当日は月はなかったのですが,ライトに照らされた巨大な建造物はなんとも言えず幻想的で,シェーンベルグの「浄められた夜(Verklärte Nacht)」を思い出しました。1985年に初めて仕事で渡米し,それから34年毎年のように共同研究やカンファレンスで外国を訪れましたが,これが最後の出張と思うと感慨深く,そのときの風景を木版画にしました。題名はもちろん『浄夜』です。
2019年7月15日月曜日
ローマ最後の夜の思い出
2月にイタリアに主張しました。出張先はカッシーノですが,飛行機はローマ発着のため,出張最後の日はローマに滞在しました。出張最後の夜にローマを一人散策し,テルミニの近くのホテルへの帰り道,思いもかけず夜のコロッセオに遭遇しました。
当日は月はなかったのですが,ライトに照らされた巨大な建造物はなんとも言えず幻想的で,シェーンベルグの「浄められた夜(Verklärte Nacht)」を思い出しました。1985年に初めて仕事で渡米し,それから34年毎年のように共同研究やカンファレンスで外国を訪れましたが,これが最後の出張と思うと感慨深く,そのときの風景を木版画にしました。題名はもちろん『浄夜』です。
当日は月はなかったのですが,ライトに照らされた巨大な建造物はなんとも言えず幻想的で,シェーンベルグの「浄められた夜(Verklärte Nacht)」を思い出しました。1985年に初めて仕事で渡米し,それから34年毎年のように共同研究やカンファレンスで外国を訪れましたが,これが最後の出張と思うと感慨深く,そのときの風景を木版画にしました。題名はもちろん『浄夜』です。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
ぼーっと生きていると危険だ!
トイレの手すりで頭をしこたま打った。手すりというか硬い金属製のハンガーのようなもの。尖った角で打ったため,少しだけだが血が出てきた。それもすぐに止まったから大丈夫だろうとたかを括っていたのだが,夜になると傷口がズキズキ痛むし,打った側の目や耳まで痛いような気がする。しかし,肩こり...
-
Dさんのことを「Dさん」と呼ぶようになったのはいつ頃だっただろう。Dさんは学部も大学院も僕の3学年先輩だが,最初の出会いは,僕が大学院・修士課程1年生の時だった。その時Dさんは既に大学の助手であり,学生の僕は「D先生」と呼んでいたと思う。事実,修士論文の作成に必要な数学的な方法を...
-
「通読」という言葉が適当であるかどうかはわからないが,最初から最後まで系統的に目を通すという意味では僕は万葉集を通読したことはない。それどころか,実は『万葉集』そのものも持っていない。これまで目を通したものは抜粋された歌に口語訳や解釈が併記されたものだけなのだが,それでも鮮やかに...
-
今日は6月の第一月曜日,木版画の会。中央区の文化センターの美術室に9人の木版画愛好者が集まった。今日はHさんの「回転版画?」のデモがあった。木の板を彫刻刀で彫り,それに絵の具を載せてバレンで和紙に摺るという伝統的な版画ではなく,段ボールにハサミやカッターで切れ目を入れたり,木の葉...
0 件のコメント:
コメントを投稿