2022年8月26日金曜日

木版画教室:講評会

 今日は県立美術館の2022年前期の木版画教室最終日。課題作品の講評会があった。僕は,「裏六甲の四季」と「なんとなくパリスの四季」の二つを持っていった。これまでの経験では,みなさん額装して持って来られるので,僕も今回は末積製額で綺麗に額装してもらった。

どちらも四季の4枚の版画を一つの額に,春夏秋冬を右上から反時計回りに配置した。やはりこの版画は四つ集まってこそ意味がある。最初からこういう額装をイメージして作ったのだが,そのイメージ通りの額装にしていただいた。馬子にも衣装。とても素敵に見える。事実版画を誉めてくれる人はいなかったが,みな額装が立派だと口をそろえて誉めてくれた。


Die vier Jahreszeiten hinter dem Berg Rokko


Les quatre saisons à Paris


2022年8月20日土曜日

転倒虫のサンバ

今日は,木目の上手な出し方を教えてもらうべく,アトリエ・プンタスに本田先生を訪ねた。いつもは車で行くのだが,今日は週末で街の駐車場も混んでいると思い,久しぶりにバスに乗って三ノ宮に向かった。ルーチン(routine)で無いことをすると思わぬことも付随して起こるものだ。

久しぶりにバスを降りると,かつては高架下にあった西側へ道路を渡る信号機付きの横断歩道が随分北側に移動している。青信号が赤に変わらないうちに渡ろうと思い,歩道を横断歩道にむかって走り出した。

左にカーブして横断報道を渡ろうとしたとき,背中に背負っていた,ベアリングバレン,画材,紙などがいっぱい詰まった大きなリュックサックがずれてバランスを失い,派手に転んでしまった。まさに「すってんころりん」か,はたまた「ステンカラージンの乱」か。ちょうどノーサイド寸前にサイドラインギリギリのスペースにトライするような感じで転倒。体を庇うために地面についた手は皮が剥けて血が出てるし,何よりも手首が痛い。

多くの人が「大丈夫ですか〜?」と駆け寄ってきたことがなんか恥ずかしくて,格好悪くて。もちろん「大丈夫です」とその場を離れ,ドラッグストアで大きめのバンドエイドを購入して応急処置をして,アトリエ・プンタスへ向かった。

手が痛むので,プンタスではあまり十分に版画に専念することはできなかったが,「木目の出し方」のコツは十分理解して,満足して帰路についた。手の痛みは少しずつ増すが辛抱できないほどではない。おそらく骨折はしていないんだろう。痛みよりも「格好悪いなあ」,「恥ずかしいなあ」という思いが強い。そして何よりも自分が自分の体のバランスもとれない,正真正銘の「老人」なんだと情けなくなった。

そんなことを思いながら街を歩いていると,いつものお店のショーウインドウの額が「風船葛(ふうせんかずら)」の木版画に変っている。なんかとってもハッピーな気持ちになった。

葉月の版画:風船葛が,,,

風船葛の木版画が飾ってあることになんかとっても心が和み,横断歩道で転んで「恥ずかしかったこと」,「格好悪かったこと」も,こんなに多くの人たちが転んだ僕を心配して駆け寄ってくれて「皆こんなに善きサマリア人のような人ばかりなんだ」とポジティブに考えることができるようになった。そして,手の痛みはあるが,これも大事故になるまえに,「もう若い時と同じではないんだから,慌てて走ったりせずゆっくり行動しなさい」という警告なんだとも前向きに考えだした。

来週の金曜日は,県立美術館の木版画教室の最終日,今季の課題のもと作成した木版画の講評会だ。講評会用に「裏六甲の四季」と「なんとなくパリスの四季」をいつもお世話になっている額装屋さんで綺麗に額装してもらった。家に帰ると脹ら脛や,太ももの外側も随分擦りむいているし,手首の痛みも増してきたが,辛抱できないほどではない。まあ今日も「良い日だった」と思うことにしよう。



2022年8月8日月曜日

なんとなくパリス

県立美術館の課題「裏六甲の四季」は家から見える風景をすこしデフォルメしただけものだ。単純な構図と,あいかわらず子供の絵のような木版画だが,静かな季節の移ろいをわりあいうまく表すことができたと思っている(自画自賛)。

実際は,裏六甲は,春にはひばりや燕が飛び交い,夏には蝉の声が響き,山越に大きな入道雲が沸き立ち,秋の夕暮れには雲が流れ,冬には雪が降ったりと動きのあるワクワクするような所だ。それらを図案に入れることもアイデアだが,課題は「同じ構図」で色の違いだけで四季を表すと言うものだから,ルール違反。

そこでもうひとつ別の図案を考えた。特徴的な色の他はできるだけ色数を少なくするため,同色を重ねて,バラエティを出すことにした。図案はパッチワークのトートバッグを持つ女。基本となる色は,バッグの色,服の色,背景の色の三色。絵の技量がないので,頭,指先,足元はすべて割愛。

夏の背景色で苦労したが,いつものように,このみ先生のアドバイスがとても効果的だった。ほんとうはもっと薄いライム色が良いのだろうが。実は最初は薄いレモンイエローだったのだが,どうも落ち着きが悪くて,そのうえに薄くセルリアンブルーを重ねてライム色を作り出した。

理由は特にないが,題名はなんとなく「パリスの四季」,人物を少しだけ前のめりに配置して「動」を表し,「裏六甲の四季」の「静」に対比させた。題名はもちろんフランス語。 

秋の肌だけは背景色やドレスの色とマッチさせるため少し濃いめにし。なんとなくゴーギャン風。冬に袖なしのドレスは不似合いかもしれないが,まあそんな元気な女性もパリにはいるだろう。


Les quatre saisons à Paris



le printemps



l'été 



l'automne



l'hiver




2022年8月7日日曜日

裏六甲の四季

木版画教室(兵庫県立美術館)の今期の課題は,同じ版(絵の構図)を用い,摺に際して色の違いだけで四季を表すと言うものだ。以前同じようなこと(各四季をそれぞれ単色の濃淡だけで表す)を独自に試みたことがあるのだが,「やはり色だけでは四季の移ろいを表すのは困難」という結論に至り,春は自転車,夏はカヌー,秋はジョギング,冬はスキーという「小細工」を施した。

今回は,単色という制約は外れたが,あまり複雑な構図は色使いが難しくなる。そこで,ありきたりだが「静」の「山と森」と,「動」の「バッグを持った女性」という二つの単純な構図とすることにした。ここでは,まず「山と森」題して「裏六甲の四季」を紹介することにしよう。

単純な構図だが,実はちょっとした工夫をしている。森の木は3回摺で色の濃淡を着け(秋だけは異なる色を用いた),さらに木の幹も色の濃淡を着け奥行き感を出した。この色を重ねるという方法はいかにも「木版画」らしく最近僕はこの手法を使うことが多い。上から

  1. 春の午後
  2. 夏の朝
  3. 秋の夕暮れ
  4. 冬の夜

Die vier Jahreszeiten hinter dem Berg Rokko

Der Frühlingsnachmittag

Der Sommermorgen

Der Herbstabend

Die Winternacht

なぜかこの版画にはドイツ語が似合うような気がしたので,それぞれにドイツ語のキャプションを付した。










2022年8月1日月曜日

裏庭の風景:8月

本日から八月。庭のフェンスに蔓(つる)を延ばしていたフウセンカズラが次々と立派な果実を実らせている。果実と言っても食べられるわけではない。白色の花はうっかりすると見逃してしまうほど小さいが,果実は大きく,その名が示すようにフウセンのようだ。

最初に一つ果実を見つけたのは十日ほど前だったのがあっという間にその数は二桁になった。見た目は鬼灯(ほおずき)に似ているが,フウセンカズラはナス科の鬼灯はとはまったく異なる植物だ。

ネットワーク・ツリーを構築するように,くるくるとカールしたか細い蔓を伸ばし,フェンスの取っ掛かりに食らいつきながら(ときには自分自身を取っ掛かりと勘違いし)日々成長していくのを見るのは楽しい。

蔓は次数4のネットワークツリーのように成長する。
これをみれば葉ノード(leaf node)の意味がよくわかる。

2方向から延びる蔓が,お互いを取っ掛かりとして絡んでいる

そんなフウセンカズラの蔓がフェンスに沿って拡がっているのを見ていると,ふと唐草紋様(アラベスク)の風呂敷を思い出した。そう!古典的泥棒の常備品,緑色の風呂敷の紋様だ。実際にみる自然の形態とは程遠いが,背景を唐草紋様にして僕が感じたイメージをそのまま木版画(ポストカードサイズ)にした。

唐草紋様とフウセンカズラ:花・葉・実・蔓

篆刻は葉月(はずき)。線の太さは一様に刻すのが篆刻の決まりらしいが,木に葉が繁っている感じを表すため,あえて短い横線を葉っぱのように一部太くしてみた。しかし,葉月の由来は葉の落ちる月(葉落ち月)が有力らしい。季節感とズレるのは,現在の暦が太陽暦であるのに対し,和風月名は旧暦の太陰太陽暦だからだ。2022年,旧暦の8月1日は新暦の8月27日だからまだ一ヶ月ほど先だ。




新二十四節気・冬至

今週末の土曜日(12月21日)は冬至。北半球では一年で夜が一番長い日だ。ただし日の入りが一番早いわけでも無いし,日の出が一番遅いわけでもない。日の入りから日の出までの時間が一番長いというだけだ。実は,日が暮れるのが一番早い日は冬至より少し前,日の出が一番遅いのは冬至より少し後にな...