2022年6月26日日曜日

いちごのコンフィチュール

ブルーベリージャムの木版画ラベルの評判がよく,5月に既に作っていたイチゴのコンフィチュールのラベルも作ってと依頼されました。ラベルの一枚あたりの単価は,ちょびっとだけ値上げしてくれました。コンフィチュールと彫るのはとても大変なので,手抜きでイチゴのソースにしました。

イチゴは自宅でできたものではなく,いつも親切にしていただいている近所の農家の方から大量に分けていただいたものです。

イチゴのコンフィチュール

 

2022年6月25日土曜日

自家製ブルーベリージャム

裏庭のブルーベリーが沢山みのりました。朝食は朝摘みの新鮮なブルーベリーの入ったヨーグルトが美味しい。これまで約二キロの収穫は自家製ジャムに。木版画でジャムのラベルを作りました。

ブルーベリーのジャム

これでも一応多色刷り。サイズは55ミリ×85ミリ。小さいと,手で押さえるところが狭いので摺りにくい。

2022年6月23日木曜日

ヘミングウェイへのオマージュ (その2)移動祝祭日

パリを訪れたのは3回だけで,それもすべて超短期的な滞在で,そこで暮らしたわけではない。最初の訪問はパリが目的地ではなく,ブリュッセルを訪問するための経由地だった。早朝パリ北駅から「メムリンク」というベルギーの画家の名前がつけられた列車で,自分自身の結婚式のためブリュッセルへ向かった。40年以上も前のことだ。その他は,仕事の合間に訪れた美術館以外特に際立った記憶はない。

そういうわけでパリはほとんど知らないのだが,ただ,街を歩いていて,なんとなく画家がパリへ行こうとする理由はわかるような気がした。これはニューヨークの街を歩くと,多くのミュージシャンを惹きつけるエキサイティングな活気を感じるのと同じような感覚だ。

ヘミングウェイの『移動祝祭日』のイメージを木版画にしてみた。

パリの朝

もし幸運にも,若者の頃,パリで暮らすことができたなら,その後の人生をどこですごそうとも,パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ。

ある友へ
アーネスト・ヘミングウェイ
1950年 
ヘミングウェイ / 高見浩訳『移動祝祭日』(新潮文庫)
他のヘミングウェイの木版画と同じく,グレーにただ一色を加えただけだ。実際にパリのアパルトマンで暮らしたわけではないので,このような景色があるのかどうかはわからないが,部屋の窓から通りを見下した光景である。これは『移動祝祭日』にある「偽りの春」から頭に浮かんだ情景だ。

「偽りの春」は,ノースポールの花の版画・裏庭の風景(こちら⇨)でふれた。そのすぐ後に,朝早く,アパートの窓を開くと,石畳の道路を山羊飼いが山羊の乳を売りに来るという記述がある。実際にそのような光景を見たことはないのだが,モンマルトルの丘を降りたあたりのあまり上等でないホテルの周りを早朝散歩した記憶をもとに木版画を作成した。

最初読んだ時は「山羊の乳」というものに違和感があった。乳といえば牛乳しか頭に浮かばなかったからだ。しかし,ロックフォールという美味しいフランスのチーズは山羊の乳から作られていることを知り,ようやく納得したわけだ。

僕にとってパリにあたるのが京都だ。研究者として働き始めた僕は,まさに若者の時(25歳から33歳)八年間京都で生活した。学生として京都に暮らすことでは決して得られないものを得たと思う。

2022年6月20日月曜日

街角の風景:神戸旧居留地

小雨が降る中,旧居留地元町辺りをぶらぶらしていると,ふと目に止まった,とあるお店のショーウインドウ。


あれ?どこかで見た紫陽花が,,,

 

2022年6月17日金曜日

足摺岬

足摺岬に到着したのは,日がまさに暮れようとしているときだった。晴れ渡った空と穏やかな海は,小説に描かれている足摺岬とはまったく違っていたが,既に薄暗くなっていた辺りには僕以外に誰一人いなく,岬の先端に立つ灯台は物悲しく,田宮虎彦の『足摺岬』を思い出させるのに十分だった。

足摺岬を後にした僕の残像は,不思議に自分が見た景色だけではなく,その景色を眺めている自分がいる景色だった。僕が見た足摺岬は,小説の中の「私」が見た横殴りの雨も怒涛もない,穏やかなものだった。しかしどことなく寂しげな足摺岬だった。それをそのまま木版画にしてみた。

モノクローム(白黒)の木版画は,僕の抱くイメージを直接的に表すのにとても効果的だったが,同時にさまざまな点でとても難しいやり方だった。構図や彫の技術など完成度は低く,まだまだ改善の必要はあるが,僕自身のイメージはまさにこんな感じだった。背伸びする必要はない。今は自分の実力でできる木版画で十分だ。


足摺岬


足摺岬は遠いところだが,季節を変えてもう一度訪れたいところだ。








2022年6月12日日曜日

裏庭の風景:4月(2ヶ月遅れ)

 卯月(四月)の裏庭の風景の木版画がやっと出来上がった。卯月とは卯の花の月という意味だそうだ。ノースポールという小さな花が大きめのテラコッタの鉢に集団で咲いている(群生という言葉がこれに相当するのかどうかがわからない)のがとても春らしく,版画にしようと何度も試みたのだが上手くいかなかった。一番の問題は花が白いということだ。

白い紙の上には白い花を描くことはとっても難しい。そのため五月(皐月)のヤマボウシは,緑の背景に白い花をくり抜いたわけだ。ノースポールも同じことを試みたのだが,花弁が四つでほぼ重なりがないヤマボウシと違って,ノースポールは花弁の数が多く重なりがある。つまり個々の花弁を識別するためには花弁と花弁の間に細い境界線が必要となる。花が小さいからその境界線は絶望的に細くしなければならない。

白くクリ抜くと白い花はくっきりするのだが,線が潰れた時はそれだけ失敗が目立つわけである。何度も何度も試みたが,線が潰れ,数多くの小さな花びらを持つこの花の特徴が無くなってしまう。そこでとうとうその方式を諦めて,花びらにうっすらと水色をつけて,背景の白と区別する方式にした。

例によって,僕には花を上手に写生する技術はないので,小さなたくさんの白い花びらというこの花の特徴だけをラフに描くことにした。具体的には花弁の数を16枚とし,一つおきに8枚の花弁を彫った板を2枚用意し2回重ねる。それぞれの花弁はある程度の重なりを持つような大きさにしているので,2回重ねて摺ると,ちょうど花弁が重なっている様子がそのまま描き出される。花弁だけでなく花全体も重なる場合があるので,実際には花も二群にわけて,合計4枚の板に花弁を彫ったわけである。

これでも小さな花弁はところどころ欠けたが,クリ抜きと違って目立たない。より正確にいうと,クリ抜き方式で境界線が欠けた場合は大きな花びらになってしまって,小さな花弁がたくさんあるというこの花の印象が薄れてしまうが,僕が採用したこの方法なら,該当する一枚の花弁が欠けるだけである。実際の花でも花弁が欠けているものもあるし,これなら失敗の影響は小さく抑えることができる。実際ところどころ花弁が欠けているのがわかると思うが,全体としてそんなに違和感はない。

ノースポール

忠実な写生ではないが,全体的に見れば,テラコッタの鉢に植えられた小さな花の集団という特徴は表すことができたと満足している。随分遅くなってしまったが,二ヶ月遅れで木版画をアップロードすることにした。色合いも,軽やかで優しい春の雰囲気が出ていると思うんだが,如何だろうか?

働いていたころ四月はどちらかというと複雑な時期だった。暖かい良い季節がやってくるというポジティブな側面と,新学期が始まり忙しくなるというネガティブな側面があったからだ。どうも僕は研究とか教育とかいう自分の仕事が,自分の本当にやりたいことでは無いようにずっと感じていた。しかし定年退職した今は春が本格的に訪れる四月は,それがどんなものであろうと心から待ち遠しく思うようになった。そんなことを考えていると,ふとヘミングウェイを思い出した。

たとえ偽りの春だろうと,春が訪れさえすれば,楽しいことばかりだった。問題があるとすれば,どこですごすのが一番楽しいか,という点に尽きただろう。一日を台無しにしてしまうのは人との付き合いに限られたから,面会の約束さえせずにすめば,日ごとの楽しさは無限だった。春そのものとおなじくらい楽しいごく少数の人たちを除けば,幸福の足を引っ張るのはきまって人間たちだったのである。 
ヘミングウェイ/高見浩訳「偽りの春」,『移動祝祭日』(新潮文庫)所収

定年退職した今,僕はもう「春そのものとおなじくらい楽しいごく少数の人たち」とだけ幸福な時間を過ごすことにした。


2022年6月4日土曜日

裏庭の風景:6月

「皐月」の版画ができたのは,5月も終わろうとしている時だった。実は,皐月は旧暦(太陰太陽暦,和暦)の5月に対応する。そのため現在われわれが使っている新暦(グレゴリオ歴)の5月とはズレている。ズレは年によって異なるが,たとえば2022年の旧暦の皐月は,新暦に換算すると5月30日に始まり,6月28日に終わる。ヤマボウシの木版画が完成したのは,まさに旧暦の皐月が始まる直前のちょうど良いタイミングだったわけだ。

しかし旧暦に対応して木版画や篆刻を作成すると混乱が生じる。たとえば年末の代名詞ともなった「師走」は旧暦に従うと年を超えてしまう。そのためこのウェブログでは季節感とのズレはあるが,新暦に対応させて月名を使うことにした。というか早めに木版画が完成すれば新暦,完成が遅れると旧暦という風に言い訳に使えそうだ。

六月は「水無月」(2000年の旧暦の水無月は新暦では6月29日から7月28日まで,念のため)。水の無い月と書くが,意味は「水の月」。名前の由来については諸説あるが,「無」は「の」を意味する連体助詞「な」であるという説が一番ストレート。篆刻は三文字なので縦長(9ミリ×18ミリ)の石に刻した。

庭にはブルーベリーの木がある。毎年6月にはたくさんの実を結び,朝食は朝摘みの新鮮なブルーベリーを入れたヨーグルトが定番の毎日だ。残りはジャムにする。今はまだポツポツとブルーに色づき始めたばかりだが,既にグリーンの実は鈴なりだ。それらが完全に色づいたことを想像して木版画を作成した(ハガキサイズ)。ちょっと日本画風,自分では田中一村風だと思うのだが,,,。


ブルーベリーとイソヒヨドリ

ちょうど熟した頃を見計らってヒヨドリが食べに来るので,これからの一ヶ月はヒヨドリとの戦いだ。実は木版画に描かれたヒヨドリはイソヒヨドリといって本当はヒヨドリではない。スズメ目ヒタキ科に属するもので,おなじくスズメ目ヒヨドリ科に属する鵯(ヒヨドリ)とはまったく別のものである。むしろ姉妹科のツグミと言った方が良い。事実イソヒヨドリは英語でblue rock thrushとツグミの一種であるように表記される。

雄のイソヒヨドリは薄いブルーに黒い羽,そして胸と腹は赤いのが特徴的だ。個人(鳥)主義なのか,ほとんどが一羽で来訪する。そのためブルーベリーが食い尽くされてしまう心配はないので食べたいままにしている。

これに対して,正真正銘のヒヨドリは集団行動である。集団行動といえば聞こえはいいが,要するに徒党を組んでブルーベリーを食い尽くしてしまう。どうも僕はこの「徒党を組む」ということが苦手である。勤めていた頃には「徒党を組む」人たちの行動にはほとほと閉口した。

これまでネットをかけたり,水撒きのホースを蛇に見せかけて木に巻きつけたり,風車をつけたりいろいろ工夫をして防御した。どれも一定の効果はあるものの,一長一短で副次的に発生する問題も多い。やはり鳴き声で来訪を察知し,庭に飛び出して追い払うというのが一番平和的な解決である。

庭のブルーベリーもあと十日もすれば,実はすっかり熟すだろう。

 




ぼーっと生きていると危険だ!

トイレの手すりで頭をしこたま打った。手すりというか硬い金属製のハンガーのようなもの。尖った角で打ったため,少しだけだが血が出てきた。それもすぐに止まったから大丈夫だろうとたかを括っていたのだが,夜になると傷口がズキズキ痛むし,打った側の目や耳まで痛いような気がする。しかし,肩こり...