N君は会計学者だ。自称「歴史家」や自称「哲学者」の会計学者(自称であって,本物の歴史家や,哲学者が彼らをそう認めているかどうかは僕にはわからない)とは違って,N君は会計学を会計学として正面から正攻法で研究する会計学者である。もちろん,このことがN君が哲学的ではないということでは決してない。
僕は会計学者という種族とは概して反りが合わないのだが,なぜかN君とは反りが合い,信頼する数少ない友人の一人である。夏の初めに,N君から突然電話があった。用件は何だったか忘れてしまったから,おそらくそんなに重要なことではなかったんだろう。覚えているのは,N君が突然,「鈴虫いりませんか?」と言い出したことだけである。最初彼の意図がよく理解できなかったが,N君が飼っている鈴虫を何匹か分けてくれるということだった。N君は鈴虫を飼ってもう20年近くになるらしい。あまり虫は興味がないので,丁重にお断りした。
電話を切ったあと,ふと考えたのが,家の中で「篭」に飼うのではなく「庭」に放し飼いにすればどうだろうかということ。その後,N君に鈴虫を庭に放すということを話したが,あまり積極的に賛同する気配はなかった。おそらく鈴虫愛好家からみれば,庭に放すというのは邪道なんだろう。それは妄想だけにしておこう。
9月に入り,N君と久しぶりに食事をすることになった。その日N君はなんと,たくさんの鈴虫を籠に入れて家まで持ってきてくれた。最初戸惑ったが,それが夜になると玄関で綺麗な声で鳴くのである。想像していたより,はっきりとした美しい音色だ。
『源氏物語』の第38帖「鈴虫」では,光源氏が,まさに鈴虫(現在の松虫らしい)を庭に放し,その鳴き声を聴くことを口実に,女三宮のもとへ通う。これから少しの間,鈴虫の鳴き声を楽しみながら,妄想にふけることになりそうだ。
明日9月22日は秋分。必ずしも秋分の日が中秋の名月(太陰太陽暦の8月15日)とはかぎらない(昨年は9月13日,今年は10月1日が中秋の名月)。しかし源氏物語の設定する1000年以上前の年,秋分の日が中秋の名月だったと仮定するのも悪くはない。そう言うわけで『源氏物語』の第38帖「鈴虫」のシーンを秋分の版画にした。まさに妄想である。作者にちなんで,空は紫色。篆刻の文字はもちろん秋分だが,銀色で押印したため少し見えにくい。
1 件のコメント:
深く美しい秋分の景色、届けてくださりありがとうございました。
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