2025年3月23日日曜日

小さな額:コーヒーポット

再び小さな正方形の額。今回はコーヒーポット。昔使っていた,木の取っ手のあるコーヒーポットの版画を入れた。このポットでお湯を沸かし,下に散らばっている豆を挽いてドリッパーでカップに濾過して飲むのが正しいが,そのプロセスを適当に省略して,そう言う日常を単純化して描いたわけだ。何せ5センチ四方足らずの小さな絵だから省略は必須。「赤ワイン」,「赤いコートの女」と鮮やかな色合いが続いたから今回はおとなし目の色合いにした。


コーヒーポットとコーヒーカップ




2025年3月19日水曜日

新二十四節気:春分

明日3月20日は春分。科学的には昼の長さと夜の長さが等しくなる日だが,漢字の意味するところは,立春(春の始まり)と立夏(夏の始まり)のちょうど中間点。つまり春真っ只中なんだが,実は瀬戸内海に面した温暖な地域であるここ神戸でも昨日は雪が降った。今はお彼岸の期間,明日春分はその中日にあたる。そこで季節の版画は,「ぼた餅」にした。添えた言葉は「棚からぼた餅」ではなく絵そのもの「箱からぼた餅。」なんの意味もない見たそのまま。

餡子ときな粉のぼた餅

子供の頃は,これを「ぼた餅」ではなく「おはぎ」と呼んでいた。「おはぎ」は秋分に食べる「ぼた餅」で,「ぼた餅」は春分に食べる「おはぎ」ということだ。つまり,物理的には両者はまったく等しいものらしい。

明日は京都に住む息子家族と一緒に和歌山までお墓参りにいくつもりだ。お天気は回復するようだ。阪神高速湾岸線を利用して自動車で行くのだが,関西国際空港を右手に見ながら,阪和自動車道へ分岐するあたりでとても懐かしい気持ちになる。「この道はいつか来た道」,現役時代の出張はいつも早朝三宮から関空行きのリムジンバスだった。

2025年3月6日木曜日

赤いコートの女

2018年10月,定年退職の半年前,初めて壬生狂言なるものを観た。初めはちょっとした時間つぶしのつもりだった。ちょうどその日の夜,京都で,オランダから来た旧友と共同研究の打ち合わせをすることになっていたからだ。そのころ旧友はオランダの古い国立大学の学長(Rector)をしていたため,昼間は表敬訪問や大学間協定の会議など研究以外の公務で忙しい。夜しか研究の打ち合わせの時間が取れなかったのだ。忙しい中,彼はいつも時間を作って共同研究を続けてくれた。

壬生狂言は午後1時半ごろ始まり日が沈む頃まで続く。先に言った様に少しだけ観て街中へ行き,お気に入りの寺町通りなどをぶらぶらしようと考えていた。しかし意外に面白くて引き込まれ,最後まで存分に楽しむことができた。

壬生寺

ところで席はすべて自由席なんだが,ちょうど僕の隣に赤いコートを着た一人の若い女性が座っていた。満席だったが,何故かその人は誰かを待っている様で,なかなか狂言に集中できない様子だった。とても魅惑的な香水の香りが微かにしていたこともあり,その様子がとても気になった。最後の演目が始まる直前,辺りが暗くなるころ,初老の男性が現れ,中座した観客がいたため空いていたその女性の隣に座った。
「ごめん,ごめん。なかなか仕事の区切りがつかなくて」
「先生,お忙しいのだったら言ってくださったらよかったですのに」
二人ともとても落ち着いたやさしい声で話していた。僕とほぼ同年輩の男性は,きっと僕と同じ職業なんだろう。素敵な香水の香りとともに印象に残っているこの情景を「赤いコートの女」と題し,ちょっとモディリアーニ風の木版画にした。サイズは「赤ワイン」と同じ小さなもの。バックはマイルスデービスのスケッチオブスペイン。情熱の国スペインだが,他意は無い。



赤いコートの女:モディリアーニ風

赤いコートの女:モディリアーニ風




2025年3月4日火曜日

新二十四節気:啓蟄

明日,3月5日は啓蟄(Insects Awaken)。地中から蛇やカエルが出てくる時期。先週は春の気配を感じる毎日だったが,今週は再び冬に逆戻り。関東以北では雪が積もっている。今はちょうど雛祭りの時期(正確には3月3日),雛あられを題材とし,高杯(「たかつき」と読む)に盛られたあられの中から目を覗かせている蛙を木版画にした。あられに埋もれている姿は,まさに「あられもある姿」




小さな額:茶碗と茶筌

街で見つけた小さな額に,小さな茶碗の木版画を入れた。額の窓は5センチ足らず四方の本当に小さなもの。この図柄は新作ではない。一昨年に作成した二十四節気,夏至で,和菓子「水無月」に添えた茶碗の茶筌の図柄と同じ。ただ小さな額用に全体を一回り小さくして彫り直し,茶碗の色もグレーにした。小さな額の版画は単純なものが最適。前回の赤ワインに続いてこれも飲み物。次は飲み物とは違うものにしてみよう。

茶碗と茶筌

 

Also Sprach Xaver

「赤いコートを着た女」の構図がとても気に入って,同じような大きさの,同じような構図の木版画を作りたくなった。ふと思い浮かんだのが大分駅にあるフランシスコザビエル像。明示的に手を描かなかった「赤いコートを着た女」に対して,フランシスコザビエルは大きく手を広げている。それを特徴として...