9月7日は白露。秋が始まるこの時期,夜中に冷えた空気が露になって草木に結び,明け方の光の中に白く輝く様子から白露と言うのである。白露の篆刻には大きな問題はない,つまり漢字をそのまま刻すだけだから,上手い下手は別にしてそれなりのものはできるが,露を版画にするのは初心者には至難の技である。
さてどうしたものかと,あれこれ考えていると,ふと中島敦の『山月記』に,白露について綺麗な記述があったことを思い出した。詩人になることを望みながら,虎になってしまった李徴が,山中で偶然再会した旧友袁傪に今の思いを詩にして伝えた直後の状況が次のように描写されている。
「時に残月,光冷やかに,白露は地に滋く,樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げていた。」(出所『山月記・李陵』,岩波文庫,117ページ)
これを元に木版画を作成すれば,白露の木版画となるのではないかと考えた。しかし,まさにこの場面は李徴(虎)は草叢に潜み,詩を謳い終わった静かな時で,木版画にするのはとても難しい。そこで,視覚に訴える最後の場面を示すことで,その前の白露の記述を連想するような木版画を作成した。
「一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼らは見た。虎は,既に白く光りを失った月を仰いで,二声三声咆哮したかと思うと,また,元の叢に躍り入って,再びその姿を見なかった。」(出所『山月記・李陵』,岩波文庫,120ページ)
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しかし,虎になったことは嘆くべきものだろうか?それはそれで1つの生き方ではないだろうか。少なくとも僕は,人間のままでいることに比べて,虎になったり,犬になったりして暮らすことはそれほどがっかりすることでもないように思えるのだが。
版画を作成中,ふと中学・高校の同級生のことを思い出した。T大の仏文に進学した秀才の彼とは,もう何十年も会っていない。何年か前病気で倒れたと聞き,メールで少しやり取りをしたが,見舞いに行くことはできなかった。遠く離れているので,もう会うことはないかもしれないが,遅ればせながら退職の挨拶がわりにこのハガキを送ってみよう。
2 件のコメント:
小説の美しい文章からイメージされて、完成された白露。版画と篆刻と文章が一体となって、素晴らしいとおもいました。エッセイもコピーしてセットで楽しませていただきます。
ありがとうございます。
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