S教授は,私の大学院時代の指導教官であるが,とてもダンディーな紳士だった。イギリスで買った生地を,銀座の英国屋で誂えたスーツを身につけ,頭にはいつもイタリア製の帽子があった。ダンディーだったのは,それだけではない。先生は研究においても,とてもダンディーだった。 先生の論文はIER,REStatという上品な雑誌に掲載されている。
学術雑誌に「上品」という形容詞を使ったのには訳がある。つまり昨今流行りの,必ずしも「上品」とは言えない評価方法だけでは測ることのできない何かがあるということである。私もそういう「上品な」雑誌に論文を発表しようと努力したが,実力不足か,決して「下品」とは言わないが,やはり「上品」とは言えない雑誌にしか論文を掲載することはできなかった。
研究者生活の最終段階にかかろうとすることき,やはりS教授に縁のある,ワシントンのIMFのSさんと共同でOEPという,少しばかり「上品」な雑誌に論文を掲載することができた。論文の作成に際し,先生から習った全てのことを出せたと思う。やはり,先生のおかげである。
10年前の夏,S教授は亡くなった。先生からは大学院時代の研究指導はもちろん,多くの共同研究を通して実に多くのものを学ぶことができた。学んだのは経済学だけではない。ちょっと大げさに,そしてちょっとキザに言えば,豊かに生きること全般について学んだと思う。
先生が亡くなった同じ年の秋,ふと,先生のように帽子をかぶってみたくなった。一人心斎橋のボルサリーノへ出かけ,冬用のチャコールグレーの帽子を購入した。40年前に死んだ父もやはり帽子をかぶっていたことは覚えている。それまでは帽子などあまり興味がなかった私だが,その時以来購入したボルサリーノの帽子は夏用を含め4つになる。ボルサリーノ好きが高じて,定年退職の一年前,大学一年生向けに書いた小稿(PDFはこちら)の書き出しは,映画ゴッドファーザーの一場面から始まる。
明日,8月23日は処暑。この酷暑も少しは収まってくれるのだろうか。版画は,夏用のボルサリーノに「赤とんぼ」が止まっているという,早く涼しい秋になって欲しいという願望と妄想の産物。女性向けにと,赤いリボンの麦藁帽の版画も同時に作成した。
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