2022年9月30日金曜日

裏庭の風景:10月

明日から10月。すっかり秋らしくなってきた。今年もなんとか暑い夏をやり過ごすことができた。涼しくなって,集中力が少し戻ってきたように感じる。読書三昧の毎日。日本を含めて世界中,憤る出来事ばかりだ。僕の貧弱な頭脳では考えても考えても「これだ!」という解決策はみつからないが,諦めずに考えることは続けようと思う。すべてのことに共通する原因についてはなんとなくわかってきたのだが。

9月から咲き始めた裏庭の菊芋(キクイモ)も盛りは過ぎたようだ。キクイモは秋の花としては,鶏頭,ダリア,コスモスほど知名度は高くないが,その大きな黄色い花は春夏を過ぎて寂しくなった裏庭を華やかにしてくれる素敵な花である。特に秋の青い空に黄色い花弁がよく映える。本当はそれを木版画にしたかったのだが,出来上がったものはまるで真夏の風景のようだった。そこで背景色を,薄い栗色(洋菓子モンブランのクリームの色)にして秋らしさを表すことにした。

秋の菊芋

参考のため,背景を青(セルリアンブルー)とした菊芋の摺上がりを下に示した。やはり青と黄色のコントラストは夏の向日葵と青空のほうが似合う。ウクライナが舞台の映画「ひまわり」では青い空のもと地平線まで続く一面の向日葵がとても印象的だ。僕はてっきりウクライナの国旗はこの黄色い向日葵と青空を表しているものと思い込んでいたが,真実は小麦畑の黄色と青空らしい。

真夏の菊芋

篆刻は和風月名の「神無月(かんなづき)」。10月には全国の神様が出雲大社に集い (注1),他の地域では不在になるため神無月(神が無い月)と呼ばれるという説もある。そのため出雲大社のある島根県では「神在月(かみありづき)」と言うらしいが,この説に確たる根拠があるわけでは無い。それよりも,水無月と同じく,「無」を連体助詞「の」であるとして神の月としたというのが有力らしい。いずれにせよ10月は神を祀る時期なのだ。

(注1) 出雲大社には縁結びの神様である大国主の尊(おおくにぬしのみこと)が祀られている。神無月に全国の神様が集まる目的は,膨大な量の縁結びを手分けしてするためである。縁結びには糸が用いられ,こちらの端をあの人に,もう一方の端をあの人にという具合に次々と縁結びをするのだが,何せ道具が糸だから絡れてこんがらがってしまうこともある。これが巷に溢れる「絡れた」関係の原因らしい。ただし,これは五代目志ん生の落語の枕。確かな根拠はない。そもそも「神」に関することには根拠のないことが多い。


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