七十歳を機にラテン語の勉強を始めた。特に目的があるわけでは無いし,これからの人生に役立つことはまったく無いだろう。何よりもそれがものになる可能性はほとんどないのだが,何か新しいものに挑戦したくなった。
実は四十歳を少し過ぎた頃,ラテン語に挑戦したことがある。経済学の「お勉強」の過程で,Q.E.D. (quod erat demonstrandum;証明終り)や,ceteris paribus(他の条件を一定として)などラテン語の表記を目にすることが多かったから,少しかじってみたくなったのだ。 日本語の辞書や教科書は揃えたが,忙しさにかまけてほとんど手をつけることができなかった。定年退職時,蔵書はごく一部の幾何学や紋様の本を除きすべて処分したため,今回改めてテキストを購入した。
新しく購入した教科書。600頁以上の大著。 |
まだ,すこし読み進めただけであるが,今のところとても分かり易くラテン語の勉強を楽しめている。こんどは「経済学」という雑念(?)もなく,じっくり学べば楽しめそうだ。何よりも,ものになってもならなくても,人生の最後のフェーズでラテン語を勉強できるということは幸せなことだ。そう思うとラテン語の「難解さ」さえ楽しめそうな気がする。
というわけで,木版画と篆刻はしばらくお休み。5月の立夏から続けてきた「新二十四節気」も最近どうも「どこにでもあるような,何の工夫もないありふれた図案」を,彫って摺るだけになっていたから,ちょうど良い充電期間と考えている。彫ったり摺ったりは,適度な「肉体の疲労」と「時間の経過」を伴うため,「仕事をした気持ち」にしてくれるが,実は「創造的活動」とはほとんど関係がない作業なのだ。
彫りや摺りではなく,何を木版画にするかを探し出すこと,つまりイメージを作り出すことが一番重要で困難なことだ。充電期間に「ラテン語」の勉強や,最近ハマっている万葉集を足がかりとする小旅行で,木版の題材を探したい。それが木版画における僕のスランプ脱出法だ。どうしても誰かに伝えたいイメージが浮かべば,それを木版画にしよう。
0 件のコメント:
コメントを投稿