2022年10月31日月曜日

裏庭の風景:11月

明日から11月。朝晩はすっかり冬の気配だ。裏庭で,ふとジャスミン(ホワイトプリンセス)の花が一輪だけ咲いているのを見つけた。近くによると微かに良い香りがする。「ホワイトプリンセスの開花時期は9月から11月,晩秋の花」という記述を信じて,それを11月の木版画とすることに決めたのは9月の終わりだった。ジャスミンの花は満開ということはなく,一つ咲いては消え,別の花が一つ咲いてはまた消えを繰り返す。花が咲き誇るというような感じではない。今は最後の花がまさに咲こうとしている。明日にはそれが咲くだろう。

ジャスミンの葉

ジャスミンの花や木をそのまま木版画とするのではなく,それから連想されるジャスミンティーのイメージをちょっとばかり幻想的な木版画にした。これはコンビニエンスストアに売っている味気ないペットボトルに入ったジャスミンティーではない。アイスブルーの背景に,葉の色は,ライトブルー,ミドルブルー,ビリディアンの三色,ティーポットからジャスミンの香りが立つイメージを描いたつもりだが,やはりそこは才能が不足しているため,そのような雰囲気は醸し出せなかった。

ティーポットとジャスミン

篆刻は11月の月名,霜月。由来には諸説あるが「霜が降る月を略して霜月」が有力。長月,神無月と朱文が続いたので,霜月は細めの白文とした。霜という漢字は僕のお気に入りの一つだ。

2022年10月30日日曜日

同期会

KN大学2006年卒業の同期会があり10名が三宮の中華料理店に集まりました。中心となってお世話してくれたのは,仕事で滞在するマレーシアから一時帰国中のA君と,チェコ,イギリス,南アフリカなど仕事で世界をまわり大活躍のH君。皆に出会ったのは高校を卒業したばかり少女のような女子学生だったのが,今は皆とても魅力的な大人の女性になっている。本当に気持ちのいい元学生たち。彼,彼女達の元気な姿から,元気をいっぱいもらいました。ありがとう。

男性は僕を含めて3名

美味しい料理を堪能

しゃれた中華料理店

 

2022年10月29日土曜日

僕の「奥の細道」(VI)2022年10月29日

昨日金沢に到着した。今日は今回の一人旅の最終日。あとは神戸まで帰るだけだ。昨日の走行距離は290キロとそんなに多いわけではない。しかし旅も6日目になると疲れが出たのか金沢に到着後,ホテルですぐに居眠りしてしまい,街を散策することができなかった。朝早く目が覚め,美味しい朝食を済ませた後,ぶらりと町の散策にでかけた。まずは徒歩で15分にある東茶屋街。とても風情のある街で,さらに早朝のため,地元の人以外の観光客もおらず,居心地がすこぶるよい。金沢も今回どうしても訪れたかった町だ。

学生時代からお世話になったF先生は金沢の出身だ。厳しい先生であったが,定年後もよく僕の研究室を訪ねてくれ,夏と冬には金沢のお菓子を送ってくださる優しい先生だった。まさに「仰げば尊し,和菓子の恩」である。

指導教官だった経営統計論のM教授と証券市場論のF教授,それともう一人経営数学のI教授はすべて同じゼミナールの出身という繋がりがあり,ずっと親しくされていた。F先生は2020年,「二人展」の相方Dさんが亡くなった三ヶ月後に亡くなった。僕は直接論文の指導を受けたわけではないが,研究者としてずっとお手本としてきた先生である。

東茶屋街にそのお菓子屋や,ホテルから東茶屋街への途中にはときどき先生がくださった飴の飴屋もあった。早朝で,まだ開いていなかったが,とても風情のあるお店だった。茶屋街は格子や石畳など風情あるとても居心地の良いところだった。

老舗のお菓子屋

東茶屋街の街並み


浅野川

老舗の飴屋

当初は,奥の細道結びの地である岐阜県の大垣市に立ち寄って帰る予定だったが金沢がすばらしく,もう少し午前中金沢を散策することにした。とても素晴らしい街でとても半日では足らない。いくつか見所は回ったが日を改めてまた金沢を訪れるつもりだ。

西茶屋街の街並み

西茶屋街の街並み

犀川

犀川の畔に,芭蕉の句碑を見つける。

あかあかと
日は難面も
あきの風

  芭蕉
予定通り大垣に立ち寄る時間は残っていたが,金沢のあまりの素晴らしさに「もうこれで十分」と考えこの地を今回の一人旅の結びの地とした。日光や那須,高速で素通りした敦賀など今回行けなかったところは日を改めて行こうと思う。お昼過ぎ金沢を出発,昔山登りに行く時によく使った北陸自動車道を経由して,息子家族の住む京都へ立ち寄り,少しばかりのお土産を渡し,孫と将棋を一局。夜無事神戸に到着。僕の「奥の細道」は終了した。今日の走行距離は364キロ。7日間で合計2,412キロ走行したことになる。

今回のロードスターでの一人旅,旅の見どころをポイント,ポイントで楽しむというよりは,移動の間,車の窓からのみる景色の連続がとても素敵だった。これは車での旅でしか味わえない。特に山形の山道,のどかな庄内平野,月山や鳥海山の眺めなど素晴らしいものだった。



2022年10月28日金曜日

僕の「奥の細道」(V)2022年10月28日

長岡に立ち寄ったことはとても良かった。ちょっと上等のホテルに泊まったから朝食も美味しく新たなエネルギーが注入された感がある。昨日の夕方の天気は曇りだったので,出雲崎で日本海の夕日を見ることは断念したが,今日は快晴。さっそく出雲崎へ向かうことにした。出雲崎までは30分ほどの距離,日本海に面したところにあり,目の前に佐渡島が見える。明石海峡を隔てた淡路島をイメージしていたが,佐渡島は思ったよりも大きく,そして遠く全く違っていた。淡路島とは比べ物にならないほどずっと大きく,スマホのカメラには収まらない。(注)

佐渡島:向かって左端

佐渡島:中央

佐渡島:向かって右端

荒海や
佐渡によこたふ
天河

  芭蕉

朝訪れたので天河は見えなかった。しかし長岡から出雲崎までの道中,夜に,慣れないこの山道を通るのはとても危険なことだと実感した。もし昨日の「奥の寄り道」がなければ夜に出雲崎に来て事故に遭っていたかもしれない。父が守ってくれたんだろう。いずれにせよ,ここでのんびり佐渡島を眺めているだけで至福の時間だった。
穏やかに
佐渡まで続く
秋の海  
朝凪や
佐渡によこたう
秋の雲
  一郎  
今日の目的地金沢までは270キロ。3時間もあれば到着するので時間はたっぷりある。ゆっくりと高速の長岡北スマートICまで向かうことにする。途中道沿いに見つけた「江口だんご」に立ち寄り,出来立ての長岡名物「笹団子」を食う。



なんとも風情のある団子屋

団子食い
見渡す先の
秋の雲

    一郎 

今日は佐渡島を眺めることができただけで十分だ。日本海を右手に見ながら金沢へ向かう。ここでもやはり日本海に面した原子力発電所が見える場所がある。東京の豊かな生活は,福島や新潟のリスクの上に成り立っていることを実感する。

途中親不知の断崖に立ち寄り一路金沢へ向かった。親不知はまさに絶壁だった。昔は絶壁の下の海岸,波が来ない時を見計らって下の写真の部分を走って通り過ぎたとのこと。親不知という言葉に似合わない海の青さがとても美しい。意外に早く金沢に到着した。今日の走行距離は290キロ。

親不知の断崖から


(注)恥ずかしながら,淡路島の方が佐渡島より大きいと,ずっと勘違いしていた。調べてみると佐渡島の面積は淡路島のほぼ1.5倍だ。最初ブログにもそのように書いていたがここに訂正します。

 

2022年10月27日木曜日

奥の寄り道:長岡(父の思い出)

長岡に寄ったのは訳がある。今回の一人旅の目的の一つが長岡を訪れることだった。僕が26歳のとき,55歳で死んだ父は旧制長岡高等工業(現在の新潟大学工学部)の応用化学科の出身である。和歌山という暖かい所で生まれ育った父がどうしてそんな北国の学校へ行ったのかはよくわからないが,旧制中学校ではなく旧制工業学校に通ったという経歴が関係しているのだろう。 

ただ長岡高等工業(→こちら)は,高等工業と言いうものの,初代校長の方針で,応用一辺倒ではなく数学,物理,化学などの基礎学問に重点をおく学校だったらしい。そして学生服ではなく皆背広を着ているちょっとハイカラな学校だったということだ。このことは経営学部という「簿記,算盤」の学風の中で,経済学という基礎的な分野を専門とした僕に通づるものがある。

父はよく長岡の話をしてくれた。和歌山から長岡へ初めて行きスキーができなければ下宿から学校まで行けなかったこと,長岡駅で大阪から来た汽車をみて和歌山が懐かしかったこと,そして先に述べたような長岡高等工業の校風などだ。新潟大学工学部はすでに新潟市のキャンパスに移転し長岡には教育学部の附属学校があるだけということだ。ウェブには今は跡地に小さな碑があるとのこと。どうしてもそこを訪れてみたかった。

跡地は,現在の長岡市民文化公園 (市立体育館・市立中央図書館)にあるという。夕方にそこを訪れたが,ちっぽけな碑なのだろうかなかなか見つからない。図書館の受付で聞いてみたがそんなものは見たこともないとのこと。それどころかここに長岡高等工業があったということもご存じなかった。体育館の事務室でも聞いてみたが,やはりわからない。ただ大きな記念碑みたいなものが図書館と体育館の間ぐらいにあるから一度見てみたらどうかと言われた。まあ大きな記念碑といわれた時点で僕が探している碑とは違うだろうなあと半信半疑で行ってみると何と新しく建てられた立派な碑だった。



上から,古い名称順に「長岡高等工業学校」,「長岡工業専門学校」,「新潟大学工学部」と書かれている。新制の新潟大学工学部となった後もしばらくここにあったらしい。長岡に寄った甲斐があった。悠久山という山を望む場所にある。そこで随分昔,高等工業の学生だった父が見た景色と同じ景色を見ているのだと思うと胸がジーンとした。本当に来た甲斐があった。
長岡の
石碑に映る
秋の雲

 一郎 

夜は長岡駅に出かけた。駅に朝日酒造の直営店があり,そこで「久保田」という長岡の地酒を購入した。その直営店で教えたもらった料理屋でちょっと上等のお寿司を食べて,帰り駅の近くのカフェで暖かいコーヒーを飲んでホテルに戻った。



僕の「奥の細道」(IV)2022年10月27日

昨晩鶴岡に到着後,3000円のお買い物クーポンで街へ夕食をとりに出かけた。日本海側の街だからお魚が美味しいだろうと思い,ちょっとした居酒屋に入りお刺身を食べた。明日は特に決まった予定はないのでゆっくりできる。ホテルには無料のランドリールームがあったため,たまった下着などをすべて洗濯する時間も十分あった。

朝食を済ませて7時半,いざ出発と思ったら,お気に入りの帽子がない。何年か前髪の毛を短く切ったので,帽子は防寒にかかせない。特に冬の幌全開の走行には必需品だ。

お気に入りのパタゴニアのキャップ

ベッドの横の隙間に落ちたのだろうか,毛布のなかに巻き込んでいるのだろうかと探したが見つからない。昨日でかけたのは居酒屋さんだけだからきっとそこに忘れているのだろう。領収書を見ると開店時間は朝11時とある。まだまだ先だが,まずは予定していた湯殿山神社へ行って11時を待つことにした。その途中,忘れ物の問い合わせと電話番号を記したメモを居酒屋のドアのスリットから投げ込んでおいた。あれば電話がかかってくるだろう。なければ湯殿山神社から直接次の目的地長岡へ向かおう。

湯殿山神社までは一時間足らず。麓まで山形まで続く高速道路を使うことができる。当初はちょっと寄るだけで帰るつもりだったが11時までたっぷり時間があるので,参拝することにした。山の下に平安神宮の鳥居並みの大きな鳥居がある。そこから山道を30分たった一人歩きながら本宮を目指す。

参道の入り口の鳥居

参道の途中振り向けば山形の山並みが素晴らしい。小さな鳥居(赤くでかい鳥居よりずっと風情がある)や月山に続く山々など早朝の素晴らしい景色を堪能できる。帽子を忘れていなかったら素通りするところだったから忘れ物の効用だろうか。

人一人いない本宮へ続く参道

振り向けば山

紅葉と小さな鳥居

月山に続く山

本宮への参道にある鳥居から先は写真撮影禁止。せせらぎのような音を聞きながら谷底へ下っていくと何やら建物があり神主さんが一人。ここで靴を脱いで裸足になれと言われる。裸足にならないと神社に入ることはできないのだ。もちろんタダではない。これから先に入るために500円必要。そして小さな紙人形とお守りのようなものをくれて,お祓いをしてくれる。お祓いをして身の汚れを紙人形に移し,それを水の流れに流さなければ入れないのだ。これなら500円は高くない。久しぶりになんとなく身が清められた気分になる。しかし足が冷たい!不思議な御神体を拝み(帽子がありますようにとお願い),もとの入口まで帰ってくる頃には足は縮かんでしまって感覚がほぼ無くなっている。みなそうなんだろう。入り口には温泉の足湯が用意されていた。忘れ物のおかげで良い経験ができた。とても神秘的な感覚だった。

雲の峯
幾つ崩れて
月の山

語られぬ
湯殿にぬらす
袂かな

 芭蕉

湯殿山
銭ふむ道の
泪かな

 曾良

火恋し
足冷たきや
湯殿山 
湯殿山
下る参道
秋の風 
 一郎

鶴岡へ戻る途中スマホに電話の着信が。居酒屋さんから帽子があったとの連絡。湯殿山神社でのお願いが通じた! 11時から開店だが既に開いているのでいつでもOKとのこと。しかしやはり準備中は立て込んでいるだろうから11時に伺うことにした。少しだけ時間があったので,致道館という庄内藩の藩校に立ち寄ることもでき,道中の景色と合わせてしばし藤沢周平の世界に浸った。11時になって居酒屋さんへ帽子をとりに伺いお礼をいって長岡へ再出発。日本海を右手に見ながらの素晴らしいドライブを楽しんだ。ただ帽子騒ぎでバタバタとしたためスマホの充電器をホテルに忘れてきてしまった。

意外に早く目的地長岡に着くことができた。長岡については別に詳しく話すことにする。長岡は今回の旅の目的の一つでもあるからだ。今日の走行距離は281km。

 





 

2022年10月26日水曜日

僕の「奥の細道」(III)2022年10月26日

1日目は554km,2日目は552kmという強行日程だったが,昨日は234kmという適度の距離の移動,それも鍋越峠を越える山道のワインディングロードや素朴な家並みの中の母袋街道などの楽しいドライブだったから一息つけた気がする。さらに天童市で宿泊した旅館は素晴らしく居心地がよく,つかれがすっかり取れた気がする。夜は10割そばと天ぷらをいただき生き返った心地。

早朝温泉につかり,美味しい朝食のバッフェ(僕はホテルの良し悪しは朝食で決まると考えている。I日を気持ちよくスタートするためには何と言っても美味しい朝食だ)の後,山寺の立石寺に向かった。山寺に到着したのは8時30分。麓の駐車場にはまだ人影もない。よく見ると「管理人がいない時は,このメモに自動車のナンバーを記入し500円を包んでポストに入れてください」との掲示がある。

立石寺の山門に着いたが人影はまったくない。入り口で入場券を購入したときに聞くとそれでも既に二、三人のひとが入山したとのこと。ここからてっぺんの五大堂まで1000段以上の階段を登らなければならない。人は誰一人いない静寂の中,ゆっくりゆっくり登り始めた。

折れ曲がりながら続く階段

中程より少し手前か,「せみ塚」に到着。芭蕉の句碑がある。

閑かさや
岩にしみ入る
蝉の聲

  芭蕉

句碑:芭蕉はここで俳句を詠んだという。ほんとうかなあ?

閑かさや
聲なき塚の
秋の寺

   一郎

かなり上まで登ってきた。ふと振り返ると人影が。ゆっくりゆっくり登ってきたからだんだん後続に追いつかれてきたようだ。しかし振り返った景色をみると生き返るようだ。

振り返ると人影が

前を見ると,紅葉した木の向こうに納経堂。五大堂はもう少しだ。五大堂に到着するとそこには既に5人ほどの人がいた。五大堂からの素晴らしい眺望は,長い階段の疲れも吹き飛ばす。ガイドブックには立石寺の見学には階段の往復を含めて3時間は必要とあったが,思ったほどきつい坂道ではなく,片道30分をみておけば十分だ。帰り道,かなり年配の人たちが登ってこられているのと出会った。

紅葉の納経堂

五大堂からの眺望

紅葉の
山寺降りて
膝笑う

 一郎

 予定より早く階段を降りてくることができた。十分時間があるので,午後に予定している最上川船下りも一本早い船に乗船できそうだ。余裕を持たせた計画なので,ひとまず天童市内に戻り,昨日スキップした「天童将棋資料館」を覗くことにした。さまざまな将棋の駒が展示されていてとても楽しい。さまざまな将棋グッズが売られていたが,ここでもやはり主役は藤井聡太。

午後の予定は最上川船下り。予定より早く到着したので一つ早い船に乗ることができた。乗船場で軽く昼食をとって出港を待つ。思ったより人が多いのと,コロナ禍で席の間隔を十分にとるためか,船は二隻に分けて出港した。隣に座った長岡から来たという年配のご夫婦が親切にもお饅頭をひとつ下さった。僕がよほど貧乏に見えたのだろうか?

たいそうな時代錯誤の乗船場

紅葉の時期には少し早かったようだが,快晴,雨の気配もない穏やかな天候と川の流れで快適な船下りを楽しむことができた。

五月雨を
あつめて早し
最上川

  芭蕉
海の船は船底が三角形に尖っているが,川の船は浅瀬が多いため平面になっている。そのため波があたると底からドン,ドンという音が聞こえる。そういえば文楽では川の流れをドン,ドンという太鼓の音で表していたことを思い出した。

静かに流れよ最上川

秋晴れに
あつめる雨なし
最上川
船下り
ところまだらの
紅葉かな
 一郎
船下りの難点は,フェリーではないから自動車を乗せることができないことだ。ロードスターは乗船する古口港の駐車場に停めておかなければならない。一時間足らずの船下りのあと下船した草薙港からバスで古口港まで戻る必要がある。バスの窓から戻る船が見える。小さな船だ。かの「おしん」はやはりこの最上川を下って酒田へ奉公に出た。

最上川を戻る船

今日の予定は完遂。あとは宿泊地鶴岡まで30キロほど。のんびり一般道を走っていると,「出羽三山神社は左折」という標識が出てきた。意外に近く日もまだ高いので寄ってみることにした。月山神社,湯殿山神社,出羽神社を一堂に集めた何とも便利なところだ。事実月山の頂上にある月山神社にはこの時期行くことはできないし,湯殿山神社への道も11月上旬に閉鎖されるとのこと。神社は屋根の補修工事中で少し興醒めだったが,ここにも芭蕉の句碑があった。

数々の名所旧跡,川下りなどはもちろん素晴らしいが,何よりも幌を全開したロードスターの運転中に眼前に広がる庄内平野や月山などの山形の風景が素晴らしい。昨日の母袋街道,鍋越峠を含めて,今回の一人旅で最も楽しめたのが,車窓からの風景だ。運転中,撮影できないためそれをお見せすることができないのは残念だが,やはり実際に山道,田舎道を車で走らなければそれを感じることはできない。そしてこの爽快感は,オートマの高級車では絶対得られない。今日の走行距離はたった137キロ。立石寺の階段,最上川船下りなど盛りだくさんだったが,ちょっとした休息ができた。

山形道
頭上を過ぎる
秋の風 
幌開き
庄内平野
秋の空

  一郎

羽黒山大鳥居の近くから月山を望む










2022年10月25日火曜日

僕の「奥の細道」(II)2022年10月25日

松島で昨晩泊まったホテルは朝夕の食事付きだったため,宮城県のお買い物クーポンは夕食には使えない。次の日は岩手県の平泉が中心の行程だからその日のうちに使わなければならないため,ほぼ「ガッチリ買いましょう」状態で夕方は買い物に明け暮れる。さらに名物の笹かまぼこは賞味期限が短く,これからの旅の日程を考えると購入することもできない。上等のお菓子も日持ちがしないなど悪条件が重なり,結局夜の小腹の足しになるようなものばかり買ってしまった。まあいいか。

今日は快晴!さっそく小高い丘に登って松島湾を見渡す。たくさんの島が湾内に散らばる景色が見える。日本三景はこれで全て見たことになるが,天橋立の洲,宮島の厳島神社ような特徴的なものがわからずピンとこない。素晴らしさをわかるためには遊覧船に乗らなければならないのかなあ?

松島湾

松島でも芭蕉は俳句を残しておらず,曾良が素敵な俳句を残している。

松島や
鶴に身をかれ
ほととぎす

    曾良


今日の目的地は平泉。ここからは100キロ足らず。高速道路をつかえばI時間ほどで到着するはずだ。しかし平泉では訪れる予定も盛りだくさんだ。遊覧船は断念し,早めに松島を出発することにした。

午前10時には中尊寺に到着。中尊寺の駐車場に車を停めて本坊表門を目指すが意外と長くきつい坂道。休み休みたどり着いたが,まあどこにでもあるような山門だ。この向こうに本堂がある。

本坊表門

中尊寺の見どころは,なんといっても国宝の金色堂なんだが,コンクリートの立派な建物の中にまるで商品のように飾ってあるのには興醒め,おまけに撮影禁止の完全防備体制。

五月雨の
降りのこしてや
光堂

    芭蕉

芭蕉のころはきっとコンクリートの建物はなかったんだろう。僕は金色堂よりも,境内のあちこちに点在するさまざまなお堂の方が心に響いた。途中三人連れの年配の女性たちに集合写真の撮影を頼まれてお一人のスマホで撮影。そのお礼にと僕の写真も撮ってくれると言われる。一人旅で,芭蕉像の前,思いがけず僕自身の写真を取ることができた。

中尊寺経蔵

芭蕉像の前で

紅葉にはまだ少し早い

駐車場に車を停めたまま,徒歩で高館義経堂へ向かう。高館義経堂は義経が最後を遂げたところで弁慶が義経を守り立ち往生したと言われるところだ。少し階段を登ると,吉野山の「隠れ塔」とよく似た建物があった。義経が自害した所だ。やはり華美な建物は似合わない。芭蕉の俳句の碑があった。

夏草や
兵どもが
夢の跡
    芭蕉

お堂そのものよりも,お堂への階段の途中で見た平泉ののどかな景色と道端の雑草に何故か感動した。

秋空を
川面に映す
北上川

 一郎


平泉を流れる北上川

夏草ではなく秋草だけど

平泉の最後は毛越寺。中尊寺からは少し離れているため自動車で移動。実は芭蕉は毛越寺は訪れなかったということだ。立派なお寺と池だったが,そんなこともあって入場はしたが,本堂を眺めて,池の周りの遊歩道をゆっくり散策するだけで,ほぼ素通り状態。

毛越寺(池の向こうに本堂が見える)

中尊寺,高館義経堂,毛越寺の訪問で,本日の目的は完遂した。残すは今夜の宿泊地,山形県天童市までの移動だけだ。しかしこの移動が思いもかけず素晴らしい移動になった。朝来た道を古川ICまで戻り,そこから国道347号線の山越の道や田舎道母袋街道を抜けて尾花沢経由で天童に向かう。一人旅ゆえ写真が撮れないのが残念だったが,それより幌全開で紅葉の山中,ワインディングロードを爽快にドライブできた。紅葉を眼前に,耳には鳥の声,爽やかな秋風,排気ガスともほぼ無縁。すばらしいドライブだった。

峠道
山の中には
秋の声 
秋晴れの
鍋越峠
われ一人
秋高し
母袋街道
下り坂

一郎

天童には夕方到着。将棋の駒の生産日本一の街だ。ホテルのロビーには大きな将棋盤と将棋の駒,宿泊者へのサービスの温泉卵の石鍋の蓋も将棋の駒の形をしている。将棋好きの僕にとってはたまらない。

何故か角と飛の位置がおかしい。誰かの悪戯か?

蓋を開ければ〜,卵が見える〜♪

















2022年10月24日月曜日

僕の「奥の細道」(I)2022年10月24日

10月24日月曜日のお昼少し前に福島県の白河の関に到着した。ロードスターで巡る僕の「奥の細道」の出発点だ。芭蕉の「奥の細道」の起点は東京(江戸)で長い時間をかけて弟子の曾良と二人徒歩で巡るものだから,自動車で正確に彼らの道を辿れば,立ち寄るところが自ずと異なってくる。たとえば,「二,旅立ち」のあと,白河の関が出現するのは,草加,日光などを経て十一番目だ。「白川の関にかかりて旅心定まりぬ」と記されていることなどを考え,僕の「奥の細道」の起点は白河の関とすることにした。

起点とは言うものの,神戸からは800キロ程離れている。実は出発したのは前日の10月23日。軽井沢の旅館で一泊し,翌日に起点にようやく到着したわけである。それでも,軽井沢まで自宅から約500キロ以上,かなりの距離である。しかし毎夏のように利用する中央自動車道は勝手知ったる道なので安心して運転できる。事実,何度も訪れた梓川SAから順調にいけば1時間程で目的地の碓氷軽井沢ICに到着する。軽井沢で泊まったのは,老舗旅館。長丁場の後なのでどうしても大きな温泉がある旅館に泊まりたかった。

荷物はこれ一つ。入っているのは衣料だけ。

駐車スペースもちゃんと確保されていた!

泊まったのは,何やら有名な小説家も泊まったという老舗旅館。少し高いが10月11日から始まった「全国旅行支援」制度のおかげで5000円割引,その上3000円のお買い物クーポン付き。軽井沢は通過地点に過ぎず,夕方「ガッチリ買いましょう」スタイルでりんごバタージャムをふたつ購入。残りは軽い夕食代。運転疲れで食欲なし。

翌日早朝チェックアウトし,関越道,北関東道を経由し,ひたすら東北自動車道を北上,昼前山奥の白河関跡に到着した。今は小さな碑とその奥に神社があるだけ。人も少なく曇り空のもと,ひっそりと碑が立っていた。しかし,いざここから僕の「奥の細道」が始まると思うと,身が引き締まる。まさに「白川の関にかかりて旅心定まりぬ」だ。

白河関跡の碑

実は芭蕉は白河の関では俳句を残していない。しかし旅に同行した曾良が素敵な俳句を残している。

卯の花を
かざしに関の
晴れ着かな

    曾良

再び東北自動車道に戻り,SAで軽く昼食。このまま北上すれば今日の目的地松島まであと一息だ。郡山に差し掛かろうとしたとき,常磐道という標識が目についた。神戸からはるばるこの地まで来て,楢葉,大熊,浪江,相馬という場所を通らず東北道を北上して良いものだろうかという考えが頭をよぎった。通り過ぎるだけには違いないが,このまま北上するのではなく,いわき市へ進路をとり常磐道を北上することが今の僕が示せる最低限の誠意ではないかと考えた。本当に通り過ぎるだけなのだが。

急遽磐越道へ進路をとる。まさに「北北東へ進路をとれ!」磐越道経由でいわきJCTから常磐道に入る。高速道路沿いには何キロかごとに放射線の線量計。通常ならば「現在の気温〇〇°」と書かれている電光掲示板には「〇〇シーベルト/時」という表示が。数値のレベルが人体に対してどのような影響を与えるものかは僕にはわからない。しかし原子力発電所の事故はまだ終わっていないし,これから何万年も続くのだ。そのことに対して僕たちは何ができるのかなどを考えながら常磐道を北上した。最後に「相馬SA」で休憩。そこにはやはり常磐道沿いの各地点の放射線量が示されていた。

放射線量の掲示(相馬SA)

職場では僕は明らかに「原発反対派」だったし,経済学入門の講義で,経済理論の文脈のなかでその立場を明らかにしたこともある。職場には「原発反対」の立場の発言をあからさまに批判する人もいたが,いまでもその立場は変わらない。

常磐道
秋の日差しに
線量計

   一郎

そんなことを思い出したり考えたりしているうちに松島に到着。まだ陽は高かったのでひとまず瑞巌寺を訪れた。

瑞巌寺本堂前

ここ瑞巌寺と,これから訪れる予定の平泉の中尊寺,毛越寺,山寺の立石寺すべて参拝することを「四寺廻廊」というらしい。何やら,全てのお寺のスタンプ(御朱印と書かれていた)をそれ専用のノートに押すと,最後のお寺で住職のサイン入りの色紙がもらえるとのこと。しかし「四寺廻廊」の記録については旅が終わったあと,記念に自分で作成することにした。実際に「四寺廻廊」を回ればきっとその時の印象をもとに良いものができそうだ。



2022年10月12日水曜日

もう一つの裏六甲の四季

月々の木版画は作っているもののなかなか新しいアイデアが浮かばない。ちょい旅行にでも出て題材を探す必要があるようだ。それまでは,これまでに作った木版画に少し手を入れてお茶を濁すことにしよう。以前作った「裏六甲の四季」は,家の周りの風景を僕なりのイメージで描いたもので,閑かに移りゆく四季を割合うまく表すことができたと思う。しかし如何せん図柄が単純すぎて,,,

そこで時代をうんと遡って,ジュラ紀,白亜紀の裏六甲の風景を妄想してみた。

春の午後:振り向くブラキオサウルス(後期ジュラ紀)

夏の朝:走るスピノサウルス(後期白亜紀)

秋の夕暮れ:飛行するプテラノドン(後期白亜紀)

ここまできて,ジュラ紀や白亜紀は暖かい時代で,今の冬のような季節はなかったということに気がついた。まさに恐竜の時代だったのだ。そこで冬だけはずっと後の氷河期とした。したがって,

冬の夜:行進するマンモス(氷河期)

やはり冬にはマンモスがよく似合う。まあ,戯れに過ぎないが自分ではとても気に入っている。


もう一つの裏六甲の四季


ぼーっと生きていると危険だ!

トイレの手すりで頭をしこたま打った。手すりというか硬い金属製のハンガーのようなもの。尖った角で打ったため,少しだけだが血が出てきた。それもすぐに止まったから大丈夫だろうとたかを括っていたのだが,夜になると傷口がズキズキ痛むし,打った側の目や耳まで痛いような気がする。しかし,肩こり...