2020年12月20日日曜日

冬至

 明日12月21日は冬至。北半球では一年で一番日照時間が短い。冬至といえば,かぼちゃ,柚子湯を思い浮かべる。事実,いつものパン屋さんでは,この季節にちなんでなんだろう,レジの横に「ご自由にお取りください」と段ボール箱にいっぱいの柚子が置かれていた。パンを買ったついでに,3ついただいてきた。しかし,今回の版画はそのような冬至の文化的側面ではなく,科学的側面から冬至を描いたものにした。



冬至は,太陽黄経270度で,「他の条件が等しければ」その位置はもっとも低く,影が一番長くなる日だ。版画は,夕日が沈むのを見る仲の良い幼い兄と妹,そしてその長い影を描いている。篆刻はもちろん「冬至」。


「他の条件が等しければ」という言葉から,ふと自分のやってきた仕事のことを思い出した。一生懸命何かを分かろうと努力してきたが,分かったこと以上に,分からないことがどんどん増えていくだけの40年間だった。まさに一歩前進,二歩後退。

「他の条件が等しければ」をラテン語で言えば,ceteris paribus(ケテリス・パラバス,英語読みしてセテリスという場合もある)なんだが,僕のやってきた仕事はすべて,この言葉に支配され,得られた結論はすべてこれが前提となっている。

林檎の価格が上がれば林檎の需要が減少するという「需要の法則」一つをとっても,林檎以外の価格が変化しないことが条件となっている。林檎の価格以上に蜜柑や梨,葡萄などの価格が上昇すれば,林檎の需要がどうなるかはわからない。

結局は僕のやってきた分析は,この言葉に尽きるのだが,現実の世界では,林檎の価格だけが上がって,あとは蜜柑も梨も葡萄も価格に変化はないということはあり得ない。世の中では,あらゆるものが同時に,あるときは勝手気ままに,あるときはそのように動かざるを得なく動いているのである。

現実には起こり得ないが,他の条件が等しければ,何が起こるかを知ることは,それでも重要である。たとえば「運動すれば体重が減る」ことは確かだが,同時にたくさん食べると体重は減らないかもしれない。だからといって運動をすれば体重が減ることを知っても意味はないというわけではない。そう自分に言い聞かせながらやってきた。

僕は実証経済学というものを生業としてきたが,大げさに言えば,このceteris paribusの状態に近い状態で現実のデータの動きを分析するということに悪戦苦闘してきた。つまり今思えば,40年間,現実の動きを,ceteris paribusによる動きと,そうでない動きに分離しようとしていたのだ。

「机上の空論」という言葉がある。確かに机上だが,決して空論ではないと自負している。しかし,今はもうそんなことを考える必要もない。少し寂しい気もあるが,それよりも肩の荷が下りた解放感が優っている。後はもう,次の世代に任せよう。

二十四節気の版画と判子は今回で終。正式には二十四節気は2月の立春に始まり,1月の大寒で終わるのだが,僕は西暦に対応して,今年の1月の小寒(山茶花)から始めたため,今回の冬至が最後になる。今後は,もっと自由に版画を作ろうと思う。

(追記)もっとも日が短いのは冬至だが,日の出がもっとも遅いわけではない。日の出がもっとも遅いのはおおよそ冬至の一ヶ月後だ。







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