2020年12月31日木曜日

大晦日

 2020年も残りわずか。社会的にも辛い年だったが,個人的にもとても辛い年だった。しかし,どんなに辛くても,やはり一日一日は変わらず過ぎていく。ヘミングウェイの小説での「陽はまた昇る(The Sun Also Rises)」の意味は,この「変わらず過ぎていく一日一日」への,どうしようもない気持ちなんだろうが,僕は「きっと太陽は昇ってくるのだ」という意味でこれを使いたい。来年は良い年になってほしい。


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雪だるま

 昨晩,寒波到来,強風が吹き荒れ雪が降った。この辺りは年に二度ほど雪がつもる。昨晩の雪は屋根と庭にうっすら積もる程度だったが,5歳と3歳の兄妹が早朝,小さな雪だるまを作るには十分だ。今日は大晦日。



2020年12月20日日曜日

冬至

 明日12月21日は冬至。北半球では一年で一番日照時間が短い。冬至といえば,かぼちゃ,柚子湯を思い浮かべる。事実,いつものパン屋さんでは,この季節にちなんでなんだろう,レジの横に「ご自由にお取りください」と段ボール箱にいっぱいの柚子が置かれていた。パンを買ったついでに,3ついただいてきた。しかし,今回の版画はそのような冬至の文化的側面ではなく,科学的側面から冬至を描いたものにした。



冬至は,太陽黄経270度で,「他の条件が等しければ」その位置はもっとも低く,影が一番長くなる日だ。版画は,夕日が沈むのを見る仲の良い幼い兄と妹,そしてその長い影を描いている。篆刻はもちろん「冬至」。


「他の条件が等しければ」という言葉から,ふと自分のやってきた仕事のことを思い出した。一生懸命何かを分かろうと努力してきたが,分かったこと以上に,分からないことがどんどん増えていくだけの40年間だった。まさに一歩前進,二歩後退。

「他の条件が等しければ」をラテン語で言えば,ceteris paribus(ケテリス・パラバス,英語読みしてセテリスという場合もある)なんだが,僕のやってきた仕事はすべて,この言葉に支配され,得られた結論はすべてこれが前提となっている。

林檎の価格が上がれば林檎の需要が減少するという「需要の法則」一つをとっても,林檎以外の価格が変化しないことが条件となっている。林檎の価格以上に蜜柑や梨,葡萄などの価格が上昇すれば,林檎の需要がどうなるかはわからない。

結局は僕のやってきた分析は,この言葉に尽きるのだが,現実の世界では,林檎の価格だけが上がって,あとは蜜柑も梨も葡萄も価格に変化はないということはあり得ない。世の中では,あらゆるものが同時に,あるときは勝手気ままに,あるときはそのように動かざるを得なく動いているのである。

現実には起こり得ないが,他の条件が等しければ,何が起こるかを知ることは,それでも重要である。たとえば「運動すれば体重が減る」ことは確かだが,同時にたくさん食べると体重は減らないかもしれない。だからといって運動をすれば体重が減ることを知っても意味はないというわけではない。そう自分に言い聞かせながらやってきた。

僕は実証経済学というものを生業としてきたが,大げさに言えば,このceteris paribusの状態に近い状態で現実のデータの動きを分析するということに悪戦苦闘してきた。つまり今思えば,40年間,現実の動きを,ceteris paribusによる動きと,そうでない動きに分離しようとしていたのだ。

「机上の空論」という言葉がある。確かに机上だが,決して空論ではないと自負している。しかし,今はもうそんなことを考える必要もない。少し寂しい気もあるが,それよりも肩の荷が下りた解放感が優っている。後はもう,次の世代に任せよう。

二十四節気の版画と判子は今回で終。正式には二十四節気は2月の立春に始まり,1月の大寒で終わるのだが,僕は西暦に対応して,今年の1月の小寒(山茶花)から始めたため,今回の冬至が最後になる。今後は,もっと自由に版画を作ろうと思う。

(追記)もっとも日が短いのは冬至だが,日の出がもっとも遅いわけではない。日の出がもっとも遅いのはおおよそ冬至の一ヶ月後だ。







2020年12月16日水曜日

寒波到来 雲龍院悟りの窓

 日本を寒波が襲っている。北国の大雪はもちろのこと僕の住む地域でも今晩から雪が降るとの天気予報だ。テレビによると昨日は京都で初雪が降ったらしい。雪の降った夜の次の朝はしみじみとした趣がある。「春はあけぼの・・・」で始まる枕草子には

「冬はつとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず・・・」

とある。

雲龍院は京都の南東に位置する,とても趣のあるこじんまりした素敵なお寺だ。そこには「悟りの窓」と呼ばれる丸い窓がある。僕は何年か前,紅葉の季節に訪れただけだが,今朝,悟りの窓からの景色はさぞ綺麗だっただろうことは容易に想像できる。

木版画は,その想像の産物。木版画教室でH先生から習った「ぼかしの手法」を使って早朝の空を描いてみた。まるまって寝ている猫は,寒い朝を表している。



雲龍院のハンコは「雲」,「龍」,「院」の三つに分けて刻した。こんなハンコの彫り方,押し方は,篆刻家と呼ばれる人たち(自称篆刻家も含む)からは叱られるかもしれないが,僕はそんな高尚な芸術家ではない。自分が楽しむための趣味だし,自分だけでなく,それで周りの人たちがちょっぴりハッピーな気持ちになれば良い。

ところで,「龍」が上下逆さまになっているのには訳がある。つまり「龍」は雲の上から舞い降りてきているのだ。なぜかって?もちろん新型コロナウイルスを退治するためだ!

参考のため,上下正しい「龍」を押した木版画を掲げておこう。


なんとなく,龍は上下逆さの方が座りが良く感じるのは僕だけだろうか。24節気の版画も次の冬至で終わりとなる。それが終われば,僕が好きな京都のお寺を木版画と篆刻で紹介しようと計画している。






2020年12月15日火曜日

月がとっても青いから

美術館の木版画教室で知り合ったK.Y.さんは僕と同い年,とても魅力的な女性だ。イニシャルはK.Y.だが,決して空気が読めない人ではない。それどころか協調性のない僕が,版画教室にうまく溶け込めたのも,彼女の気配りのおかげだと感謝している。僕と同年齢とは言え,年配の人が多い版画愛好家の中では若手に分類されるようだ。 何かと気を遣って,周りの人をちょっぴりハッピーにするという彼女ならではの役目を果たしている。

今回もコロナ禍の自粛モードで,塞ぐ気持ちを少しでも前向きにと,ベートーベンのコンサートのチケットを手配してくれた。一緒に行ったのは,K.Y.さんと他二人の木版画仲間の女性の合計四人。演目は,交響曲2番,三重協奏曲,最後は6番(田園)。




会場は体温のチェック,手指の消毒,両隣一席空けて座ることになっておりコロナ対策は万全。そもそもコンサートは全員が同じ方向を向いているし,特にクラシックでは息を凝らして聴いているので飛沫感染の確率も低いと思う。二階ちょうど真ん中の席は,クラリネットの真正面。そして後で知ったことだが,奏者は山本正治,十亀正司という豪華メンバー。6番はクラリネットが活躍する場面が多い。久しぶりのコンサートを堪能した。




コンサートがハネたあと,少し肌寒かったが幌を開いて帰った。帰宅後,K.Y.さんに「今日はありがとう」と連絡すると,しばらくたって「今日は月が綺麗だったから,駅から30分歩いて帰宅した」との返事があった。当日,月が青かったか,白かったか,黄色だったかは思い出せないが,なぜか「月がとっても青いから,遠回りして帰ろう」という古い歌を思い出した。戯れに木版画を作ってみた。コンサートの後は,いつもハッピーな気持ちになる。

2020年12月6日日曜日

大雪

明日12月7日は大雪。いよいよ12月に入り,寒さも一段と増した。大雪はその字の通り。日本の北端ではもう1メートル近く雪が積もっているそうだ。版画に特に説明は不要。以下の文章を引用するだけで十分だ。


キリマンジャロは、高さ19,710フィートの,雪におおわれた山で,アフリカ第一の高峰だといわれる。その西の頂はマサイ語で,「神の家(ヌガイエ・ヌガイ)」と呼ばれ,その西の山頂のすぐそばには,ひからびて凍りついた一頭の豹の屍が横たわっている。そんな高いところまで,その豹が何を求めて来たのか,今まで誰も説明したものがいない。

ヘミングウェイ/龍口直太郎訳『キリマンジャロの雪』

僕も今,確実に「神の家」へ向かって,一歩一歩登っている。12月に入り,中学・高校の同級生H君が亡くなったとの知らせがあった。H君とは特に親しかったわけではなく,卒業後も数回会っただけだ。しかし,中学・高校時代,彼には圧倒的な存在感と包容力があり,彼は僕にとってヒーローだった。そのため,亡くなったということを知り,身体中から悲しみがこみ上げてくるような感覚を覚えた。その悲しみと喪失感はなかなか治らない。

2020年11月28日土曜日

新刊紹介『日本経済の長期停滞』


畏友O君が日本経済新聞出版から出版した本が送られてきた。題名は『日本経済の長期停滞』。序章,終章および九つの章からなる318ページの大作で,彼の経済学研究の集大成だ。


O君とは学部・大学院と同級生。特に大学院博士前期課程(修士課程)では同じS教授の指導を受けた。修士論文のテーマは二人とも新古典派の投資関数,彼は横断面データ,僕は時系列データに基づく推定を行ったことが研究上の交流の始まりである。

前期課程(修士課程)修了後,彼はペンシルベニア大学へ留学,僕は後期課程(博士課程)に少し在籍した後京都のR大学に助手と採用されしばらく密な交流は途絶えた。その後,彼はK大に赴任し,少し遅れて僕もK大に移籍した。そして,S教授を中心とする3人の共同研究が本格的に始まった。

3人で著した論文は5報と数は多くないが,いずれも思い出のたくさん詰まった力作(自画自賛)であり,今読み返しても当時の光景が目に浮かぶ。S教授の引退後も二人の共同研究は続き,共同論文の数はすでに10報を超えている。才能に恵まれなかった僕が,定年退職まで,ただひたすら研究を続けることができたのは,ひとえに彼にリードしてもらったからだと本当に感謝している。

K大を退職し,一足早く研究を引退した僕は,今回の彼の本についてはまったく助けることができなかった。版画で挿絵を描くぐらいならお手伝いできたのだが,残念ながら,そして当然のことながら,この本には挿絵がない。しかし,二つの章は僕との共同研究がもとになっている。大変光栄なことだ。

僕は教科書を除く日本語の学術書は『生産構造の計量分析』(東京:創文社)一冊を著しただけで,彼のように精力的ではなかった。図らずしも,二人とも,自身の著書のはしがきでお互いを「公私ともにもっとも信頼できる友人」と記した。数多くの共同研究を通して,彼からは多くを学んだし,彼のバランスのとれた考え方にはただただ感服するだけであった。

今回の著書も様々な高度な統計的手法を用いている最先端の難解な研究なのだが,彼の文章はきわめて簡潔でありそれを感じさせない明快さがある。なぜ日本経済がこのような長期にわたって停滞したのか?その答えを,彼は計量経済学というアプローチで極めて明快に導き出している。一読を強く薦める。




2020年11月25日水曜日

手作りの木工品

近所に住むOさんから,素敵な木工品を頂きました。Oさんとは「書道教室」で知り合い,同じK大学の図書館に勤められていたこともあり,それ以降ずっと親しくしています。僕が小さな木版画を作成していることを知り,それを収めるのにちょうど良い素敵な額をいただいたり,K大学の退職に際してもわざわざ美味しいワインを届けて頂き,とても親切にしていただいています。

とても素敵な字を書かれる方で,台北での展覧会,唐山の展覧会には一緒に作品を出品しました。その際作品作りで悪戦苦闘する僕にもアドバイスをなんども頂きました。何度か書道教室まで30分余りのドライブをご一緒しましたが,素敵なおしゃべりを楽しむことができました。

今日,木工が趣味というご主人が作られたスタンド付きのカッティングボードとカトラリーレストを頂きました。カッティングボードは桜,カトラリーレストは黒檀というとても贅沢なものです。とても趣味で作ったものとは思えないほど完成度の高いものです。

色合い,木の肌触り,形状すべて上品で,見ているだけでハッピーな気持ちになります。ダイニングテーブルの彩りが増し,食事が楽しみになります。どうもありがとうございました。






2020年11月24日火曜日

京都までひとっ走り(旧友との再会)

連休明け,京都に行ってきた。小雪の版画(托鉢僧)がきっかけで,同期で同僚だったMさんと30年ぶりに会うことになった。Mさんは現在も同じ大学で活躍中だが,3月で定年退職の予定だ。Mさんとは,当時下宿が近く,よく行き来して「四方山話」に耽った。

三密を避け,往復はもちろん幌を開けてのドライブ,待ち合わせはすっかりモダンになった市役所の近くのホテルの広々としたロビー。30年ぶり,すっかり貫禄のでたMさんに戸惑い最初は少しぎこちない会話だったが,すぐにかつての「四方山話」が復活。


40年前に一緒に勤めていた頃は金閣寺の近くにあった大学も,その後滋賀に移転し,なんと今は大阪の茨木にあるらしい。もう少し時間があれば,もっとすっかり昔に戻れただろうが,こんな時期なので小一時間でおしゃべりを切り上げ,御池通をぶらぶら歩いて,再会を約して別れた。

実は,前日にふと木版画のH先生のインスタグラムを見ると,展覧会が予定延長で本日まで二条城の近くの小さな古本屋さんで開催されていることを知り,立ち寄った。とても雰囲気のある小さな古本屋さんだった。



今回も素敵な作品が目白押し。いつも何か購入しようと思うのだが,決めかねてしまう。今回も同様。しかし作品集の小冊子があったので購入した。帰宅後も眺めて楽しんでいる。木版画をはじめてもうすぐ2年になる。テクニックは少しずつだが上達していると思うが,やはりプロとは,テーマの発想,色合い,何かが違う。これを才能というんだろうなといつも感じる。まあ,しかし自分が楽しめるだけで十分だ。

Mさんとの待ち合わせの前後,街をぶらぶら。勤めていた大学は二条城の近くに新しくできてていた。40年前に勤めていたころからは想像もできないような豪華な建物だった。お気に入りの寺町の飴屋さん(この通りをずーっと上がっていくと昔の下宿がある)にも立ち寄り飴を買ったり,ふと見かけた味噌屋で「柚味噌」を購入したり,久しぶりの一人の京都散策を楽しんだ。


(11月24日記)



2020年11月21日土曜日

小雪

明日11月22日は小雪。北海道などの北国では雪が降り始める頃だし,高い山の山頂付近では既に雪が積もっているが,まだまだ街中では雪を見ることはない。

40年前の4月,R大学に助手として採用され,僕の研究者人生は京都で始まった。赴任当日の夜,まだ電話も設置されていないガランとしたアパートに,母から「父危篤」との電報が届き,教授会での最初の挨拶は父の葬儀への供花,弔電の御礼という少し辛い研究者人生のスタートだった。

住んだのは河原町今出川という出町柳駅に近い街中のアパート。それは中原中也が長谷川泰子と住んだ部屋からほど近く,紫式部が『源氏物語』を著した廬山寺のすぐそばだった。二年間衣笠のキャンパスまで毎日通った。

通勤途中,バスの窓から見える全てが,それまで住んでいた町の見慣れた風景とはまったく異なり,日々発見の毎日だったが,父の死後間も無く,心の底から,それを楽しめる状況ではなかった。


耐えられないほど暑い京都の夏が過ぎ,新しい生活のペースができ新しい研究も始めた。R大での同僚たち(すべて年上の先輩だったが)と京都の生活も少し楽しめるようになった。冬になり夕方,小雪の中,托鉢僧が長い行列を作って歩いている,まさに京都らしい光景を目にすることが何度かあった。どこの寺の僧かはわからなかったが,勝手に比叡山から托鉢のため下山してきたのだと想像していた。

楽しかった記憶もあるし,「汚れちまった悲しみに今日も小雪の降りかかる....」(中原中也)という思い出もある。しかし,あの2年間が僕の研究者人生の原点だ。

当時下宿が近く,R大の同僚だったMさんに近々会いに行くつもりだ。





2020年11月6日金曜日

立冬

明日11月7日は立冬。暦の上では冬が始まる。朝夕には確かに寒さを実感する。この時期の果物といえば柿だ。たわわに実った柿の木の版画を作成した。

近所を散歩すれば,たわわに実った柿の木を見かける。不思議なことに,この版画のように葉はほとんどない。まさか,柿の葉寿司のために刈り取られてしまうわけではないとは思うが。さらに不思議なことに,色づいてまさに食べごろだと思うが,誰もその柿を収穫しようとする気配がない。万有引力で地面に落ちるのか,鳥が食べるのか,毎年,いつの間にか無くなっている。林檎,蜜柑,梨,葡萄,桃などが,柿のように自然に実っているのは近所では見かけない。見かけるのはテレビで映し出される,農園での収穫風景だけである。柿も果物店で売られているからおそらくどこかで体系的に栽培されているのだろう。



版画は,近所で見かける,そんな「不思議」な柿の木を,遠くから双眼鏡で覗いた景色である。たまに,双眼鏡で覗いた景色が二つの円で表されている絵を見るが,あれは間違い。双眼鏡には鏡筒が二本あるからそう勘違いするのだろう。焦点が合って,きちんと見えている状態では,この版画のように一つに円のなかに遠近感の全くない平面的な像を結ぶ。

甘い柿が美味しいのは当然だが,渋い柿も皮を剥いて乾燥させるととても美味しくいただける。柿に甘い,渋いの二種類があるように,双眼鏡にもポロ式とダハ式がある。我が家の双眼鏡はNikon製。左右の視力が異なるので使う人によって調整が必要になる。したがって,二人世帯の場合は一家に二台必要となる。ダハ式はNikon 双眼鏡 EDG 8×42,ポロ式はNikon E2 8×30。8は倍率,42,30は対物レンズの口径。

EDG 8×42

E2 8×30


2020年10月23日金曜日

霜降

 明日10月23日は霜降。秋が深まり朝晩は冷え込む。木々が色づき始め,季節の変化を感じる時期だ。紅葉はまだ始まったばかりだが,椛の葉に降った霜を木版画にした。「椛」とかいて「もみじ」と読む。中国から輸入した漢字ではなく,「峠」,「樫」,「萩」などと同様,日本で作られた国字である。

今回はなかなかアイデアが浮かばず,ありふれた図柄の版画になってしまった。そこで,「白露」,「秋分」,「寒露」と藍色,紫,黒など落ち着いた色が続いたので今回は,赤,黄,橙色の明るい配色に変えてみた。また,我流ではあるが,ちょっとした工夫を試みた。パソコンやスマホの画面ではよくわからないが(クリックすれば少しは大きくなる),霜の雰囲気を出すために,白とシルバーのゴマ刷りでスクリーンをつけている。



季節など感じたことがほとんどなかった僕が,初めて季節の移り変わりを感じたのは,京都のR大学を退職し,神戸のK大学に移籍する一年前の秋,紅葉のシーズンだった。30歳を少し過ぎた頃だ。通勤途上に鮮やかな紅葉を目の当たりにして初めて季節の移り変わりをしみじみと感じた。

渡月橋を渡り,広沢の池,龍安寺と続く毎日が京都観光のような贅沢な通勤だった。一年後にK大学に移籍することが決まっていた僕にとって,桜が満開の春,新緑の夏,紅葉の秋,そして雪景色と移り行くこの景色を見るのも「今年が最後だ」と少々感傷的な一年だった。特に秋から冬にかけてはその思いは強かった。

K大学での最後の10年間も,毎日自動車で六甲山の裏から山を越えて通勤した。しばしば同僚のK君と一緒に,30分ほどの朝夕のドライブとおしゃべりを楽しんだ。彼と僕は専門分野も研究スタイルもまったく違うため,研究上の共通項は少なく話題はおおかた「他愛もない」話だったが,ときには研究や学問に対する基本的な姿勢についても話した。不思議とそれらについては共感するものが多かった。

「他愛もない」話でも,車の中で誰に遠慮することもない二人だけのおしゃべりは,ストレスの解消になったことは間違いない。最後の10年間,憂鬱さがどんどん増していく大学で,この時間が無ければとても神経がもたなかっただろう。おしゃべりをしながら,春には六甲山の山桜,夏の新緑,山全体の秋の紅葉からうっすら雪景色の冬への季節の移り変わりを十分に楽しんだ。








2020年10月18日日曜日

新しいヘッドホン

アメリカの東海岸との時差はほぼ半日。日本の方が半日進んでいるから,ほぼ半日の飛行時間で出発時と到着時が同じような時間になる。事実飛行機は午前中に出発し,同日の午前中に到着する。ヨーロッパの場合はお昼に出発して,夕方に到着だから飛行機の中で眠れなくとも到着後にホテルでゆっくり眠れば良い。またアメリカの西海岸との時差は16時間。夜出発するため,自然に飛行機の中で眠ってしまい,目を覚ませば朝である。つまり到着した日から仕事ができるのである。復路も似たようなものである。

しかし上述のように東海岸の場合は,午前中出発のため,なかなか飛行機の中で寝付かれず,到着した日には睡魔との戦いで仕事にならない。飛行機の中でなかなか眠れない原因の一つが「ゴーッ」という風切り音とエンジン音だ。そのためノイズキャンセリング機能のついたBOSEのヘッドホンを使っていた。なかなかの優れもので,「ゴーッ」という音はほとんど聞こえず比較的楽に眠りに入ることができる。

2002年から2005年までの間IMFのSさんとの共同研究のため,たびたびワシントンDCを訪れた。その時このヘッドホンを購入した。仕事を一生懸命したのはもちろんだが,仕事の後は,彼女とタイ料理や中華料理,南米料理,時にはジョージタウンの高級レストランなどで食事を楽しんだ。朝食,昼食はIMFの内部で済ませることがほとんどだったが,流石にIMFだけあってレストランもすべてが洗練されていた。その時の仕事(→こちら)が実を結び陽の目をみるまでには10年もかかったが,共同研究者として彼女の献身的な働きのおかげで,その成果は僕の研究者人生でもっとも重要なものの一つになった。

その後ヨーロッパへの出張でもずっとこのヘッドホンを使い続けたが,流石に長く使っているうちに,それも飛行機の中で眠りながら使うわけだから,寝返りをうった時にヘッドバンドとスライダの部分が壊れてしまった。接着剤で修理をして,使っていたがイヤパッドもボロボロになって(イヤーパッドの交換はとても高価)使いにくくなった。

長く使った古いBOSE
ヘッドバンドの修理
ボロボロになったイヤーパッド

もう飛行機にのるようなことはないだろうが,新しいヘッドホンを購入した。新しいBOSEはケーブルがなく無線,とてもスタイリッシュだ。バッテリー充電式なので電池切れの心配もない。さらに自動で電源が切れるという親切さである。

飛行機でつかうことはないが,ノイズキャンセリングのおかげで家の中でも自分一人静寂の世界に浸ることができる。音楽を聴く必要はない,何も音を聴かないためにも使えるヘッドホンだ。ただBOSEの音はソフトに作られているのか,これで聴けば僕のクラリネットの音もなかなかのものだ。音を正確に再現するモニター用のヘッドホンなら僕のクラリネットなど聴けたものじゃない。

新しいBOSE





2020年10月8日木曜日

書票展に行ってきました。

本日(10月8日),雨の中,朝から大阪のワイアートギャラリーで開かれている「関西書票倶楽部書票展」に行ってきました。この時期電車に乗るのはちょっと躊躇したのですが,しっかりとマスクをして,通勤時間を避け万全の感染防止策をとって行ってきました。


蔵書票(EX-LIBRIS)は本では見たことがあるのですが,実物を見るのは初めてです。小さなギャラリーでしたが,作品そのものが小さいので数は沢山あり,一つ一つ見応えがありました。木版が一番多かったのですが,銅版画もかなりの数を占めています。銅版画も少しかじりたくなりました。また篆刻作品もあり,漢字を彫るだけでなく,様々な対象を石に刻すことも「アリ」だなと感じました。

実は,少し前に石にいろんな果物を刻したことがあります。また立秋の青虫や,秋分の鈴虫も石に刻したものです。



 

2020年10月7日水曜日

創作版画協会展に行ってきました

本日(10月7日)版画教室の先輩,Mさん,Yさん,Kさんと,元町のトアギャラリーで開催されている創作版画展に行ってきました。展覧会には同じく版画教室の先輩Hさんが出品しています。



素敵な作品ばかりで,ため息がでました。小さい作品も多く,自分がやっていることもまんざら間違いではなく,このまま初志貫徹で小さい版画を作ればいいんだと方針が定まりました。ただ版画そのものについては僕の版画ではまだまだレベルに達していないことも痛感しました。

会場では,版画の刷りの指導までしていただきました。絵の具の付け方,バレンの使い方,見当の秘策などを教えていただき,なんと最後には手製の筆置きまでお土産にいただきました。道具も自分で工夫して作るのだということを勉強しました。

帰り道,4人で中華ランチ,小一時間お喋りを楽しみました!



寒露

明日10月8日は寒露。本格的に秋が始まり,だんだん冷気が強くなり草木についた露が霜に変わる時期だ。「白露」の版画も苦労したが,寒露も同様。日本の伝統的な着物の柄に「露芝」がある。沢山の円弧で描かれた芝草の上に、露が小さな丸で表されている。今回は,それを借用して寒露の木版画を作成することにした。

「白露」との違いを強調するため,露芝文様に加えて,冷たい光を放つ月(pale moon)と,北海道に生息する「キタキツネ」を描くことで寒い雰囲気を出すことにした。寒露の降りた草原をキタキツネが走る風景となった。


自分で描いた図案を見て,この風景はどこかで見た風景だと不思議な気持になった。現実にはあり得ない風景だから余計に不思議だった。記憶はとてもあやふやな上,定年を機にほとんどの蔵書を整理し(今になって少し後悔,同じ本を読みたくなり再び買い求めることがしばしばある)手元に本がないので確信はないが,ふとギュンター・グラス『犬の年(Hundejahre)』(中野孝次訳・集英社)に,犬(かつてヒトラーに献呈されたシェパード)がケルンからベルリンに向かう列車を追い,線路に沿って飛ぶように畑を走る場面があったことを思い出した。

ケルン中央駅は1998年マールブルグ滞在時に初めて訪れて以来,何度も到着し,出発した記憶に残る駅の一つである。その記憶が本の一場面の強烈な印象と重なりこのような図柄になったのかもわからない。写真は,2010年に畏友O君とドイツ連邦銀行研究所のセミナーで報告後,共同研究打ち合わせのためルール大学ボーフムを訪れた時のもの。echt Kölnisch Wasser (本物のケルンの水)とあるのは,もちろんオーデコロン(eau de Cologne, フランス語)のこと。

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2020年10月1日木曜日

中秋の名月

秋分の時にも触れたように,本日10月1日は中秋の名月(15夜)。実は本当の満月は明日だが,今晩でも,ほぼまん丸に見える。実際夜9時過ぎにまん丸の月が見え,古いカメラで撮影した。2007年に頂いた原稿料で,センター街の老舗カメラ店(現在はもう閉店した)で購入した発売されたばかりのオリンパスe410だ。

最新機のような手ぶれ補正もなく,汎用性のあるSDカードに画像も保存できない。しかし,それまでContax G1というレンジファインダーを使っていた僕は,この小ぶりのデジタル一眼に店先のショーウインドウで一目惚れして購入した。それも歳をとって大きく感じ持ち歩くのが億劫で,現在はリコーGRという小型デジカメをもっぱら使用している。

久しぶりにe410を出してきて,300ミリの望遠レンズをつけて撮影した。e410はセンサーサイズがフォーサーズだから,これは600ミリの望遠レンズに相当する。前回使ったのは2012年6月の金星の太陽面通過のときだからほぼ10年ぶりである。うまく撮れるかと少し心配だったが,意外に綺麗に撮影できた。




おまけ:2012年6月6日に撮影した金星の太陽面通過の写真がある。ちょうど金星が地球と太陽の間に入り,影となるわけだ。朝7時過ぎから観測して午後2時ごろに完全に通過。途中雲がかかることもあったが,約一時間毎に撮影することができた。白い大きな円が太陽,7時30分,太陽の左端中央やや下の黒い点(第2接触,内接)が金星。山なりに13時半,右端中央下の黒い点(第3接触)までゆっくり移動していく。太陽の大きさ,太陽までの距離,金星の大きさ,そして何よりも自分が宇宙という三次元空間に存在していることが実感できる不思議な時間だった。

以下の写真は,なにぶん天文は素人の僕の撮影だから正確さは勘弁してもらおう。東京のK大の友人H君は著名な経済学者だが天文に関しても専門家跣。東京出張のたびに,三田のキャンパスを訪れ,同じくK大のS君を交えて,経済学だけでなく,天文の話題をはじめいろいろな話題のおしゃべりを楽しんだ。彼はもちろん正確な記録写真を撮影している。

7時30分頃(ほぼ第2接触)
8時00分頃
9時00分頃
10時30分頃
11時00分頃
12時00分頃
13時00分頃
13時30分頃(ほぼ第3接触)





2020年9月21日月曜日

秋分

 N君は会計学者だ。自称「歴史家」や自称「哲学者」の会計学者(自称であって,本物の歴史家や,哲学者が彼らをそう認めているかどうかは僕にはわからない)とは違って,N君は会計学を会計学として正面から正攻法で研究する会計学者である。もちろん,このことがN君が哲学的ではないということでは決してない。

僕は会計学者という種族とは概して反りが合わないのだが,なぜかN君とは反りが合い,信頼する数少ない友人の一人である。夏の初めに,N君から突然電話があった。用件は何だったか忘れてしまったから,おそらくそんなに重要なことではなかったんだろう。覚えているのは,N君が突然,「鈴虫いりませんか?」と言い出したことだけである。最初彼の意図がよく理解できなかったが,N君が飼っている鈴虫を何匹か分けてくれるということだった。N君は鈴虫を飼ってもう20年近くになるらしい。あまり虫は興味がないので,丁重にお断りした。

電話を切ったあと,ふと考えたのが,家の中で「篭」に飼うのではなく「庭」に放し飼いにすればどうだろうかということ。その後,N君に鈴虫を庭に放すということを話したが,あまり積極的に賛同する気配はなかった。おそらく鈴虫愛好家からみれば,庭に放すというのは邪道なんだろう。それは妄想だけにしておこう。

9月に入り,N君と久しぶりに食事をすることになった。その日N君はなんと,たくさんの鈴虫を籠に入れて家まで持ってきてくれた。最初戸惑ったが,それが夜になると玄関で綺麗な声で鳴くのである。想像していたより,はっきりとした美しい音色だ。

『源氏物語』の第38帖「鈴虫」では,光源氏が,まさに鈴虫(現在の松虫らしい)を庭に放し,その鳴き声を聴くことを口実に,女三宮のもとへ通う。これから少しの間,鈴虫の鳴き声を楽しみながら,妄想にふけることになりそうだ。

明日9月22日は秋分。必ずしも秋分の日が中秋の名月(太陰太陽暦の8月15日)とはかぎらない(昨年は9月13日,今年は10月1日が中秋の名月)。しかし源氏物語の設定する1000年以上前の年,秋分の日が中秋の名月だったと仮定するのも悪くはない。そう言うわけで『源氏物語』の第38帖「鈴虫」のシーンを秋分の版画にした。まさに妄想である。作者にちなんで,空は紫色。篆刻の文字はもちろん秋分だが,銀色で押印したため少し見えにくい。





2020年9月6日日曜日

白露

9月7日は白露。秋が始まるこの時期,夜中に冷えた空気が露になって草木に結び,明け方の光の中に白く輝く様子から白露と言うのである。白露の篆刻には大きな問題はない,つまり漢字をそのまま刻すだけだから,上手い下手は別にしてそれなりのものはできるが,露を版画にするのは初心者には至難の技である。

さてどうしたものかと,あれこれ考えていると,ふと中島敦の『山月記』に,白露について綺麗な記述があったことを思い出した。詩人になることを望みながら,虎になってしまった李徴が,山中で偶然再会した旧友袁傪に今の思いを詩にして伝えた直後の状況が次のように描写されている。

「時に残月,光冷やかに,白露は地に滋く,樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げていた。」(出所『山月記・李陵』,岩波文庫,117ページ)

これを元に木版画を作成すれば,白露の木版画となるのではないかと考えた。しかし,まさにこの場面は李徴(虎)は草叢に潜み,詩を謳い終わった静かな時で,木版画にするのはとても難しい。そこで,視覚に訴える最後の場面を示すことで,その前の白露の記述を連想するような木版画を作成した。

「一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼らは見た。虎は,既に白く光りを失った月を仰いで,二声三声咆哮したかと思うと,また,元の叢に躍り入って,再びその姿を見なかった。」(出所『山月記・李陵』,岩波文庫,120ページ)


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しかし,虎になったことは嘆くべきものだろうか?それはそれで1つの生き方ではないだろうか。少なくとも僕は,人間のままでいることに比べて,虎になったり,犬になったりして暮らすことはそれほどがっかりすることでもないように思えるのだが。

版画を作成中,ふと中学・高校の同級生のことを思い出した。T大の仏文に進学した秀才の彼とは,もう何十年も会っていない。何年か前病気で倒れたと聞き,メールで少しやり取りをしたが,見舞いに行くことはできなかった。遠く離れているので,もう会うことはないかもしれないが,遅ればせながら退職の挨拶がわりにこのハガキを送ってみよう。


2020年8月22日土曜日

処暑

S教授は,私の大学院時代の指導教官であるが,とてもダンディーな紳士だった。イギリスで買った生地を,銀座の英国屋で誂えたスーツを身につけ,頭にはいつもイタリア製の帽子があった。ダンディーだったのは,それだけではない。先生は研究においても,とてもダンディーだった。 先生の論文はIER,REStatという上品な雑誌に掲載されている。

学術雑誌に「上品」という形容詞を使ったのには訳がある。つまり昨今流行りの,必ずしも「上品」とは言えない評価方法だけでは測ることのできない何かがあるということである。私もそういう「上品な」雑誌に論文を発表しようと努力したが,実力不足か,決して「下品」とは言わないが,やはり「上品」とは言えない雑誌にしか論文を掲載することはできなかった。

研究者生活の最終段階にかかろうとすることき,やはりS教授に縁のある,ワシントンのIMFのSさんと共同でOEPという,少しばかり「上品」な雑誌に論文を掲載することができた。論文の作成に際し,先生から習った全てのことを出せたと思う。やはり,先生のおかげである。

10年前の夏,S教授は亡くなった。先生からは大学院時代の研究指導はもちろん,多くの共同研究を通して実に多くのものを学ぶことができた。学んだのは経済学だけではない。ちょっと大げさに,そしてちょっとキザに言えば,豊かに生きること全般について学んだと思う。

先生が亡くなった同じ年の秋,ふと,先生のように帽子をかぶってみたくなった。一人心斎橋のボルサリーノへ出かけ,冬用のチャコールグレーの帽子を購入した。40年前に死んだ父もやはり帽子をかぶっていたことは覚えている。それまでは帽子などあまり興味がなかった私だが,その時以来購入したボルサリーノの帽子は夏用を含め4つになる。ボルサリーノ好きが高じて,定年退職の一年前,大学一年生向けに書いた小稿(PDFはこちら)の書き出しは,映画ゴッドファーザーの一場面から始まる。

明日,8月23日は処暑。この酷暑も少しは収まってくれるのだろうか。版画は,夏用のボルサリーノに「赤とんぼ」が止まっているという,早く涼しい秋になって欲しいという願望と妄想の産物。女性向けにと,赤いリボンの麦藁帽の版画も同時に作成した。


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2020年8月7日金曜日

立秋

本日は立秋。暦の上では秋の始まりだが,まだまだ暑い日が続く。
透かし鬼灯(ほおずき)の木版画と立秋の篆刻を作成した。透かし鬼灯は買えば高価だが,水につけると葉脈以外が溶け落ちるため自作も可能ということだ。ただし,僕は作ったことはない。

また,その葉脈は固くて青虫は噛むことができないため,青虫が食い尽くした後自然に透かし鬼灯ができるという説もある。ただし真相はよくわからない。2枚目の版画は,ストレートに7連の鬼灯。これだけではあまりにも単純なので,茎に青虫を乗せた。青虫は石のハンコ。孫の愛読書を参考に作成した。石のハンコは細かい彫りが可能だが,多色刷りが困難という難点がある。

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Als Gregor Samsa eines Morgens aus unruhigen Träumen erwachte, fand er sich in seinem Bett zu einem ungeheuren Ungeziefer verwandelt. 

Franz Kafka, "Die Verwandlung"

ぼーっと生きていると危険だ!

トイレの手すりで頭をしこたま打った。手すりというか硬い金属製のハンガーのようなもの。尖った角で打ったため,少しだけだが血が出てきた。それもすぐに止まったから大丈夫だろうとたかを括っていたのだが,夜になると傷口がズキズキ痛むし,打った側の目や耳まで痛いような気がする。しかし,肩こり...