高校時代に古文を習った人なら誰でも兼好法師の『徒然草』は知っているだろう。高校時代古文は苦手だったし,興味もほとんどなかった僕でさえ,41年前R大学の衣笠キャンパスに近い仁和寺に初めて行った時「仁和寺にある法師」という徒然草の文章が頭に浮かんできた。恥ずかしながら,その当時は,その後に続く言葉も,話の内容もまったく覚えていなかった。今から思えば,熱心に古文を教えていただいたH先生には大変申し訳ないが,そこに綴られたことに共感を覚え,興味を持つほど僕には経験もなかったし,精神的に成熟していなかった。
R大に赴任後一段落して,初めて仁和寺を訪れた時,遅咲きの御室桜が満開で見事だった。その後特に親しくなったわけでは無いが,僕が担当する統計学の隣接科目を担当するH助教授が連れて行ってくれたように記憶している。そんな仁和寺と徒然草の記憶を木版画と石の判子(篆刻)にした。版画は,仁和寺にある法師が,二王門を出て石清水八幡宮へ行こうとする場面を,まったくの想像で作成したものだ。
「仁和寺にある法師」の話は第52段で,その内容は,仁和寺の法師が年を取ってから,それまで行きたいと思っていた石清水八幡宮に行くのだが,極楽寺と高良神社を石清水八幡宮だと勘違いして,山上の本殿に参らず帰ってきたというものだった。どんな小さなことでも導いてくれる人(先達)が必要という教訓のようだ。観光にも,ご当地のガイドさんが必要だということかな。これ以降,国際学会では,学会報告の合間の学会主催のエクスカーションには必ず参加した。😄
ところで,年をとってから改めて『徒然草』を読んで共感を覚えたものに第82段がある。そこには,
すべて,何も皆,事の整ほりたるは,あしき事なり。し残したるを,さて打ち置きたるは,面白く,生き延ぶるわざなり。
とある。不完全な仕事ばかり残してきた僕にとって,これはとても有り難い言葉だった。いつか誰かがそれらの間違いを正してくれるだろう。
(注記)実は教授になって良かったことが一つだけある。共同研究の打ち合わせでオランダのフローニンゲン大学を訪問した時,友人の計らいで,博士論文の公開審査会に出席した。僕が実質的に博士論文の審査をした訳では無いが,立派な講堂での公開審査で審査員側の席に座るという経験をした。日本やアメリカの卒業式では,卒業する学生が法衣のようなガウンや四角い帽子をかぶっているが,実はオランダの王立大学では,あれは学生が着るのではなく,教授が着るのである。准教授(Associate Professor)は公の場で着ることはできない。事実その博士論文公開審査会では,実質的にその博士論文の主査だったもう一人のオランダの友人はスーツ姿だった。彼はそのとき既に国際的な学術雑誌の責任編集者をするなど名の知れた学者だったが,たまたま肩書きが准教授だったというだけでガウンを着ることができなかったのである。これだけでも大学の肩書きと実力は無関係だということがわかる。僕は,たまたまそのとき教授という肩書きがあったため,ヨーロッパの伝統的な大学の博士論文公開審査会にガウンと帽子を着て出席するという貴重な経験ができた訳である。ただ大学が用意してくれた帽子がすべて僕の頭には小さいのには閉口した。そういえば木版画に描かれた法師も頭が大きい。
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