2020年10月23日金曜日

霜降

 明日10月23日は霜降。秋が深まり朝晩は冷え込む。木々が色づき始め,季節の変化を感じる時期だ。紅葉はまだ始まったばかりだが,椛の葉に降った霜を木版画にした。「椛」とかいて「もみじ」と読む。中国から輸入した漢字ではなく,「峠」,「樫」,「萩」などと同様,日本で作られた国字である。

今回はなかなかアイデアが浮かばず,ありふれた図柄の版画になってしまった。そこで,「白露」,「秋分」,「寒露」と藍色,紫,黒など落ち着いた色が続いたので今回は,赤,黄,橙色の明るい配色に変えてみた。また,我流ではあるが,ちょっとした工夫を試みた。パソコンやスマホの画面ではよくわからないが(クリックすれば少しは大きくなる),霜の雰囲気を出すために,白とシルバーのゴマ刷りでスクリーンをつけている。



季節など感じたことがほとんどなかった僕が,初めて季節の移り変わりを感じたのは,京都のR大学を退職し,神戸のK大学に移籍する一年前の秋,紅葉のシーズンだった。30歳を少し過ぎた頃だ。通勤途上に鮮やかな紅葉を目の当たりにして初めて季節の移り変わりをしみじみと感じた。

渡月橋を渡り,広沢の池,龍安寺と続く毎日が京都観光のような贅沢な通勤だった。一年後にK大学に移籍することが決まっていた僕にとって,桜が満開の春,新緑の夏,紅葉の秋,そして雪景色と移り行くこの景色を見るのも「今年が最後だ」と少々感傷的な一年だった。特に秋から冬にかけてはその思いは強かった。

K大学での最後の10年間も,毎日自動車で六甲山の裏から山を越えて通勤した。しばしば同僚のK君と一緒に,30分ほどの朝夕のドライブとおしゃべりを楽しんだ。彼と僕は専門分野も研究スタイルもまったく違うため,研究上の共通項は少なく話題はおおかた「他愛もない」話だったが,ときには研究や学問に対する基本的な姿勢についても話した。不思議とそれらについては共感するものが多かった。

「他愛もない」話でも,車の中で誰に遠慮することもない二人だけのおしゃべりは,ストレスの解消になったことは間違いない。最後の10年間,憂鬱さがどんどん増していく大学で,この時間が無ければとても神経がもたなかっただろう。おしゃべりをしながら,春には六甲山の山桜,夏の新緑,山全体の秋の紅葉からうっすら雪景色の冬への季節の移り変わりを十分に楽しんだ。








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