2023年3月31日金曜日

朧月夜

明日から4月。朧月夜の木版画を作った。実際の景色を見たわけでは無いが,歌のメロディーや歌詞から浮かんだイメージを木版画にしてみた。風景は正確では無いが,似た風景はこの裏六甲ではよく見られる。鳥居はどれも石造だから本当はグレーなんだが,フィクションで赤にしてみた。まさに紅一点。夜の風景に灯りが灯ったようだ。

図柄は極めて単純。それでも4枚の板を用いている。苦労したのは摺り。菜の花の色と,もちろん月の朧。菜の花は英語で フィールドマスタード(field mustard) だ。しかし辛子色の濃い黄色(イエローディープ)にすれば収穫時の稲のようになる。そこでレモンイエローと下部にライトグリーンの「付け合わせぼかし」を用いた。これで菜の花畑らしく軽くなった。

朧月は悪戦苦闘。プルシャンブルーの絵の具を伸ばした後,彫り込んだ月の周りを刷毛でボカすのだがこれが至難の技。実は今回はちょっと気取ってエディションナンバー付き,5枚(A.P.を含めて全部で6枚)摺ったのだが,朧の大きさや濃さ,すべてまったく別物のようになった。朧はまだまだ改善の余地がある。

朧月夜

小説でも音楽でも,どうも僕は月が好きなようだ。月は狂気を呼ぶ (lunatic)。僕の心には闇と狂気が潜んでいるのかもしれない。これまでに作った木版画にもしばしば月が登場する。これからしばらくは,月に関する木版画に取り組んでみよう。朧月夜は月に関する第一章。


帽子のお話:新しい帽子

大恐慌でニューヨークの街に溢れる大量の失業者も,ホロコーストで着の身着のまま強制連行される人々も,それがハンチングであろうがフェルトの中折れ帽であろうが,皆帽子をかぶっている。人間は深刻な状況の極限にあっても,尚且つ装飾を気にかけるのだろうか,それとも帽子は決して装飾ではなく,背広や靴と同様,必要最低限の衣服なのだろうか。僕はおそらく後者なんだろうと思う。そう思ってから帽子は僕の必需品になった。特に髪の毛を短くしてからは冬は冷たい風,夏は直射日光を防ぐため帽子は離せない。

愛用の帽子は,衣替えで触れたボルサリーノの中折れ帽の他,夏用には同じくボルサリーノのパナマ帽とジュートの帽子がある。その他,ハンチング,キャスケット,ニット帽など,どれも被りすぎで「くたびれて」しまうまで使っている。それぞれに購入時のエピソードがあり懐かしいものばかりだ。(注)

ロードスターに乗るようになってからベースボールキャップ(👉こちら)をかぶるようになった。幌をオープンしたときに風に吹き飛ばされないよう,ニット帽あるいはベースボールキャップのように頭にきっちりとフィットすることが必要だからだ。ただどうもベースボールキャップだけは心から好きになれない。いかにも某国的(実際,某国の某前大統領の選挙集会などでは支持者だけでなく本人もかぶっているのを報道でよく見かける)な感じが強すぎて嫌なのだ。

冬はニット帽で問題ないが,夏にニット帽は頭が蒸れる。そこで見つけたのが写真のサファリハット。顎紐がついているので,風に吹き飛ばされないし,素材が薄く,通気口があるため頭が蒸れることもない。ちょいよれっとしているがそれもまた風合い。実は,帽子そのものより,帽子の前面にかかれたschöffelというロゴが懐かしくて思わず購入した。ウムラウトがあることからもわかるように,schöffel(ショッフェル)はドイツのブランドだ。

サファリハット

1998年の初夏,フランクフルト近郊に住むK夫妻とマッターホルンへ行った。マッターホルンはスイスとイタリアの境にあり,フランクフルトからはかなりの距離である。自動車で深夜出発し早朝ツエルマット(Zermatt)に到着するという強行スケデュール。強行スケデュールとは言っても運転するのはKさんで僕は後ろの座席で居眠りをしているだけ。国境のトンネルでは自動車ごと貨車に積み込まれるという珍しい体験までできた。

ドイツでの滞在目的はマールブルグ大学(👉こちら)での講義だったが,半年間外国語での講義を無事こなすことができるかどうかがとても心配で,滞在中に山に行くことなど想像もしていなかった。夏山のハイキングだから大層な装備は不要だが,簡単な装備をドイツで購入した。その時フランクフルトのスポーツショップで勧められたのが,schöffel(ショエッフェル)のジャケット。湿気を逃す軽い素材で,風避け,雨よけにもなる。

実は,購入後,少し窮屈な感じがあり直ぐにお店まで一つ大きなサイズと交換に行った。言葉も話せないのに,きちんと交換に行ったことをK夫妻に褒めてもらったことをよく覚えている(笑)。まあ「普通の人なら言葉もわからないのにそんなややこしいことをせずに少し小さく感じるぐらいなら辛抱するだろう」というわけだ。実際,身振り手振りで説明するのに大変苦労した。当初のブルー(まさにプルシアン・ブルー)が,大きいサイズではグリーンに変わったが,ヤッケは20年以上経った今でも健在だ。春先や秋口のハイキングには欠かせない。

マッターホルンをバックに:44歳の僕

マッターホルンはお天気にも恵まれ素晴らしかった。何よりも素敵な友人との二泊三日を心から楽しむことができた。このschöffel(ショエッフェル)の帽子は僕のお気に入りの一つになるだろう。

(注)ジュートの帽子は映画「ラマン」でジェーンマーチ(女性)がかぶっていたのがすごく印象的で夏用に購入した。やはりボルサリーノ。ジェーン・マーチのえんじ色のリボンと違って綺麗なブルーのリボンだがとても気に入り,長い間かぶっている間にだいぶ日に焼けた。実はボルサリーノとの出会いはハンチング。2002年フィレンツェのボルサリーノの店で購入した。僕は頭が大きいので(頭の大きさは問題ではない,中のミソが問題だ,というのは志ん生の落語の枕)フィットする帽子はないと思い込んでいた。ふと入ったボルサリーノのお店でそのことを冗談混じりで言うと,「ちょうど合うような良い帽子がある」と,お店の女主人が千鳥格子のしゃれたハンチングを出してきてくれた。かぶってみるとピッタリ。即購入という運びになった。帽子とお揃いの柄のマフラーもあり勧められたが,それはちょっとやりすぎかな?と帽子だけにしたのだが,やはり購入しておくべきだったと20年間後悔し続けている。そのハンチングも昨年,鍔のなかの型紙が割れてしまって被らなくなった。今はもっぱら,代わりに求めたグレーのハンチング(正確にはカスケットに近い)をかぶっている。これは映画「麦の穂を揺らす風」(👉こちら)でアイルランドのレジスタンスがかぶっている姿に触発されて愛用するようになった。とても良い映画だった。このように帽子だけでもそれぞれにさまざまなエピソードが詰まっている。



2023年3月29日水曜日

帽子のお話:衣替え

帽子を愛用して既に10年以上が経つ(愛用の契機はこちら👉)。定年後帽子をかぶる機会はめっきり減った。特にチャコールグレーの帽子は,この冬,京都のお茶会に招待された時にグレーのスーツに合わせてかぶったのが唯一の機会。それでも毎年秋になると愛用の二つの帽子を出してくる。お気に入りはグレージュのショートブリム。これは色合いと通常より狭い鍔(ブリム)がカジュアルな服装にマッチするため,この冬も何度かかぶる機会があった。

チャコールグレー(左)とグレージュ(右)の帽子

すっかり春らしくなったので帽子の衣替えをすることにした。衣服の衣替えは洗濯を伴うし,時期や収納場所の選択などが難しく,僕の手に負えるものではない。しかし帽子だけは毎年自分でやることにしている。帽子は洗濯はしなくても良いものの,たまった埃を丁寧に取り去ることが必要で,帽子の形状にあわせた専用のブラシがある。

微妙なカーブのついた専用ブラシ

このブラシでピンチ,ブリム,クリースといった部分のフェルトについた埃を丁寧に払っていく。そして帽子の形状を一定に保つようにして固い立派な箱に仕舞い込むのである。

型崩れを防ぐため型紙の窪みに帽子を入れる

箱の蓋をして完了

しかし,この作業は,いうほど難しくはなく,一つ10分もあれば十分。愛用の帽子はどちらもボルサリーノ。アランドロンとジャンポールベルモンドの映画の題名にもなったイタリアの老舗の帽子屋のものだ。この冬はあまり帽子をかぶる機会はなかったが,次の冬は出かける機会も増えるだろう。帽子をかぶることが増えることを楽しみにしている。



 







2023年3月19日日曜日

唐招提寺

和歌山までお墓参りに行った。いつものようにお昼は一橋庵という割烹でちょっとしたお寿司を食べて,駿河屋で羊羹を買って帰ろうと考えていたのだが,コロナ禍もだいぶ収まり活気が戻ってきたようで,どちらのお店も駐車スペースもないほどの賑わいだ。お寿司と羊羹は断念した。

帰り道,お天気も良いしこのまま神戸に戻るのも勿体無いと思い,奈良の唐招提寺に寄ってみた。奈良の街からは少し離れたところにある唐招提寺は人出もすくなくゆったりしたお寺でとても落ち着いた気分になる。

国宝 金堂

教科書で見慣れた鑑真和上像,本物は六月五,六,七日の三日だけ公開ということで「身代わり像」と称するレプリカが一般に公開されている。レプリカにもかかわらず,不思議なことにやはり撮影禁止。何らかの理由があるのだろうが詳細は不明。

唐招提寺を出る時に,ふと「二人展」を機に連絡をとったT先生がこの近くに住んでおられることを思い出した。スマホの連絡帳にその住所を見つけ,訪ねてみることにした。50歳代で民間企業から留学生担当社会人教官としてK大学に移って来られたT先生,今年は87歳になられるとのこと。このような時期に加え突然の訪問だったので,玄関先だけで失礼したが,本当に久方ぶりにお目にかかった先生は,昔と変わらずお元気そうで安心し,とても幸せな気持ちになって帰路についた。

今日も良い日だった。めずらしく墓参りなどと良いことをすると,付随してさらに良いことも起こるものだ。


2023年3月14日火曜日

お習字の作品展

僕はかつてお習字の教室に通っていたことがある。通っていただけでまったく上達しなかったが,篆刻や木版画という道楽を覚えたのは,このお習字の教室だ。振り返れば,篆刻そのものに興味があるというよりは,篆刻の作成過程で,一心不乱に石を刻すことが気持ちよかったのだと思う。ヘミングウェイに次のような記述がある。

創作にとりかかっているときの私は,その日の仕事を終えると,誰か別人の本を読む必要があった。そうしないで仕事のことばかり考えていると,翌日再開する前に迷路にさ迷い込んでしまう。だから,一仕事終えた後は何か運動をして,肉体を疲労させる必要があった。(・・・中略・・・) 創作の井戸をからからに涸れさせず,まだ井戸の底に水が残っている段階でいったん切り上げて,夜のあいだにまた泉から注ぐ水で井戸が満たされるようにする − それが最善の策だということに私はすでに気づいていたのだ。  

出典:アーネスト・ヘミングウェイ,高見浩訳「ユヌ・ジェネラシオン・ペルデュ (失われた世代:Une Génération Perdue)」,『移動祝祭日(A Moveable Feast)』(新潮文庫)

僕にとって,夜研究をいったん切り上げ,石を刻すことに没頭することが,迷路にさ迷いこまず仕事を継続するために極めて効果的だったのだ。それだけでなく,石や木を彫るということが現在の道楽にもなっている。お習字はやめてしまったが,教室で指導していただいた先生や親切にしていただいた友人たちには心から感謝している。

前置きが長くなったが,教室に通っていた当時とてもお世話になったお二人から作品展の案内をいただいた。お一人はこのブログの読者で,毎回ブログの感想を送ってくれるNさん,もう一人はインスタグラムをフォローしてくれ,いつも👍をくれるHさんである。昨日,三宮センター街の入り口の一等地にあるギャラリーへ伺った。Nさんは「良寛のうた」,Hさんは「枕草子・木の花は」だ。どちらも書だけでなく,書かれていることに感銘や共感をおぼえる素晴らしいものだった。

Nさんの作品の前で


Hさんの作品:作品は壁にかけるのではなくテーブルに置かれていたので撮影ができない。

おまけに横長なので写真に収まらない。一部分だけでごめんなさい。


他にもたくさんの素晴らしい作品が展示されていたが,教養の無い僕には,書かれている内容がまったく理解できない。書かれた人は,それぞれの漢詩から受けた感動を,素晴らしい字で表現されているのだろうが,残念ながらその感動を共有できる素養が僕にはない。おそらく僕のお習字修行が長続きしなかったのはそこに問題があったのだろう。

少し気落ちしてそんなことを考えながら,車を停めていたデパートの駐車場まで歩き,通りかかった画材屋さんのショーウインドウをふと見ると,2年前に作成した菜の花(春分)の木版画と篆刻が飾られていた。

春分の菜の花

こんな拙い作品でも大切に持っていてくれたんだと思うと,とても嬉しく,ちょっぴりハッピーな気持ちで帰路についた。明日から新しいことにチャレンジする。ちっぽけなチャレンジだが,今日はなぜかワクワクする。

ぼーっと生きていると危険だ!

トイレの手すりで頭をしこたま打った。手すりというか硬い金属製のハンガーのようなもの。尖った角で打ったため,少しだけだが血が出てきた。それもすぐに止まったから大丈夫だろうとたかを括っていたのだが,夜になると傷口がズキズキ痛むし,打った側の目や耳まで痛いような気がする。しかし,肩こり...