2021年12月16日木曜日

英語の俳句・木版画・篆刻・二人展:帰り道

Dさんのことを「Dさん」と呼ぶようになったのはいつ頃だっただろう。Dさんは学部も大学院も僕の3学年先輩だが,最初の出会いは,僕が大学院・修士課程1年生の時だった。その時Dさんは既に大学の助手であり,学生の僕は「D先生」と呼んでいたと思う。事実,修士論文の作成に必要な数学的な方法をDさんに指導してもらった記憶がある。その後,Dさんは別の大学に異動し,僕も別の大学の助手に採用され,独立に研究者の道を進んでいた。

それが再び同じ大学に勤めることとなり,いつの間にか気軽に「Dさん」と呼べる間柄になった。気軽といっても,一方的に先輩のDさんに助けてもらうばかりだったという点では,以前と変わりはない。物静かで思慮深いDさんと,おしゃべりで慌て者の僕が,親しいと知り驚く人が多かったが,どこか根底で通じることろがあったのだろう。

Dさんはアメリカの大学院で博士号をとった。別の大学に勤めていたもう一人の畏友O君もそうだ。僕はもちろん国産の博士号しか持っていないが,こういう友人達にずっと囲まれていたこと,そして学生時代に指導を受けた先生がそうであったことから,国際的な場で研究をしなければならないという強迫観念があった。もしこのような先生や友人がいなければ,もっと気楽に研究者生活を送ることが出来ただろう。

外国,特にアメリカで教育を受けたことがない僕が,国際的な場で研究活動をすることがどんなに大変なことかということをDさんはよくわかっていてくれたんだと思う。苦手な英語で編集者や査読者とのやり取りを経て,やっと論文の掲載が決まった時,その過程を見守ってくれていたDさんは自分のことのように喜んでくれて「Tさん,よく頑張ったねえ。」と,時にはご馳走までして労ってくれた。

実は,「クルルのおじさん(→こちら)」に書いてあるように,Dさんはもういない。二人展はDさんとの最後の約束だった。二人展が終わり,準備から撤収まで献身的に手伝ってくれた二人に共通の知人Sさんを,帰り道にあるご自宅まで送った後,一人車で有馬街道を家まで帰った。自分でも「よくやり切った」と感慨深く,やはりDさんが「Tさん,よく頑張ったねえ。ありがとう」と言ってくれているようだった。ちょうど有馬街道のトンネルを出ようとしていた。

この一年半,Dさんはいつも僕の斜め後ろにいるような気がしていた。それがトンネルから出た時,Dさんがその言葉とともにスーッと,異なる次元の世界へいってしまったような気がして,感情が溢れ出てしまった。いい先輩だった。






2021年12月5日日曜日

英語の俳句・木版画・篆刻・二人展:最終日 歌は終わった。しかしメロディーはまだ鳴り響いている。

いよいよ今日が最終日,最初はとにかく六日間無事に早く終わってほしいとばかり考えていたが,いよいよ終わるとなると,少し寂しい気もする。今日も沢山の方が来てくれた。双子ちゃんを授かったという大学院ゼミの卒業生のIさん,着物姿でさっそうと現れた元資料室(現在の研究助成室)助手のIさん(Dさんを交えてときどきランチ会やおしゃべり会をする仲間→こちら),昔そのままの雰囲気できてくれたゼミの一期生のUさん(旧姓Oさん)とTさん(旧姓Yさん),二つの大学で僕の講義を聞いたという変わり種のNさんは今や立派な女性経営者,語り始めると懐かしくて止まらなくなる。

二人展のテーマが,英語の俳句,木版画,篆刻と広範囲であることからか,今日は書家の方が,インスタグラムで二人展のことを知ったと,見ず知らずの僕たちの作品展に大阪からわざわざきてくださった。もちろん,僕の木版画の先生のH先生も,お姉さんと一緒に見にきてくださった。プロの版画家が,こんな拙い木版画の作品展を見にきてくださったことに感激した。変わったところでは,ジョギング中の若い男性が,看板をみて「入場は無料ですか?」と。ぶらっと入ってきてくれた。もちろん無料だ(笑)。そして,最後の訪問者は,開催中の学会のZoom会議をしながら終了間際にきてくれた,元若い同僚のS君だ。

夕方6時,すべての訪問者がいなくなった段階で,作品の撤収作業を開始した。感慨深いものがある。これについては場を改めて詳しく書きたいと思う。期間中,様々な方が,高価な差し入れのお菓子やお花をもってきてくださった。何せ初めての経験,不十分な対応だったと思うがお許しいただけるだろうか。いずれにせよ本当にありがとうございました!夜8時ごろに撤収作業は終了。ガランとしたギャラリーに感無量。

歌は終わった。

しかしメロディーはまだ鳴り響いている。
村上春樹『羊をめぐる冒険』

我ながらよくやりきったと思う。Dさんの奥さん,献身的に手伝ってくれたSさんとがっちり握手。英語の俳句も木版画も始めて間もない素人の戯れ,「二人展」などと称して作品展を開くことは無謀なことだったかもしれない。しかしこの作品展を通じて,古い友人との再会,あたらしい友人との出会いがあったことは確かだ。案内ハガキに,

本当に本当に拙く小さな作品ばかりですが,観に来ていただいた方方が「ちょっぴりハッピーな気持ちになった」と感じていただければ望外の喜びです。

と書いた。目的は達成することが出来ただろうか。





2021年12月4日土曜日

英語の俳句・木版画・篆刻・二人展:第5日

本日は土曜日。40名ほどの来訪者があった。作品は英語の俳句が中心的な役割を果たしているので,皆さん版画を一瞥して素通りではなく,じっくりと俳句との組み合わせを鑑賞されている。俳句や版画について質問される方もいるし,例えば二十四節気の版画のキャプションのスペリングミスを指摘くださった方もおられた(脚注)。そのため最低30分程度はギャラリーに滞在されるようである。ギャラリーを開いているのは12時から6時まで6時間だから平均的に3,4名の人が滞在していたことになる。当初は,ガランとしたギャラリーで,一人物思いに耽るつもりだったが,当てが外れた。対応にてんてこ舞い。

今日もまた名誉教授のK先生が来てくれた。先生は病気のため体が少し不自由になったが,奥様に連れられてきてくださった。今や,すっかり変わったK大学K学部,皆が家族のようだった昔が懐かしい。ところで今日は懐かしい顔が沢山。K大学でのゼミの一期生I君が奥様と来てくれた。1995年の震災の時もI君は四国にいるT君と二人で,交通が遮断されているなか大学までお見舞いと応援に駆けつけてくれた。T君は今回どうしても外せない用事があって来られなかったが美味しいお菓子を陣中見舞いに送ってくれた。いつまでも覚えておいてくれるのは有難いことだ。そして初めて奥様ともお会いすることが出来た。みな本当に立派になっている。立派にならなかったのは先生だけということか,,,,

圧巻は,2002から2008年にかけて一時在籍した大学での学生たちが大挙して来てくれたことだ。大挙してきてくれたのは,一人を除いてすべて女性。顔をみただけでそれぞれとのエピソードが鮮明に思い出される。たった35人だけの特別コース。今から思えば,その大学のいろいろな人の,いろいろな思惑の絡み合ったコースだったが,僕はそういうこととは無関係,私利私欲無しで,全力投球できたと思う。泣いたり笑ったりの彼,彼女達との4年間だった。皆素敵に歳を取り,魅力的な彼,彼女になっている。落ち着けばまた彼ら彼女らとワイワイやりたいなあ。

集まってくれた学生たちと


学生たちが送ってくれた素敵なお花


「二人展」もあと1日を残すのみとなった。この「二人展」の経緯については,ちょっぴり辛いためあえてこのブログでも触れなかった。もちろんきていただいた方にはきちんと説明はしたのだが。ちょうどこの日に来てくださったDさんの大学時代のゼミの同期生「クルルのおじさん」が,そのことについて紹介してくれた。名文だ!一読してほしい(→こちら)。

(脚注)筍, bamboo shootのoが一つ落ちてbamboo shotになっていた。これがほんとの大(o)間違い。

2021年12月3日金曜日

英語の俳句・木版画・篆刻・二人展:第4日

二人展も後半になる。今日は最後の平日だ。金曜日は県立美術館の木版画教室がある。1時半に教室が始まる前にAさんとKさんが立ち寄ってくれた。 2013年に科学研究費の成果報告を兼ねて小さな研究集会をK大で開いたことがある。その研究会では,畏友のO君(今日ご夫妻で二人展に来てくれた)が司会,二人展の相方Dさんがキーノートスピーチをしてくれ,東京のK大,H大からのゲストスピーカーとならんで僕も渾身の論文を報告,研究集会はとても思い出深いものになった。今回「二人展」のテーブルの片隅にその時の自作のポスターを額に入れておいた。これで素性がわかってしまったのだが,今日来てくれた版画のKさんはなんと学部は違うが僕たちの後輩だった。

お土産の栞の横においた研究集会の自作ポスター

そうこうするうちに,版画教室が終わり教室の先輩たちが連れ立って見に来てくれた。木版画を初めてまだ2年,作品展を開くのは無謀な試みだったかもしれない。しかし先輩たちの後押しで思い切ることができた。もちろん木版画だけでは話にならない。事実来てくださった人は皆「木版画」そのものや「英語の俳句」そのものを褒めてはくれなかったが,「両者が妙にマッチしている」と言われることが多かったのは,僕たちの狙いどおりでとても嬉しかった。

木版画教室の面々

以前このブログで紹介した大学院の卒業生N君が奥様と一緒に見に来てくれた。普段は研究上の付き合いだが,この機会に奥様やお子さん同伴で来てくださることが多い。初めてお会いする奥様は魅力的な人ばかりだ。聞くところによると奥様は僕の二十四節気の木版画のファンということ。ファンがいるとはうれしい限り。励みになるなあ。

この他,元同僚,昔お世話になった研究助成室の女性,書道教室で一緒だった友人とともに,プロの画家の方,ロシア語のエキスパートまで多士済々に来ていただいた。Dさんのゼミの後輩のG君が,アップルパイの差し入れを持って,遠く大津から見に来てくれた。僕はお会いするのは初めてだが,僕にとっても後輩にあたり,なぜかとても身近な感じがした。差し入れにいただいたアップルパイは絶品。りんごの味が口中に広がる。是非お試しあれ(→こちら)。


Sさんが持ってきてくれた立派なお花

それこそ30年ぶりの再会。Tさん(旧姓Kさん)からの可愛いお花


明日から週末。平日忙しい人たちが来てくれるだろう。お土産の栞は品切れ状態。明日までに増産しなければ,,,,。



2021年12月2日木曜日

英語の俳句・木版画・篆刻・二人展:第3日

今日3日目も無事に終わった。僕も少し慣れてきたのか,適当に休憩を取りながらきて下さったかたといろんなお話ができるようになった。今日は,若い同僚だったA君がお花を持って見にきてくれた。確かA君は学部,大学院も僕の後輩になるし,教官と学生という関係でK大に居た時期がダブっていたこともあるのだが直接の関係はなかった。しかし確実にDさんの講義は聴いていたはずだ。

今日は元気一杯の二人の息子さんを連れてきてくれた。息子さんの一人はDさんのお孫さんと同級生ということだ。自動車通勤の途上,六甲台付近で,お子さん二人を横断歩道を渡って幼稚園に連れて行っているA君にあったことが何度かある。研究では世界に通用するハイレベルの論文を書くA君だが,研究を離れるととても良いお父さんという微笑ましさがあり,僕は彼にずっと親しみを感じていた。K大学K学部の未来はA君にかかっている!よろしく頼むぜ!

A君からいただいたお花。

Dさんと同年齢,Dさんと専門分野が同じで親しかったというO先生がわざわざ訪ねてくれた。実は僕が放ったらかして大学を辞めた後に,ゼミ生のT君が大学院に進学し学位論文の指導をしてくれたのがO先生である。続いて現役時代お世話になった名誉教授のT先生,目を悪くされて出歩くことも大変だろうに,奥様につれられて来てくださった。本当に有難いと思うし,いつまでも気にかけてくださっていることに心から感謝している。

今日は,僕のゼミの卒業生の女性も二人来てくれた。一人はオーボエ吹き,当時もし僕に余裕があればオーボエを習うことができたのにと思うと残念だ。彼女が卒業して数年後,オーボエではなくクラリネットにのめり込んだ。もう一人僕たちがアメリカ滞在中にも訪ねてくれた学生で,とても人懐っこく,それ以降も家族での付き合いが続いている。今日は研究者を目指しているという娘さんと一緒に来てくれた。

一見何の関係もないようだが,以外にも来訪者の間にはつながりがあるものだ。もちろん,独立にインターネットで開催を知ったり,前日に来てくれた人から「素敵な作品展だから是非行ってみて」と薦められたなど,まったく知らない方の来訪もあり感激!明日の第4日目も新たな出会いが楽しみだ。

2021年12月1日水曜日

英語の俳句・木版画・篆刻・二人展:第2日

第2日目の今日は,少し来訪者の数が減り20名余りだったが,やはり素敵な人たちばかりだった。すべての人について書きたいのだが,そうすると論文になってしまうほど書きたいことが多い人たちだ。

いの一番は名誉教授のM先生。少し前に大病をされたM先生は,午後からは体調が思わしくなく,体調の良い午前中ならと,無理をして来てくださったのだ。学究肌で,ちょっと粋なM先生が芳名録にお名前とともに「二人の合作の心とセンスに感動した」と書いてくださったことは光栄なことだし,ちょっと自慢してもいいかな。

M先生が帰られた後すぐ,Dさんのゼミの同期生のYさんご夫妻や版画教室での大先輩のHさんがきてくださった。Dさんの奥様を交えて,今回の作品や,Dさんとの思い出について話していると,C君がなんと高知から遠路見にきてくれたのだ。C君は大学のゼミの3学年後輩。彼が学部3年生の時僕は大学院の修士課程2年生,きっと僕は,先輩ズラしていたんだろうな。いまだに彼は僕のことを先輩と呼ぶ。

Yさんからのお花が綺麗

卒業後,有名カメラメーカーに勤めていたが,今は和紙で有名な高知県の地元に戻り家業を継いでいる。事業は伝統的な和紙製造から,今や紙の総合メーカーに発展。今日は,自社製品のマスクを沢山持ってきてくれてマスクの本当の効力と正しい使い方などを熱弁,居合わせた来訪者に配布してくれた。学生時代はワンダーフォーゲル部,相変わらず元気いっぱいのC君だ。

C君の会社の製品(マスク)

もとカメラメーカーに勤めていたC君,この日もそのブランドの最新式デジタルカメラを持参して,居合わせた皆の写真を沢山撮ってくれた。下はC君とのツーショット。流石に高級カメラ,とても綺麗にとれている。忙しいC君は,疾風のように現れて,疾風のように高知へ帰っていった。

向かって右がC君

今日は,京都時代の友人Mさん夫妻,学生時代にお世話になったNさんTさん(僕が博士課程の学生だった頃教務学生掛長としてさまざまな相談に乗っていただいた),現役時代に大変お世話になったSさんHさんなど,懐かしい方々が沢山きてくださった。

そして今回の作品展の額装でお世話になった,老舗の額装店のご夫妻が見にきて下さった。拙い作品だが,お二人のアドバイスのおかげで,少ない予算ながら,バラエティに富んだ額装ができたこと本当に感謝している。

実は,今日はとても嬉しく舞い上がってしまうような来訪者があった。オランダには30年来の畏友がいることはこのブログでも紹介したことがある。彼との共同研究のため毎年のようにオランダに通った。おそらくこれだけ長い間同じ航空会社を使っていれば,偶然同一の客室乗務員(昔はスチュワーデスさんと呼んでいた)に出会うことはよくあることだと思う。普通はお互い覚えていないから再会したことに気がつかないだけだ。

実は僕は,ある客室乗務員の方と3回遭遇した。もちろん2回目に出会ったとき,その客室乗務員の方は僕のことを覚えてはいなかった。彼女にとって僕は,多くの乗客のうちの一人に過ぎないから,それは当然なんだが,僕はちょうどDuty Freeの販売に座席を回っているその人を覚えていた。

座席にちょっとした問題が発生した時に対応してくれたのが彼女だった。それが最初である。その問題は結局解決しなかったのだが,不思議にそのことについて不満に思うわけでもなく,彼女の対応に,何かすごくほっとするような,リラックスするようなハッピーな気持ちになったから覚えていたのである。彼女には生まれた時から何かそのようなものが備わっている感じがした。そのことを彼女に伝えると,とても喜んでくれた。

それから数年後,定年退職の3ヶ月前の12月,彼女と再び同じアムステルダム行きの飛行機で一緒になった。流石にその時はお互い覚えていて,3回目の再会をお互いとても喜んだ。これぐらいの偶然は当然起こり得るだろう。僕は彼女に,今年度で定年退職のためこれが最後のオランダ出張であること,長い間,彼女を含めてその航空会社に大変お世話になったことにお礼を言った。なんと,彼女にとっても,最後のオランダ行きの飛行だったのだ。この飛行を最後に退職されるとのこと。何か偶然を通り越して感無量だった。

その彼女が素敵なお花を持ってきてくれたのである。4回目にして初めて地面に足をつけてお会いした。これまではいつも1万メートルの上空だった。ギャラリーがパッと明るくなった。僕はあまりの嬉しさに舞い上がってしまった。空の上で知り合ったのだからそれも当然だ。人生は出会いと別れの繰り返し。ずっと近くにいても親しくなれない人もいれば,たった3度の出会いで気持ちが通じ合うような人もいる。


空からの使者にいただいた素敵なお花

というわけで来訪者は20人ほどと少し少なめだったが,素敵な出会いが沢山あった1日だった。








ぼーっと生きていると危険だ!

トイレの手すりで頭をしこたま打った。手すりというか硬い金属製のハンガーのようなもの。尖った角で打ったため,少しだけだが血が出てきた。それもすぐに止まったから大丈夫だろうとたかを括っていたのだが,夜になると傷口がズキズキ痛むし,打った側の目や耳まで痛いような気がする。しかし,肩こり...