結局直接小さな粒を板に直接彫るという正攻法を採用した。出来上がったものが下。

わらび餅

わらび餅は,フォークや箸でも食べることができるが,やはり黒文字が一番風情がある。家にある黒文字は実際にはもっと大きいが,版画に収まるようにかなり縮小して描いた。添えた文章は,持統天皇の歌

春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山

の時期を後ろへシフトさせただけ。暑い夏を乗り切ろう!


2023年7月20日木曜日

大暑:苦み走った男の味

連日30度越えの猛暑,場所によってはほぼ40度。大暑は次の日曜日,7月23日だが,もう我慢の限界。暑い時に冷たいものも良いが,暑い時に食べる熱い沖縄料理は格別。というわけで新二十四節気の木版画は,ゴーヤチャンプルー。

ゴーヤチャンプルーと黒いフライパン

卵,豆腐,豚肉は非現実的だが,すべて四角形。あえて色を薄めにして重なりを作り炒めている混ぜくり感を出した。「苦み走った男」が作る料理は苦いはずだが,苦味とは程遠い僕には分からない。暑い夏を何とか生き延びよう!


2023年7月6日木曜日

小暑:敵に塩焼きを送る

明日,7月7日は小暑。既に鮎漁は解禁され,近所の魚屋さんにも美味しそうな鮎の塩焼きが並んでいる。柏餅,水無月と和菓子に続き,「若鮎」という和菓子を題材にとも思ったのだが,すでに本物の鮎をデフォルメしたものだから,木版画にしてもそのままで面白みがあまりない。そこで鮎の塩焼きを少しだけデフォルメして木版画にした。昨年の5月四万十川を訪れた時に食らった鮎の塩焼きがモデルだ(👉こちら)。

鮎の塩焼き

鮎について」は,黒の一文字ぼかし,グレーと黄色の付け合わせぼかしなどいろいろ試みた。それぞれ妙なリアル感は出るのだが,焼き魚のカラカラ感が出ない。思い切って,グレー1色の「ごまずり」にしたところ,なんとなく塩焼きのカラカラ感がでた。今回は安易だがこれで行こう。

敵に塩を送るという諺がある。上杉謙信が,塩不足に苦しんでいる敵,武田信玄に塩を送ったという故事に基づいている。塩をもらった敵は嬉しいだろうが,鮎の塩焼きならばもっと嬉しいだろう。

旧居留地界隈:いつものお店のウインドウ



2023年6月25日日曜日

旧居留地界隈

今日は,橋梁のT君,地質のT君と3人で久しぶりのランチ。三宮の山手にある中華料理店。いつもどおり楽しいおしゃべりの時間を過ごすことができたが,お店のサービスでちょっとびっくりするような興醒めなことがありガッカリ。お店の名前が特定されてしまうおそれがあるため,今回は食事の写真はアップロードしないことにしよう。

それはさておき,帰りにおしゃれなテラスでコーヒーやケーキをたべておしゃべりの続き。ぼんくら社会科学研究者の僕と違って,二人ともきっちりした自然科学系の専門家。構造や地層について,いろいろと勉強になるお話を聞くことができた。

テラスへの途中,旧居留地を歩いているといつものお店のショーウインドウにどこかで見たことがある「抹茶と水無月」の版画が。ちょっとモヤモヤとしていた気持ちが晴れて,とても素敵なティータイムを過ごすことができた。悪いことはすぐ忘れることにしよう!

版画にマッチした色合いの額になっている!




2023年6月20日火曜日

夏至:夏の小豆三角形

明日,6月21日は夏至。一年で一番日の長い日だ。もちろんこれは北半球に住むわれわれにとってであって,南半球では一年で一番夜の長い日になる。今年立夏から再開した二十四節気,柏餅,梅酒,フランスパンと食べたり飲んだりのものばかり。新二十四節気の版画はともかくできるところまで,食べたり飲んだりの路線で走ってみよう。

六月の食べ物といえば,月名そのものの和菓子「水無月」。京都では6月30日,「夏越の祓」で食す。

「水無月の夏越の祓いをする人は千歳の命のぶというなり」

というわけで,夏至の版画は和菓子の水無月。水無月だけでは寂いしいので,茶筅付きの抹茶を添えた。夏らしい色合いにするため茶碗の色は,実際にはあり得ないが薄いピンク。参考のため,実際に近くの和菓子屋さんで購入した本物の「水無月」の写真も示しておく。

二種類の水無月と抹茶

満月堂の水無月

ところで水無月が三角形の形をしているのには訳がある。三角は暑気を払う「氷」を表し,上にのせられた「小豆」は邪気を払うことを表しているとのこと。

「夏」,「三角形」といえば夜空の星座,ヴェガ,デネブ,アルタイルからなる「夏の大三角形」だ。そこで木版画に添える文字は大三角形の「大」と小豆の「小」を対比させた「夏の小豆三角形」。篆刻はもちろん「夏至」。今年もなんとか暑い夏を乗り切るぞ!







2023年6月10日土曜日

あじさいの花の季節を迎えました

良いことは続くものだ。昨日帰宅するとこれまた「春と同じぐらい楽しい友人」が新しく出版した素敵な詩集が届いていた。

高橋暁子詩集『野ののしずく』


彼女にとっては第二詩集とのことだ。彼女が作詞した歌曲のコンサートには一度招待されたが,歌曲以外に彼女がこんなに素敵な詩をたくさん作っているとは知らなかった。今日午前中,すべてに目を通した。すべてとても素敵で,特に音楽や旅の印象の詩では僕の記憶や感性と通じるところがあり心が洗われた。ありがとう。

実は,表題の「あじさいの花の季節を迎えました」は,謹呈のしおりに添えられていた彼女の手紙の書き出し。奇しくも今日は中・高の同期,橋梁のT君と紫陽花(あじさい)を観に行く約束をしていて午後から森林植物園(👉こちら)へ出かけた。もう一人の地質のT君は都合がつかず今回は欠席。森林植物園では今日から「森の中のあじさい散策」が始まった。

まだ満開とはいかないが,綺麗な紫陽花が咲いていて気持ちが良い。

ところどころまだ色づいていないがみずみずしい




楽しいことが続き満面の笑み

お天気は曇り空だったが,森の空気の中「春と同じぐらい楽しい人」のT君と談笑しながら六甲山の自然と紫陽花を堪能した。


2023年6月9日金曜日

今夜はすっかりイタリアン

春そのものと同じぐらい楽しい少数の人たちを除けば,幸福の足を引っ張るのはきまって人間たちだったのである(ヘミングウェイ『偽りの春』)

既に梅雨入りして春はとっくに過ぎてしまったのだが,僕には春そのものと同じぐらい楽しい友人が何人かいる。今日はそのような二人の友人,NさんとAさんと会って食事を楽しんだ。お二人とも定年前同じ職場でいろいろとお世話になった女性だが,四月から再び地理的に職場や住居が近くなり,コロナも少し落ち着いた今,久しぶり(4年ぶり)に集まることになった。実は。もう一人春と同じぐらい楽しい友人のSさんも参加する予定だったが急に都合がつかなくなり今回は3人だけ。

定年前は最寄りの駅は六甲だったが,4月から4人に共通する最寄り駅は神戸駅。集まったのは神戸駅近くの小さなイタリアンのお店。

まずはオードブルと白ワイン

六時半から九時まで二時間半,ワイン,オードブルからドルチェとエスプレッソまで料理とおしゃべりをたっぷり楽しんだ。やっぱり春そのものと同じぐらい楽しい人たちだった。次回はSさんも一緒に楽しもう!

今日は心もすっかりイタリアン。神戸駅から11番の市バスにのって湊川公園西口まで向かい,神戸電鉄に乗った。



乗り換えの鈴蘭台駅構内もやっぱりイタリアン。今日はとってハッピーな気持ちで帰宅した。








2023年6月6日火曜日

芒種:6月のパン(June Bread)

今日,6月6日は芒種。この頃は麦や米のように芒(のぎ)のあるものを植える時期とのことだ。確かに米は今植え付けの時期だが,麦は今が収穫時期。しかし,芒と言えばやはり麦。そこで「芒種⇨芒⇨小麦⇨パン」という連想でフランスパンを版画にしてみた。「芒種⇨芒⇨大麦⇨ビール」という連想もあったのだが,,,。

バゲット,バタール,ブール三種盛

パンのザラザラ感を,和紙ではなくニューブレダン紙という洋紙に「ゴマ摺り」することで表している。木箱は同色を二度摺ったり,一部は三度摺ったりすることで濃淡によって奥行きをだした。

昨日木版画の会の帰りにAtelier Puntasに立ち寄りこのみ先生にアドバイスをいただいた。最初木箱の色は黄色に少し白を混ぜたものだったのだが,黄色は同色を重ねてもその効果があまり見えない色ということだ。先生のアドバイスで,バーントシエナと黒を少し加えることで,より実際の木箱に近い色に変えると濃淡がはっきりし箱に奥行きが出た。

もう一つ,パンの色にも奥のものと手前のものに濃淡をつけるというアドバイス!それも絵の具を薄くするのではなく板にのせる絵の具の量で濃淡を調整する。さすがプロは目の付け所が違う!先生のおかげで,小学生の絵がすこしだけ大人の絵になった。

木箱の印字はJune Bride(六月の花嫁)をもじってJune Bread(六月のパン) 。木箱の印字をつけることでパンだけでは出ない季節感が少し出たような気がする。再スタートした二十四節気,気がつけば,柏餅(立夏),梅酒(小満),フランスパン(芒種)と食べたり飲んだりするものばかり。しばらくこの路線を続けてみうよう!

2023年6月5日月曜日

木版画の会

今日は6月の第一月曜日,木版画の会。中央区の文化センターの美術室に9人の木版画愛好者が集まった。今日はHさんの「回転版画?」のデモがあった。木の板を彫刻刀で彫り,それに絵の具を載せてバレンで和紙に摺るという伝統的な版画ではなく,段ボールにハサミやカッターで切れ目を入れたり,木の葉やネットなどを自由に配置 したりで構図を作る。ミソはその版を回転させて色を重ねるところにある。今日はすべての材料や道具をHさんが用意してくださった。


道具の準備は完了

材料はそれこそ何でもあり!

Hさんによる概要の説明のあと,いきなり各自それぞれ作品作りに挑戦することになった。Hさんのデモを見るだけだと思っていて,心の準備ができていない面々は戸惑いながらも果敢に挑戦!今日用意された絵の具は,黄,赤,青の3色だけ。したがって回転も3回。さてどんなものが出来上がるか。もちろん全員初めての体験。

真剣そのもの

まずは黄色から色をのせる

全員すごく抽象的で素敵な作品が出来上がった。すべてアップロードしたいのだが,こればかりは皆さんの許可が必要。責任をとって僕が作ったものだけアップロードすることにした。抽象的なものには憧れがあるが,やはり凡庸な僕は「型にはまった」ことから抜けきれない。先月に聴いた藤村美穂子さんの歌のイメージなんだが,中途半端なものになってしまった。次はもう少しイメージを膨らませて構図を考えてみよう。もっともこればかりは,回転の角度,色の重なりなどいろんな要素があるので,出来上がりが予想できない。それが魅力なのかもしれないが,,,。


会の終了後,何人かと蕎麦ランチを楽しむ。趣味や道楽が共通の素敵な人たちと月に一度会って,美味しいものを食べながらの四方山話ほど楽しいことはない。

2023年5月30日火曜日

小満:酒に溺れる梅

二十四節気は点で定義されるのか,それとも期間で定義されるのか?「二至二分」(夏至,冬至,春分,秋分)はもちろん科学的に点で定義されるんだろう。またそれらの中間点である「四立」(立春,立夏,立秋,立冬)も必然的に点で定義される。しかし,これらの8個の点で区切られた8個の期間をそれぞれ三等分するその他の16個の節気については「三当分」という言葉が示すようにどうも期間で定義する方が自然な感じがする。

たとえば,小満は5月21日に始まり,次の節気の芒種の前日6月5日までの期間を指すと考えることもできる。というわけで遅ればせながら「小満」の木版画。篆刻は2年前のものと同じ。題名は「酒に溺れる梅」。

身も蓋もある梅酒

梅酒を作るのは楽しい。でも梅酒を飲むのはもっと楽しい。



2023年5月20日土曜日

料理教室(2回目)

今日は,料理教室の2回目。本日は和食で以下の四種。

  • 青菜のすまし汁
  • 豆腐ハンバーグ
  • 鶏ささみの酢みそ和え
  • 水羊かん
今日は1グループ4名フルメンバーだから一人一品担当。僕は一番ややこしそうな「豆腐ハンバーグ」が当たってしまった。作業は大別すると

  1. 木綿豆腐を水切り,青ネギの小口切り,芽ひじきを水で戻す(A)
  2. 豚ひき肉を塩・胡椒で味付けし,卵・片栗粉で練る(B)
  3. オクラを塩で揉み,額の部分を切り取り茹で,大根をおろす
  4. (A)を(B)に練り込み,フライパンで両面に焦げ目をつけ,だし汁・しょうゆ・みりん・砂糖・生姜汁を加えて煮込む
  5. ハンバーグを取り出し残った出汁しに片栗粉をいれてとろみのあるタレを作る
あとは取り出したハンバーグにタレと大根おろしを乗せて盛り付け,オクラを添えるだけだが,作業の時間軸をきちんと考えておかないと慌てて失敗することになる。事実,僕はオクラを準備するのを忘れていて,慌てて用意したから,塩で揉んで,茹でてから,切るという作業の順番を間違えて先に切ってしまった。

出来上がったものの見た目はまずまず。ハンバーグの味は少し薄かったかもしれないが,健康のためにはこれぐらいがちょうどいい。

左端のハンバーグに注目


今日は留守番の日で一人だからしっかりしたランチができてラッキー。お腹いっぱいになって自宅に帰ると玄関のニッチの小さな花瓶に,今年裏庭にたくさん咲いたオールドローズが一輪生けられていた。

定年退職時にNさんからいただいた小さな花瓶






2023年5月8日月曜日

木版画の会

 四月から木版画の会と称して,気楽に木版画を楽しむ会が立ち上がった。今日がその2回目。この木版画の会は県立美術館で知り合った木版画愛好者の気楽な集まりだ。2019年度の前期に始まった県立美術館・美術講座(木版画コース)も4年が経過し,先生が本田このみ先生から新しい先生に交代することになった。これを一区切りとして,

  • 引き続き来季も美術講座で新しい先生の指導を受けたいが,毎週の出席が難しい人
  • 同じく,金曜日の都合が悪く来期は出席できない人
  • 木版画はこれからも続けたいが,美術講座は来期一休みしたい人
  • もちろん美術講座は続けるが,それ以外にも木版画を楽しみたい人

を念頭に,版画の作業や版画を出汁にして談笑をする会を始めることにした。予想通りベテランが10人あつまった。決して無理のない範囲で月に一度集まろうという気楽な会。参加費は500円,もちろん参加できない日は払う必要はない。参加費は会場費に充てるつもりだ。事務手続きは一番若い僕が担当する。

今日は,大ベテランのMさんと二回目から参加のHさんが回転版画なる新しい手法で作った版画を紹介してくれた。参加者全員にHさんから手製のマーマレードのプレゼントまであった。楽しい会になりそうだ。

抽象的な木版画(回転版画)

次回は6月5日の月曜日の午前。Hさんが道具を用意して回転版画のデモンストレーションをしてくれる。楽しみだ。



2023年5月5日金曜日

立夏:絵に描いた柏餅

今日は子供の日。柏餅の木版画を作ってみた。まさに「絵に描いた餠」。ちなみに英語では,餠でなくパイ。Pie in the sky どこでも食べ物はわれわれにとって重要課題のようだ。 

柏餅の整列


ところで,一つ一つの柏餅は,何の変哲もない稚拙な柏餅の絵なんだが,それらを20個並べると様になる。質より量だ。

実は,このスタイルは僕の専門分野と共通している。学部でも大学院でも統計学入門の講義は「統計学とはどのような学問か」という問いかけで始めることにしていた。答えは「個を個として見ていては見えないことも,個の集まりである集団としてみれば何かが見えてくることがある」,「統計学はこの集団を分析し,何かを見出すための学問である」。このことを阪神大震災の例などを示して説明することを講義の導入としていた。木版画もこのスタイルでやってみよう。

明日は立夏。これを機会に二十四節気の木版画と篆刻の新しいバーションを作ってみようかという気持ちになっている。

早朝の
陳列棚に
柏餅

帰り道
売れ残りたる
柏餅


2023年4月28日金曜日

鯉のぼりの川渡し

今日は,大阪までコンサートに出かけた。お天気も良く,コンサートは夜なので,早めに家を出て経由地の三宮を久しぶりにぶらぶら歩いてみた。人出はすっかり戻ったもよう。三宮のセンター街は人で溢れかえっている。少し気になって,いつものお店のウインドウを覗いてみた。やっぱりあった。ウィンドウには見慣れた木版画が既に飾られていた。

四万十川:鯉のぼりの川渡し(レインボーカラー)

もうすぐ子供の日,あちこちで鯉のぼりを見かけるようになった。最近子供と接する機会が多く,子供たちからエネルギーをたくさんもらっている。ダバダ〜♫,Don_Ichiro 69歳,いまだに違いはわからないが,少し若返った気がする。

鯉のぼり川渡し:兵庫区石井橋から






2023年4月23日日曜日

Man lernt nie aus!

教養課程で選択した第二語学はフランス語だった。しかし第一回目のフランス語の授業で聞いたフランス語は,僕がそれまで映画などで聞いて憧れていたフランス語とは似ても似つかないものだった。正確に言えば,耳に心地良く響かなかった。瞬時にしてそれを習う意欲を無くしてしまった。そのため大学院の入学試験の第二語学はフランス語では無く,独学で学んだドイツ語だ。正真正銘の独語だ(笑)。

あくまで私見だが,語学はやはり「読む」,「書く」,「話す」がバランスしていなければ身についているわけではないと思う。時々「読んだり,書いたりはできるが,話したり聞いたりはできない」という人がいるが,おそらくその人は,実は読んだり,書いたりもきちんとできていないんだと思う。「読み書き」ができて,はじめて話せるし,話せてはじめて「読み書き」ができるんだと思う。

二ヶ月間の入院中に再学習したドイツ語の教科書とノート

独学で始めたドイツ語もやはり独学は難しく,定評あるSchulz-Griesbach, Deutsche Sprachelehre für Ausländer を教科書として,J心のルカルツ神父に習うことにした。キチンとした発音で教えてもらうと習う意欲も出てくる。ルカルツ神父の話すドイツ語は耳に心地よかった。思い起こせば生まれて初めての外国語である英語を習ったのもJ心の神父さん達だ。ドイツ語もまず話すこと,聞くことからスタートした。

僕は西欧言語の本物の発音ができる人から語学を習うという当たり前のことに慣れてしまっていたのだ。だから日本人の大先生が教えてくれる教養課程の初めてのフランス語の授業には馴染めなかったのだと思う。

実を言えばフランス語やフランス語の先生に罪があるわけではない。馴染めなかったのはフランス語だけではない。明確な目的意識のないまま大学に入学した僕にとって,大学で提供されるすべての科目にあまり興味が持てなかったのだ(👉こちら)。

一応文法の基礎を終え,ドイツ語が自然に耳に響くようになった後,大学院の入学試験に備えて独文解釈の教科書を一人で勉強した。ドイツ語そのものより例文として揚げられている文章の内容が興味深く,しばしドイツ語を離れて楽しむことができた。それらは経営学部で提供される簿記や会計という科目よりずっと格調高く学問の香りがするように感じた。

受験に必要だったドイツ語は,その後20年間,仕事(計量経済学)で使う機会はまったくなかった。そのため,すっかり忘れてしまっていたが,1998年半年間のマールブルグ滞在で再びドイツ語に興味が湧いた。正確には必要に迫られたと言って良い。講義はドイツ語ではなく英語でよかったが(英語で講義するのも死ぬほど大変だったが),カフェでのコーヒーやケーキの注文,お肉屋さんでのハムやソーセージの注文にはやはりある程度のドイツ語が必要だった。

ドイツの生活の中では,かつて教科書で習ったそのままのドイツ語,例えばDas gehört nicht mir.(それは僕のものではない)や,Immer geradeaus!(ずーっとまっすぐ) ,Es kommt gleich(すぐに来る)をさまざまな場面でしばしば耳にした。ドイツ語を聞き取れたことが嬉しくて,すぐに場所を変えて自分でも使ってみたりした。一度使えばそれは必ず身についた。このように半年間の滞在中ドイツ語をちょっぴり楽しめたのも,帰国後再びドイツ語の勉強を始めた理由である。

幸運なことに,僕が勤めていたKB大学の経営学部にはドイツ語が堪能な先生が何人もおられた。黎明期の経営学はドイツからの輸入学問だったからドイツ語が欠かせなかったのだろう。事実多くの先生方の留学先はドイツだった。中でも国際会計が専門のK教授のドイツ語はほとんどネイティヴ,本物のドイツ語だった。そんな訳で僕のドイツ語学習の環境は極めて良かった。

K教授の奥様はドイツ人で,定年退職後は日本を離れ奥様と二人ベルリーンに住まわれていた。先生は「妻は異国の地で長い間苦労したから,次は自分が異国で苦労する番だ」と言われていた。先生はドイツから日本に来られたら必ず連絡をくださり,拙宅に泊まっていかれたこともある。残念ながらK教授は僕が定年退職する直前にベルリンで亡くなられた。専門分野は全く違ったが,先生には学部学生であった時以来ずっとドイツ語を通して親しくしていただいた。

このようにドイツ語は僕の生活とは切り離せない大切なものになった。まったく上達しないが,いまでもNHK(エヌ・ハー・カー)のラジオ講座「まいにちドイツ語」は続けている。ドイツ語は僕にとって仕事上必要というものでも無いし,生活のために必要というものでもない。この「実践的合目的性」を持たないところが,天邪鬼な僕の「性分」にマッチし,ドイツ語を学び続ける大きな原動力になっている。もちろん,それが上達を妨げている大きな要因なのは間違いないのだが。

これからの人生でドイツ語を使うことはおそらく無いだろう。

春愁やドイツは遠くなりにけり。

しかし,「いつまで経っても入門レベル」のドイツ語の学習はこれからも続けるつもりだ。Man lernt nie aus!

ラジオ講座のテキスト


ぼーっと生きていると危険だ!

トイレの手すりで頭をしこたま打った。手すりというか硬い金属製のハンガーのようなもの。尖った角で打ったため,少しだけだが血が出てきた。それもすぐに止まったから大丈夫だろうとたかを括っていたのだが,夜になると傷口がズキズキ痛むし,打った側の目や耳まで痛いような気がする。しかし,肩こり...