10年以上も前のことになるが,年の瀬も迫ったクリスマスからおよそ2ヶ月間入院した。それまでも心臓の治療や,腹膜炎の手術などで何度か入院したことはあったが,2ヶ月という長い入院は初めてだった。入院中,僕の腎臓はこのまま動かなくなってしまうのではないか,そうなれば生活はどのように変わるのだろうかと考える不安な毎日だった。強力な投薬と,ただひたすら安静にする毎日で,まさに『病牀六尺』,神戸港の近くの病院のベッドの上でほとんどの時間を過ごした。
子規庵の窓,篆刻は病牀六尺 |
結局は恢復しなかった子規とは違って,幸い僕の腎臓は寛解状況となり,退院して無事定年まで仕事を続けることができた。不安な入院生活では,失ったものもあったが,じっくりと落ち着いて物事を考えることで,もしかしたら得たものの方が多かったのかもしれない。事実,退院してから定年退職までの11年間は,僕の研究者人生でもっとも重要な仕事ができた期間だったように思う。
もちろん子規の闘病は,僕の闘病とは比べものにはならない厳しいものだったはずだが,『病牀六尺』を読むとなんとなく気持ちが通じるところもある。病気は人間の感性を鋭敏化するのかもしれない。そんなことを考えながら,子規庵の病床から眺めた窓の外の糸瓜を木版画で描いてみた。白文の篆刻はもちろん『病牀六尺』。
糸瓜咲て痰のつまりし佛かな
痰一斗糸瓜の水も間に合はず
をとゝひのへちまの水も取らざりき
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