子供のころ家族で百人一首のかるた取りをするのが我が家の正月の慣行だった。犬棒カルタはほとんど覚えていて子供の中では連戦連勝だったが,百人一首に関しては歌の意味もわからないので大人のなかでたった一枚の札を取るのも至難の技だった。とにかく一枚でも多く覚えて,一枚でも多く札を取ろうと,まずは五十音順に「あ」で始まるものから一つずつ覚えていった。それ故,今でも覚えていて直ぐに口に出るものは「あ」ではじまるものがほとんどだ。
- あわじしま かよふちどりの なくこえに いくよねざめぬ すまのせきもり
- あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも
- あまつかぜ くものかよいじ ふきとじよ おとめのすがた しばしとどめむ
- あきのたの かりほのいおのとまをあらみ わがころもでは つゆにぬれつつ
- あきかぜに たなびくくもの たえまより もれいずるつきの かげのさやけさ
しかし単に覚えることは実践的には大きな意味を持つわけではないことはすぐに判明した。つまり「取り札」には下の句しか記されておらず,50音順に「上の句」を覚えていっても,「下の句」はそれに対応して順序よく並べられているわけでは無い。
ところで上記の和歌はすべてその光景が容易に目に浮かぶ。しかし「取り札」には下の句がひらがなで書かれているだけで,絵はまったく描かれていない。これが子供にとって高いハードルとなっているのだ。そこで,百人一首の取り札を,和歌から浮かぶ光景の絵で作ってみようと考えた。ちょうど5個作った時点で一旦公開,いろんな人からのコメントを参考により良いものにしていこうと考えている。サイズはカルタと同じ5.2センチ×7.3センチ,小さいものだ。
まずは持統天皇。
春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香山
これは大いに勘違いしていた和歌。春が過ぎて暑い夏の日,天香山に天女が舞い降り,あまりの暑さに山の中の泉で水浴をした後、濡れた衣を乾かしているという,西洋絵画の絵にあるような光景を思い浮かべていた。しかし,まったく違って淡々と目の前の光景を見て,何事もなく季節が移ろいでいくこと詠んだ素敵な歌だった。
春過ぎて夏来にけらし |
次に権中納言匡房。子供の頃,加古川という兵庫県の南西部の大きな川のそばの町に住んでいた。加古川は高砂で瀬戸内海に注ぐ。確か河口近くにあった相生橋を渡れば高砂だったと思う。神戸と姫路の間瀬戸内海沿岸部を走る山陽電車で,姫路から神戸に向かって「高砂」駅の次の駅は,加古川を渡って「尾上の松」駅。そのため
高砂の 尾の上の桜 咲きにけり 外山の霞 たたずもあらなむ
を初めて聞いた時,当然頭に浮かんだのは高砂と尾上という地名。どうして高砂や尾上の松から富山の山に霞がかかっているのが見えるのかと疑問に思っていた。これも全くの誤解。高砂は地名ではなく,砂が高く積もった山,すなわちこれが遠くの山なのだ。尾上も地名ではなく尾根に近い山の上の方という意味。そして何よりも富山ではなく外山は遠くではなく近くの里山。つまり遠くの山の上に桜が咲いている。どうか近くの山から霞が立ち,それがみえなくならないように,という歌。版画の手前の松の木は,その誤解の名残,尾上の松。
高砂の尾の上の桜 |
3番目は源兼昌。淡路島は神戸から目と鼻の先にあるが,明石海峡に橋が架かるまではなかなか行くことがなかった島だ。最初に行ったのは中学二年の海浜学校。洲本の海岸で泳いだ記憶がある。2回目は高校一年の夏休み,畏友と二人で淡路島から四国にかけての自転車旅行。明石からボート(小さな海峡連絡船)に乗っていった。楽しい旅だった。
淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に いく夜寝覚めぬ 須磨の関守
実は最初に覚えたのはこの歌。淡路島という固有名詞から具体的なイメージがすぐに浮かんだんだろう。今でこそ京都から須磨までは1時間ほどで行けるが,当時はきっと京都から見れば遠く離れた辺境地だったはずだ。つまり辺境の地須磨で,夜中に淡路島から通ってくる(図柄では淡路島に向かっているように見える。実は淡路島から須磨に向かってくる千鳥を須磨側から描くのはとても難しい)千鳥の鳴き声に何回も目が醒めるという寂寥たる思いを詠んだ歌。僕からみれば,都会の喧騒から遠く離れて静かに過ごすことは,むしろ望むべきことなんだが。
淡路島かよふ千鳥の |
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