年末の「孤独のアンサンブル」に続き,年始にNHKのEテレで「明日へのアンサンブル」の再放送があった。。コロナ禍での演奏家の活動の記録だ。その中で,東京交響楽団のクラリネット奏者の吉野亜希菜さんが,自宅の小さな防音室で,一人チャイコフスキーの花のワルツを演奏するシーンがあった。何か,訴えかけてくる迫力のようなものがあった。後で13人のアンサンブルでもこの曲が演奏されるのだが,音楽の偉大さを実感する番組だった。版画は,クラリネットとピアノ。篆刻はシューベルトの「楽興の時」の楽興だ。
一時期,クラリネットに没頭していた。習っていたI先生は東京藝術大学出身。僕には上等すぎる先生だった。他にI先生のレッスンを受けていたのは,すでに吹奏楽団やバンドでクラリネットを吹いている人,音大を受験する高校生など。僕だけが騒音とミュージックの境界線を放浪する下手くそだった。
それでも,先生がお手本で吹いてくれるクラリネットの音色にとても幸せな気持ちになり,月に二回のレッスンがとても楽しみだった。それだけで十分だったんだが,I先生はこんな僕相手でも手を抜かない。レッスンでは,先ずは一番低い音から長く伸ばした音を順に吹いて,その日の調子を確認。先生から「今日は調子がいいね」と言われることは,年に一度か二度。それが終われば音階練習。赤いAlbertの本を長調,短調と順番に一つずつ練習する。
それが終わればエチュード(練習曲)。習い始めからエチュードはすべてランスロ(Jacques Lancelot)のもの。最後は写真にある緑色の25のエチュードだった。最近,郡尚恵さん,工藤雄司さんというプロのクラリネッティストがそれぞれこのエチュードを演奏するYou Tubeに偶然巡り合った。
僕が苦労して吹いていたこのエチュードはこんなに美しい曲だったんだ。そして動画を見ていると指が信じられないように動いている。もちろん僕はこんなに上手に表情豊かに吹けなかったが(I先生も,さすがにおまけで◯を入れてくれてたんだろう),指は同じように動いていたはずだ。そうでなければ音は出ないから。こんなことができるようになっただけでも,人生に意味があったと言えそうだ(笑)。
それが終わると,いよいよ先生が僕の力に合わせて選んでくれた曲なのだが,そのころにはもうクタクタ。体力はほとんど残っていない。一人で曲を吹いて先生が指導してくれる場合もあるし,先生とのデュエットの場合もある。
集中して音階やエチュードを練習するレッスンは,音楽(音を楽しむ)というよりは,修行をしている感覚だった。しんどかったが,けっしてレッスンは嫌いではなかった。ただ先生とは楽器も同じクランポン(RC),リードも同じヴァンドレン(先述の吉野さんも美しい音色だったが,56という高価なリードが防音室にたくさん積んであった)。それなのにこんなに音が違うのは何故だろう,澄んだ音が出ないのは僕の心が澄んでいないからだと絶望的になったこともある。
さて本題。レッスンを通して思い知ったのは,どうしても乗り越えることができない,才能という問題だ。ドレミファソラシドの音階でも先生が吹くと,「間」というか,演歌でいうと「こぶし」というか,それがミュージックになるのに,僕が吹くとただ音符が並んでいるだけ。つまり僕には音楽の才能は全くなかった。それでも,まさに音楽の神様が降りてくるような不思議な時を何度か経験した。
一つは先生とのデュエットで,先生の音楽につられてまるで勝手に指と息が動くように上手く演奏できることがあった。もちろん僕が吹けるぐらいの簡単な曲なんだが,自分が楽器で音楽を演奏しているのではなく,音楽が楽器を通して僕に演奏させているという感覚でまさに楽興の時(Moments Musicaux )だった。
もう一つは,もう一人のI先生のピアノの伴奏に合わせて吹いた時。ピアノのI先生も,舞台の袖で聴いていたクラリネットのI先生も,フロアで聴いていた同じくI先生に習っているセミプロのIさんも,演奏が終わった時に,唖然として目を丸くしているのが不思議で面白かった。僕の演奏の方がよほど不思議だったんだろうが(笑)。たった二度か三度の経験だったが,そういう音楽の神様のいたずらを,もう一度経験したいとずっと続けていたんだと思う。
漱石の『夢十話』の第六夜は,護国寺の山門で運慶が仁王を刻んでいる話だ。「よくああ無造作に鑿を使って,思うような眉や鼻ができるものだな」という自分の独り言に「なに,あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを,鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずがない」と若い男が答える場面がある。僕のクラリネットでの楽興の時もそうだったのかもしれない。
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