卯月(四月)の裏庭の風景の木版画がやっと出来上がった。卯月とは卯の花の月という意味だそうだ。ノースポールという小さな花が大きめのテラコッタの鉢に集団で咲いている(群生という言葉がこれに相当するのかどうかがわからない)のがとても春らしく,版画にしようと何度も試みたのだが上手くいかなかった。一番の問題は花が白いということだ。
白い紙の上には白い花を描くことはとっても難しい。そのため五月(皐月)のヤマボウシは,緑の背景に白い花をくり抜いたわけだ。ノースポールも同じことを試みたのだが,花弁が四つでほぼ重なりがないヤマボウシと違って,ノースポールは花弁の数が多く重なりがある。つまり個々の花弁を識別するためには花弁と花弁の間に細い境界線が必要となる。花が小さいからその境界線は絶望的に細くしなければならない。
白くクリ抜くと白い花はくっきりするのだが,線が潰れた時はそれだけ失敗が目立つわけである。何度も何度も試みたが,線が潰れ,数多くの小さな花びらを持つこの花の特徴が無くなってしまう。そこでとうとうその方式を諦めて,花びらにうっすらと水色をつけて,背景の白と区別する方式にした。
例によって,僕には花を上手に写生する技術はないので,小さなたくさんの白い花びらというこの花の特徴だけをラフに描くことにした。具体的には花弁の数を16枚とし,一つおきに8枚の花弁を彫った板を2枚用意し2回重ねる。それぞれの花弁はある程度の重なりを持つような大きさにしているので,2回重ねて摺ると,ちょうど花弁が重なっている様子がそのまま描き出される。花弁だけでなく花全体も重なる場合があるので,実際には花も二群にわけて,合計4枚の板に花弁を彫ったわけである。
これでも小さな花弁はところどころ欠けたが,クリ抜きと違って目立たない。より正確にいうと,クリ抜き方式で境界線が欠けた場合は大きな花びらになってしまって,小さな花弁がたくさんあるというこの花の印象が薄れてしまうが,僕が採用したこの方法なら,該当する一枚の花弁が欠けるだけである。実際の花でも花弁が欠けているものもあるし,これなら失敗の影響は小さく抑えることができる。実際ところどころ花弁が欠けているのがわかると思うが,全体としてそんなに違和感はない。
ノースポール |
たとえ偽りの春だろうと,春が訪れさえすれば,楽しいことばかりだった。問題があるとすれば,どこですごすのが一番楽しいか,という点に尽きただろう。一日を台無しにしてしまうのは人との付き合いに限られたから,面会の約束さえせずにすめば,日ごとの楽しさは無限だった。春そのものとおなじくらい楽しいごく少数の人たちを除けば,幸福の足を引っ張るのはきまって人間たちだったのである。
ヘミングウェイ/高見浩訳「偽りの春」,『移動祝祭日』(新潮文庫)所収
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