一ヶ月ほど前,寒中見舞いに次のように書いた:
木版画教室の課題(モノトーン)を作成しました。青(cerulean blue)一色の濃淡だけで冬景色を描いています。単純ですが,色を変えて,春,夏,秋などに応用することは簡単だと思います。ただ色選びが難しいですが。また時期を見て,春,夏,秋に版画をアップロードします。
いざ取りかかると,色彩だけで季節を表すことは簡単どころか,とてつもなく難しい。そもそも色だけでは解決できない季節の違いがある。一つは,冬の木は花や葉がないが,その他の季節はそれらがあるため形態が異なる。そのため春は満開の桜,夏は生い茂る青葉,秋は紅葉を表す木の膨らみを新たに作成した。ただし春夏秋三つの季節はすべて同じ版で,異なるのは色だけ。
さらに,冬にはスキーをする人を描いたが,同じ図柄を春,夏,秋に用いることはできない。もちろん人などは一切用いず,空と木の色だけで季節を表すこともできるのだが,今回は春には自転車(本当は大好きな横光利一にちなんで馬車にしたかったのだが,残念ながら馬車には乗ったことがない),夏にはカヌー(R大のMさんと一緒に木津川を下った楽しい思い出がある),秋にはジョギング(これはいつも三日坊主)する人を加えることにした。
以下は,その結果の四季の版画。色は春,夏,秋,冬それぞれ,オペラレッド(ピンク系),ヴィリディアン(緑系),ヴァーミリオン(朱色系),セルリアンブルー(青系)。
春; Spring; Frühling (opera red) |
ジョージ・オウエルは,その政治的立場を含めて,共感するところの多い僕の好きな作家の一人だ。彼のエッセイ「イギリスの季節」(小野寺健訳『一杯のおいしい紅茶』中公文庫,に所収)は「イギリスの気候は人間の扁桃腺の切除のようなちょっとした手術が必要ではないか。1月と2月を切り捨ててしまえ。そうすれば文句はなくなる」というような自虐的な書き出しで始まる。
しかし,その後語られることは,結局はその1月と2月を含めてイギリスの気候への礼賛である。要は季節季節それぞれの良し悪しは重要ではなく,それらの変化が重要である,というのが彼の主張であり,「イギリスの気候のよさは,変化に富むことである」と記している。このエッセイに書かれていること全面的に賛成というわけにはいかないが,この主張についてはほぼ同意できる。(注記)
東方(おそらくアジア),カリフォルニア,ニュージーランド,リヴィエラなどの気候を酷評するエッセイでは,何故かまったく言及されていないが,日本の季節はおそらくイギリス以上に変化を富んでいる。京都では嵐山の渡月橋を渡り,神戸では六甲山を超える通勤路は,まさにこの季節の変化を存分に楽しめるものだった。この季節の変化を感じることで随分心が洗われたのはいうまでもない。
四季の移り変わりを版画にするというテーマを少し真剣に考えてみよう。明日は県立美術館の版画教室がある。H先生に相談してプンタスに通おうかと考えている。季節の便りに添える版画だけでなく,作品にもじっくり取り組んでみたいと思っている。
(注記)季節に関するこのような主張はずっとむかしに日本でも言われている。「折節の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ」,『徒然草』第19段。「僕はイギリスに住んだことがないから日本の気候がイギリスのそれより変化に富んでいるかどうかについては確信がない。共同研究者のSさんはイギリスにも日本にも長く住んだことがある。機会があれば一度聞いてみよう。
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