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2026年8月22日土曜日

処暑:二十四節気

明日8月23日は処暑。まだまだ暑い日が続くが,時折秋の気配を感じることが多くなった。

小学生の頃住んだ家の裏隣には小さなお地蔵さんがあった。お地蔵さんは小さな建物のなかに祀られていたため,直接それを見たことはないが,おそらくこのような感じだったんだろう。お地蔵さんは地域の人々によって管理されていた。夏の今の時期になると紅白の提灯が飾られて,多くの人が集まり子供たちにお菓子が配られていたことを覚えている。

地蔵盆

地蔵盆:小さな額


これが私の古里だ さやかに風も吹いている
心置きなく泣かれよと 年増婦の低い声もする

あゝおまえは何をして来たのだと......
吹き来る風が私に云ふ
 (中原中也「帰郷」より)

2026年5月21日木曜日

小満:二十四節気

5月21日は啓蟄。小満の版画はさくらんぼ。ちょうど東北旅行を計画中に思いついた図案だが,実際に山形へ行くと,道沿いの果樹園のさくらんぼはまだ実っておらず,さくらんぼは小満の図案としては少々早すぎた。しかし遅れるよりは早めの方がずっと良い。

版画はいろいろなタイプを試行錯誤している最中。先ずは黒い線で輪郭を描くという方法(重主版法と呼ぶらしい)でやってみた。版は背景のグレー,さくらんぼの赤,輪郭の黒の3版だから比較的早く出来上がった。正確に言えば器は輪郭がなく黒がベッタリ。左端のさくらんぼの輪郭が少し欠けたが仕方がない。もっと細い線で輪郭を描きたかったが今の力ではまだまだ難しい。

さくらんぼ(主版法)



さくらんぼ(小さな額入り)


出来上がりはまあまあだが,やはり黒く太い輪郭のせいで,初夏らしい清々しさがない。そこで版をを重ねるいつものタイプ(分解法と呼ぶらしい)も作ってみた。ここでも枝を細く彫るのが至難の技。お皿は木製をイメージしているが,ぼかしの手法を使い影を表してみた。少し小満の清々しさが出たように思うが,どうだろう。


さくらんぼ(分解法)






2026年2月4日水曜日

立春:二十四節気


本日は立春。暦の上では春の始まり。事実少し暖かい。しかし油断は禁物,週末はまた寒くなるらしい。立春を機に再び二十四節気の木版画を始めることにした。今回は,最初のチャレンジ(2020年から2021年),2回目のチャレンジ(2023年から2024年)に続き3回目の挑戦だ。2回目では判子は最初とほぼ同じだが,「穀雨」,「大雪」,「冬至」については新しく作成した。今回ももう一つという判子は新たに刻す予定だ。

一ヶ月に2つ図案を考え,それを板に彫り,さらに絵の具をのせて紙に摺るのは大変な作業。彫り,摺りという肉体的作業はともかく,図案を考えるのが一番大変。これは研究も同じで良いテーマを探し出すというのが一番重要で大変。そのことに悩まされ続けた40年だった。いつまで続くかわからないが,いろいろなものを見て,観察して,あれこれ頭で考えることは「ボケ」防止になるだろう。今年73歳になる。

というわけで立春の図柄は近所の植物園に咲く蝋梅(ろうばい)。単純な構図だがそれなりに手間はかかっている。蝋梅の花だけでも4版。花びらの重なりで透明感を出そうとこころみたが,色の濃さの加減が難しい。蝋というものの普通の白梅や紅梅のように五弁ではなく多弁(蝋梅は英語ではwintersweet,梅とは全く関係ない)。絵では十弁にしている。蝋梅の透明感を出すためにできるだけ薄い黄色(クロームイエロー)を用いたが,それでも三層重なる場所は結構濃い色になってしまう。まったく満足のいくものではないが,立春の判子,背景のサーモンピンク(スカーレットレイキ+白)で,なんとなく蝋梅,より詳しく言えばこの時期,この花の色と図柄では消去法で蝋梅しか思いつかないだろう。

サイズは葉書サイズ
季節の便りに使えるように下部に十分な余白をとった

実はこの版画の絵柄のサイズは,最近凝っている小さな額のサイズ。サーモンピンクの背景とともに切り抜くとピッタリと収まるようになっている。つまり部品の共有化だ(笑)。実際に額に入れたものが下。次は2月19日の雨水,どんな図柄が良いか,,,。頭が痛い。


背景はLPレコードのジャケット
ジョージ・ウインストンのWinter into Spring.

テクニカルデータ:

  • 背景: スカーレット・レーキ (ニッカー・ポスターカラー #004)+ White (ターナー・ポスターカラー #001)
  • 花: クロームイエロー (ニッカー・ポスターカラー #026)
  • 木: 黒 (ニッカー・ポスターカラー #054)+ 白 (ターナー・ポスターカラー #001)




2025年4月19日土曜日

新二十四節気:穀雨

明日4月20日は穀雨。春の終わりを告げる時期だ。あと二週間すれば立夏,夏が始まる。一昨年の立夏「絵に描いた柏餅」から始めた新二十四節気の木版画シリーズも今回が最後。途中中断したが,昨年末の「力作のない木版画展」(こちら👉)を機に再開しやっと完成した。これでひと段落。一息ついてから新しいことに挑戦しよう。

穀雨のテーマは筍。非現実的だが,筍をブルーにすることで雨後の竹林に筍が生えている雰囲気を出してみた。篆刻は今回新しく楕円形のものを朱文で作成した。丸い石は真っ直ぐ垂直に押印するのは至難の業だ。

竹林の筍


最近,必ずしも対象物の現実の色ではなくても,雰囲気を表すにふさわしい色ならばどんな色でも良いのではないかという気がしている。以前の「異邦人」でも黄色い空に白い太陽でアルジェリアの日がジリジリと照りつける暑い日を表してみた。


異邦人よりアルジェリアの太陽

ブルーと深いグリーンで冷んやりした竹林の中を表したのだが,どことなく福田平八郎風だ。昨年作品を直に鑑賞してからすっかり福田平八郎のファンになってしまった(こちら👉)

2025年4月3日木曜日

新二十四節気:清明

 明日4月4日は清明。桜はまだ五分咲き。日曜日には,いつもの中高の友人三人と花見に行くつもりだが天気予報では雨とのこと。まあ美味いものを食って,おしゃべりを楽しむことにしよう。というわけで「清明」の版画は花見団子(三色団子)。そう言えば昔「黒猫のタンゴ」という歌があった。

黒猫の花見団子


2025年3月19日水曜日

新二十四節気:春分

明日3月20日は春分。科学的には昼の長さと夜の長さが等しくなる日だが,漢字の意味するところは,立春(春の始まり)と立夏(夏の始まり)のちょうど中間点。つまり春真っ只中なんだが,実は瀬戸内海に面した温暖な地域であるここ神戸でも昨日は雪が降った。今はお彼岸の期間,明日春分はその中日にあたる。そこで季節の版画は,「ぼた餅」にした。添えた言葉は「棚からぼた餅」ではなく絵そのもの「箱からぼた餅。」なんの意味もない見たそのまま。

餡子ときな粉のぼた餅

子供の頃は,これを「ぼた餅」ではなく「おはぎ」と呼んでいた。「おはぎ」は秋分に食べる「ぼた餅」で,「ぼた餅」は春分に食べる「おはぎ」ということだ。つまり,物理的には両者はまったく等しいものらしい。

明日は京都に住む息子家族と一緒に和歌山までお墓参りにいくつもりだ。お天気は回復するようだ。阪神高速湾岸線を利用して自動車で行くのだが,関西国際空港を右手に見ながら,阪和自動車道へ分岐するあたりでとても懐かしい気持ちになる。「この道はいつか来た道」,現役時代の出張はいつも早朝三宮から関空行きのリムジンバスだった。

2025年3月4日火曜日

新二十四節気:啓蟄

明日,3月5日は啓蟄(Insects Awaken)。地中から蛇やカエルが出てくる時期。先週は春の気配を感じる毎日だったが,今週は再び冬に逆戻り。関東以北では雪が積もっている。今はちょうど雛祭りの時期(正確には3月3日),雛あられを題材とし,高杯(「たかつき」と読む)に盛られたあられの中から目を覗かせている蛙を木版画にした。あられに埋もれている姿は,まさに「あられもある姿」




2025年2月2日日曜日

新二十四節気・立春

明日2月3日は立春。まだまだ寒い日が続き,月曜日からの週は気温もぐっと下がるらしいが,暦の上では春だ。しかし四季を感じるのは温度だけではない。夕方5時にはすっかり暗くなっていた12月に比べて日が沈むのが随分遅くなった。確実に春は近い。


蕗のとう


立春の版画は,まだ本格的な春ではないが,なんとなく春の始まるを告げるような気がする開き始めた「蕗のとう」に,立春の篆刻とキャンディーズの「春一番」の歌詞を添えてみた。

もうすぐ春ですねえ

ちょっときどってみませんか


ところで「春一番」は,歌われているように明るく楽しいものではないらしい。元来,春先、初めて吹く,最大風速8メートル以上の強い南風のことを言う。立春から春分にかけての時期に吹くこの春一番は、竜巻や突風を伴い,漁に出る漁師たちの間でもとても怖がられているとのこと。 

2025年1月19日日曜日

新二十四節気:大寒

明日は二十四節気の大寒。英語で言えば "Great cold" 。まあ一年で一番寒い時期なんだろう。それでも,今週は旧友と二人キャンプに行く計画だ。キャンプの夜は鍋と日本酒に決定。キャンプについては別の機会にブログで報告するが,キャンプといえばやはり焚き火だ。

と言うわけで,大寒の木版画のテーマは焚き火と焼芋。色づいた落ち葉の中に焼き芋が二個,小さな炎と立ち上る煙。


篆刻はもちろん「大寒」だが,添えられた文章は本来は焼き芋とまったく関係がない。出典は大海人皇子(天武天皇)が今は中大兄皇子(天智天皇)の妻になったかつての妻額田王に送った歌,

紫の匂へる妹を憎くあらば人妻故に我恋ひめやも(万葉集) 

だ。これは額田王の歌

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(万葉集)

への返歌。要するに,現代語の「芋」と,古文の「妹」の発音が同じというだけ。加えてさつまいもの色は紫だし,落ち葉が沢山あるから万葉という妄想の連鎖。焼き芋の版画を摺っていてふとこの歌を思い出したわけだ。

人妻故の「故」の意味が分かり難いが,リービ英雄の英訳を見ればバッチリ。故は,"because" ではなく,"though" なのだ。

If I despised you, who are as beautiful

as the murasaki grass, 

would I be longing for you like this,

though you are another man’s wife?

English translation by Ian Hideo Levy in Miyata et al. (2000) Love songs from the Man'yoshu (Tokyo: Kodansya International)


『万葉恋歌』

万葉集の歌は本来とてもシンプルで心情を直接的に表現したものが多い。難しい解釈は不要。英語で読むのが一番わかりやすい(こちらも参照👉)。上記の本,切り絵はあまり興味はないのだが,リービ英雄の英訳が知りたくて購入したもの。誤解をないように言うが,この本の切り絵が「もう一つ」というのではなく,僕は「切り絵」というものにあまり心を惹かれないのだ。

2025年1月4日土曜日

新二十四節気・小寒

明日は二十四節気の小寒。英語で言えば "Slight cold" だから「ちょっぴり寒い」と言うわけだが,ここ六甲山の裏では朝晩の寒さは結構きつい。それでも今日は,幌をフルオープンにしてパンを買いに山道のドライブを楽しんだ。贔屓のパン屋さんは今日が年明けオープン。

お正月休みは明日でおしまい。お正月休みは,近所の箕谷神社に初詣に出かけただけで,後は家の中で食ったり飲んだりの毎日,気がつくと体重は一気に2kgも増加した。

箕谷神社

クリスマスシーズンのシュトレンもすっかり無くなるため,正月休みは毎年和菓子を楽しむのが常だ。特に金沢出身のH先生が,生前年末に届けてくれる金沢の和菓子「福梅」はわが家のお正月には欠かせない和菓子だった。まさに「仰げば尊し和菓子の恩」

先生が亡くなった後年末に金沢から取り寄せていた。ただ今年は取り寄せることはなかった。暮れに京都の料亭の女将から京都の和菓子が届いた。それだけでお正月は十分。しかし毎年あるものがないのは少々寂しい。そこで小寒の版画は,きちんと並んだ箱入りの,「福梅」を木版画にした。添えた一言は「笑門来福」をもじった駄洒落。

福梅10個入り



2024年12月19日木曜日

新二十四節気・冬至

今週末の土曜日(12月21日)は冬至。北半球では一年で夜が一番長い日だ。ただし日の入りが一番早いわけでも無いし,日の出が一番遅いわけでもない。日の入りから日の出までの時間が一番長いというだけだ。実は,日が暮れるのが一番早い日は冬至より少し前,日の出が一番遅いのは冬至より少し後になる。

そんな気象の話よりも,冬至といえばやはり柚子湯。湯船にぷかぷか浮かぶ柚子を木版画にしてみた。石のハンコは新たに彫り直したもの。


絵柄は水(湯)に浮かぶ柚というだけで,それが風呂であるかどうかはまったくわからない。むしろ明らかに湯船とわかるところに柚子が浮かんでいるというありふれた図柄にはしたくなかった。しかし,水面をどう表すかが問題で,結局,福田平八郎の「鮎」の水面に大きく影響を受けたものになった。この濃いブルーと薄いブルーの色合いを選んだのはそれだけではなく,元はと言えば,二年前の晩秋,奥の細道を辿るロードスター一人旅の帰り道,長岡から金沢に向かう途中で立ち寄った「親不知」で,断崖絶壁から眺めたとても美しい日本海の水面の記憶である。

親不知:断崖絶壁から見た日本海の海面




2024年12月7日土曜日

新二十四節気・大雪

今日,12月7日は大雪。「力作のない木版画展」も無事終わりホッとしていると直ぐに大雪になってしまった。それに合わせて作成した「二十四節気」の大雪の木版画は次の通り。妻が料理をしているキッチンに行くとちょうど葉を切り落とした小さな蕪が三つ。葉の切り口がとても綺麗なグリーンでまるで薔薇のように見えたので,それを大雪の木版画の図案とした。今は蕪が旬のようだ。

蕪の白い部分は根だと思っていたが,実は根はその下の小さな髭のような部分,白い丸い部分は根と茎の間が膨らんだもので根では無いそうだ。妻が準備していた株は既に葉の部分と根の部分は切り落とされ,直ぐに料理に使える状態だった。つまり根も葉もない蕪だ!新作の版画に合わせて篆刻も新しく作成した。

「木版画展」に来てくださった沢山の方々,本当に有難うございました。

根も葉もないかぶら


2024年4月28日日曜日

福田平八郎展

大阪まで福田平八郎展を見に行ってきた。 敬老優待乗車証のおかげでバス代は半額。これまでは自宅のある北区から三宮へ出る市バスは高額だったがそれが半額になったおかげで街に出やすくなった。敬老無料乗車証ならもっと良いのだが。

三宮から阪神電車(最近阪神電車のファン)で福島まで行くと,あとは10分ほど歩くだけで中之島美術館に到着する。橋のたもとで美術館方向を見ると炎天下長蛇の列。鑑賞意欲がそがれる中ともかく会場までと行くと,実は長蛇の列は同時開催のモネ展。福田平八郎展は行列もなくスッと入場することができた。



すべて素晴らしい作品だった。福田平八郎の絵は大分や京都の美術館でも観たことはあるが,こんなに沢山の作品を系統的に鑑賞したのは初めて。大きな刺激を受けた。物を見て描くというのは,現実をそのまま描くと言う訳ではない,自分の目と心に映ったものが反映されるように特徴的に描くということなんだと感じた。単純な図柄しか描けない自分の技量を卑下していたが,そんなことは気にせず自分自身が楽しめばそれでいいんだと納得。

もちろん福田平八郎の絵と自分の道楽を重ねるのは失礼極まりないのだが,ふとウイーンフィルのコンサートマスターが,子供に演奏を指導するというドキュメンタリー(奇跡のレッスン)を思い出した。そこでそのコンサートマスターは,演奏のテクニックのレベルに関係なく,どんな初心者でも楽譜通り演奏するということではなく表現ということが一番大切だと話していた。僕の道楽も技量はまったくダメだが,その言葉を拠り所として自分なりに続けている。滞っている新二十四節気の木版画を再開しようと大きな刺激を受けた

ところで,会場の大きな看板に福田平八郎の年譜が掲げられていた。そこに没後福田平八郎は,京都の法然院と大分のとある寺の墓に葬られているとあった。大分出身のカミさんの旧姓は同じだが,カミさんの実家の墓も大分の同じ寺にある。寺はごく普通の小さなお寺だ。2,3分もあれば境内をすべて見て回れるほどの広さだ。20年ほど前に墓参の時に見つけ「こんなところに福田平八郎の墓があるんだ。それとも同姓同名の別人なのかな」と思った記憶があるが,何故かそれ以降墓参りの度に探しても見つからない。今福田という名のつく墓はその寺には一つしかない。そのそのため僕の記憶違いなのかなとずっと思っていた。それが今回の福田平八郎展で見間違いでなく確かに墓があるんだと分かった。何か関係があるんだろうか。


九月九日重陽の節句

今日九月九日は重重陽の節句。別名菊の節句。五節句のうち一年で最後の節句だ。三月三日の上巳の節句(雛祭り,桃の節句),五月五日端午の節句(子供の日菖蒲の節句),七月七日は七夕の節句(星の節句,笹の節句)がそれぞれよく知られているのに対し,重陽の節句はあまり一般的ではない。雛人形,鯉...