2021年3月7日日曜日

A place I have never been (II): Africa

50年以上も前に発表されたS教授とM教授の論文,A Dynamic Analysis of the American Economy, 1902-1952 (International Economic Review, Vol.5, No.2 May 1964, 125-164)は次のような書き出しで始まる。

Once upon a time, there was a Japanese priest named Noh-in, who was notorious for his eccentricities. After having sat at a window of his house in Kyoto for several months and acquired a sunburn, he pretended to have come back from the Far North of Japan and published poems singing of the journey. Like Noh-in we are writing a story about the American economy, though one of us has never been abroad and the other has only made brief visits to the United States to attend some conferences on mathematical economics. 

つまり,「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」という歌を詠んだ能因法師は,実は陸奥を旅したことはなかった。そのため,家に篭って窓際で十分に日焼けして,あたかも陸奥を旅してきたようにしてから,この歌を発表した。S教授とM教授は,自分たちがアメリカの経済を分析することを,能因法師に例えて謙虚に述べているのだ。

アフリカは,いつか行ってみたいところだった。事実,高校時代には,通学路が同じのF君(後に映画監督になった)N君(後に医師となった)と一緒に,いつかアフリカをジープで縦断するという計画があり,それぞれの役割分担まで決めていた。無邪気なものだ。しかし,仕事を含めても結局一度も行けなかった。

アフリカへ行ったことのある友人によれば,アフリカに行けば確かに人類の起源はここにあると感じるそうだ。20年以上も前だろうか,学部のゼミの女子学生のSさんが卒業を前に,南アフリカへ旅行をした。そのときにお土産で頂いた赤いワインと木の人形がある。そんなアフリカに関する諸々の思いとイメージを木版画にした。木版画のズレ,掠れ,欠けはアフリカのイメージを強くするため意図的に付けたものである。意図が十分生かされているかどうか,,,。


朝日を見る母と子


IMF(国際通貨基金)のSさんと共同で発表した論文 は全世界の国々の間の財・サービスの取引を体系的・網羅的に記述した国際産業連関表に基づいている。EU,アメリカ,アジアの三地域の国々の間での取引が大部分を占めるが,もちろん取引にはアフリカの国々も含まれている。

当時(現在も)僕はアフリカには行ったことはなかったが,Sさんはちょうど論文を発表する時期にはIMFのアフリカ部門に異動しており,何度もアフリカを訪問していた。というわけで,能因法師のケースより,僕たちははるかにアフリカに関わりはあったわけだ。引退した現在,Sさんとの研究上の交流はなくなってしまった。研究を続けていると,もしかしたらアフリカへ行く機会もあったかもしれないと思うと残念だ。

(注記)Sさんは確かナイジェリアの担当で,よく訪問していたと記憶している。新しいWTO(世界貿易機関)の事務局長はナイジェリアの女性だ。Sさんはおそらく忙しくしていることだろう。共同研究においても忙しい中,Sさんは僕のわがままな要求をすべて受け入れてくれ,共同研究者としての働きと貢献は測り知れない。心から感謝している。





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