2024年6月12日水曜日

新訳を楽しむ:サマセット・モーム

兵庫区の児童館で同僚だった若い女性(もちろん僕からみると皆若いのだが)は垂水から電車で通ってきていた。夜遅くなることも多いし,垂水は遠いから近くに引っ越せば良いのにと話すと,関東で育った彼女は,垂水がとっても気に入っているとのこと。そんな話をしているとき,サマセット・モームの短編「困ったときの友」に垂水の沖合の赤い灯台(ブイ)が描かれていることを思い出した。「困ったときの友」を読んだのはずっと昔だが,話の筋は覚えている。

「困ったときの友」は『コスモポリタンズ』という短編集に収められている。実は定年を機に蔵書はすべて処分した。「この本は持っておこう,この本は不要」と処分する本を選別するのは,上梓に渾身の力を込めたであろう著者に対して失礼な気がして,それならばと自分の著した本,恩師の本,友人の本を含めて研究室に置いていた本は,すべて公平に古本屋さんに引き取ってもらった。その中にモームのコスモポリタンも入っていたのだ。

今では本をすべて処分したことちょっぴり後悔している。そして恥ずかしながら,新たに購入し直した本も何冊かある。そういうわけで『コスモポリタンズ』もこれを機会に再購入した。しかし,経済学関係の書物は間違っても再購入はしないつもりだ。

龍口直太郎訳『コスモポリタンズ』(ちくま文庫)

読んでみるとやはりモームの短編は面白い。『コスモポリタンズ』には「困ったときの友」だけでなく,「審判の座」,「幸福者」,「詩人」など,お気に入りの短編がいくつも収められている。あらためて読んでも,やはりとても面白かった。モームの「ひとひねり」を楽しむことができた。

そんなわけで,時間潰しに立ち寄る本屋さんの書棚でも,ついモームに目が行ってしまう。昔読んだ『月と六ペンス』,『アシェンデン』などもつい再購入してしまった。いずれも昔読んだ中野好夫訳や河野一郎訳ではなく金原瑞人の新訳。見慣れた紺色とくすんだグリーンの表紙の文庫本ではなく,カラフルで現代的だ。とても読みやすくすべて一気に読み終えた。やはり翻訳も自分が暮らしている時代の人のものが良いのかもしれない。これは円地訳,与謝野訳などで『源氏物語』を何度も挫折したことに共通している。『源氏物語』も角田光代訳が断然読みやすく思った。角田光代さんは1967年生まれ,僕より一回り以上若い。

金原瑞人訳:新潮文庫

『月と六ペンス』は,新訳をあらためて読んで,昔読んだ時と少し感じ方が違っているように思った。全般的にはありそうもないような話(芸術の世界ではありそうなことなのかもしれないが)が書かれていて,おそらく若い時に読み面白いと思った時の僕の興味はそこにあったのだろう。

しかし今回読んで一番面白いと思ったのは(というより妙に納得した,苦笑いをしたのは),小説の最後に描かれているストリックランドが死んだ後の,元ストリックランド夫人の振る舞いに関するところだ。なるほどこれが他の短編とも共通するモームの「ひとひねり」で,実は話の真髄であり,『月と六ペンス』という題名の所以もここにあるんだなと思った。もちろんそれは僕が感じただけでそのような感じ方が正しいかどうかはわからない。

『アシェンデン』や他の短編については昔と同様楽しく読むことができた。モームの「ひとひねり」を本当に楽しむことができた。特に『アシェンデン』については大学で働いていた頃よく訪れたヨーロッパの素敵な街街を思い出しながら本当に楽しめた。金原瑞人のモームの新訳には,この他に『人間の絆』があるのだが,僕はどうしてもこの小説が好きになれなかったし,もう一度読もうとは思わないのだ。これも僕の感じ方が間違っているのかもわからないが『絆』というイメージではなく,逃れようのない人間と人間のしがらみ,文字通り縛られた人間関係(Of human bondage)という風に感じ,とてもしんどくて,気持ちよく読了したという記憶がない。それよりもこれから『お菓子とビール』,『女ごころ』などの新訳(金原訳)が出てくるのが楽しみだ。



2024年6月9日日曜日

梅雨入り前に,いつものように三人で

梅雨入りする前に,いつもの三人で会おうということになり,橋梁のT君が神戸御影界隈を散策後,灘五郷の酒蔵で食事をするというプランをアレンジしてくれた。お天気は快晴というわけではないが,強い雨が降るわけでもなし,蒸し暑いというわけでもなし,肌寒いというわけでもない過ごしやすい1日になった。

JR住吉駅で午後3時に待ち合わせ。僕は神戸在住とはいうものの六甲山の裏から近距離郊外の市バス(つまり一律210円という定額路線ではない)で30分から場合によっては40分かかるので,心理的距離は京都や大阪から来るのとそんなに変わらない。ただ楽しいことで出かけるのは,移動も楽しい。

行き当たりばったりの僕とは違って,真面目で計画性のあるT君,全行程をきちんと計画,まずは,白鶴美術館でちょうど開催されていた中国美術コレクションを鑑賞することから始めることになった。

白鶴美術館:立派な建物

中には最近知り合いのお茶の達人の影響で少しは知識がある天目茶碗もあったが,主たる展示は周の時代の青銅器。自然科学の二人は青銅器の本来の色について化学反応の観点からいろいろ類推や議論をしていたが,文系人間の僕にはちんぷんかんぷん。僕はそれより,このような建物,このようなコレクションを保有するとは,酒屋さんというのは儲かるんだなあ,とまさに三流経済学者の発想。しかし「夏,殷,周,秦」 …で始まり「宋,元,明,清,中華民国,中華人民共和」で終わる歴代の中国王朝は三人ともいまだに誦じて言えた。それを覚えたのは約60年前。前にも言ったように三人は中学・高校ともに同期だ。

T君からこの後は,御影住吉の高級住宅街を散策し,途中あるカフェでアフタヌーンティーを食べ,その後夕食は酒蔵のレストランへという予定と言われ,三人で少しずつ山を下ることにした。確かに大きなお家ばかりで圧倒される。こういうのをマンションと言うんだろうな。

大きな家で塀の中は見えない。

余談だが,日本では集合住宅,英語で言えばコンドミニアムのことをマンションと呼ぶが,実はマンションの本来の意味は大邸宅。日本でマンションを新たに購入した日本人が,それを機会に,ちょっとしたカクテルバッフェを開いて,アメリカ人の友人を招待した。バッフェもそろそろお開きといいう時,アメリカ人が一言。「ところで,新しく買ったマンションにはこれから連れて行ってくれるの?」

ちなみに和製英語にはこのような誤解が生じることが多い。たとえば中学や高校で履いていた白い体操用のパンツをトレーンングパンツの省略形とかでトレパンと言うが,英語圏の人はトレーニングパンツと言われると,子供がおむつを取るために練習するパンツを思い浮かべるから注意!話を元に戻して。途中,カフェで一休み。

晩御飯のことを心配しながらも,やっぱり食べてしまったアフタヌーンティー

途中見かけた水車

阪神魚崎駅近くの酒蔵まで,住吉川の堤防の内側にある遊歩道を散策する。どうも僕にはこの川の流れは人工的に制御されたように見え,自然の中を歩いているという感じがしない。土木の専門家や地質の専門家である二人は,しきりに「水の制御」という観点からいろんな話をしているのだが,僕には話の内容がよく理解できない。

ただ「人工的に感じる」という僕の感覚は正しいとのこと。実は,この川の上流にある渦森台の造成で出た土砂をこの川に沿って運んで降ろしたとのこと。そしてその土砂を運ぶ上り下りのトラックのための道路が,この遊歩道の起源ということだ。いつもながら,異分野の友人と話すといろんな知識を得ることができる。


この階段状の流れも何かを制御するためということだが,それが何かは忘れてしまった。

しかし,水が流れを見ていると以前作った四万十川の木版画にはあまり川の動きが無いことが気になってきた。木目だけでなく,すこし工夫が必要かな。

四万十川:虹色鯉のぼりの川渡し

歩くこと30分,灘の酒蔵に到着。立派な酒蔵だ。そう言えば城南宮の梅見の時も伏見の酒蔵のレストランだった。いつものように美味しいお酒と,料理,何よりもおしゃべりを楽しんだ。それぞれの近況報告で始まったおしゃべりで,今回は先日NHKのプロジェクトXで取り上げられた「明石海峡大橋」の話題がとても興味深かった。橋梁のT君はこの吊り橋の設計に関わった専門家。番組では取り上げられかった他の重要な問題について熱く語ってくれた。彼は橋と風の関係(自然系のことはよく理解できなくて,こんなザクッとした説明しかできなくてごめんなさい)についての専門家だ。

レストランの立派な入口

なんといってもここでしか飲めない日本酒

料理もすべて日本酒にマッチするように用意されている

地質のT君は4月後半にちょっと体調を崩したとのことであまり元気がない。今日は早めに8時ごろに終わって解散ということに。次回は明石大橋を渡って,しまなみ海道の大橋を経由して瀬戸内海を自動車で周遊しようということになった。僕の愛車はロードスター,残念ながら二人分しかシートがない。最近買い替えたカミさんのヤリスクロスを借りて行こうかと考えている。




2024年6月5日水曜日

焚き火

 火をじっと見つめていると心が穏やかになる。


有朋自遠方来不亦楽乎

(兵庫県丹波篠山市:ハイマート佐仲キャンプ場)


朋有り遠方より来たる

子曰く 学びて時にこれを習う 亦説こばしからずや 朋有り遠方より来たる 亦楽しからずや 夕食の後で:左からT, O, S ライプナー・チーズ