2021年3月7日日曜日

A place I have never been (III): Silk Road(絲綢之路:天山南路)

僕は1982年にはじめて外国へ出かけた。渡航先はヨーロッパだった。その後1985年 - 86年(フィラデルフィア),1991年-92年(パロ・アルト)と二度に渡りアメリカで暮らし,1998年にはドイツ(マールブルグ)で半年間生活したし,それ以外にも毎年のように外国に出かけた。しかしお隣にある中国へ初めて行ったのは1998年と比較的最近のことだ。

この間中国と縁がなかったわけではない,1988年に初めて受け入れたM君は中国からの留学生だったし,二度目のアメリカ滞在で共同で研究をしたスタンフォード大学のL教授は香港出身だった。はじめて中国を訪れたのは三国志で有名な四川省の成都で,当時大学院の学生だったN君(現K産業大学教授)らと研究上の調査で訪れた。上海で飛行機を乗り換え随分長い間飛んだ。

自分ではすっかりシルクロードへ来た気持ちだったが,地図を見ると天山南路の起点である敦煌まではまだ2000キロもある。シルクロードはとても遠い所だった。おそらくもう行くことはないだろう。ちょうどR大学の助手になった時期,NHKで「シルクロード -絲綢之路(しちゅうのみち)」というドキュメンタリー番組があり,番組で流れる音楽が好きで喜多郎のレコードも購入した。シルクロードは未だに憧れの場所である。

40年も前なので,番組の内容はほとんど憶えていないのだが,砂漠を行くラクダの隊商や,遠くに映る山並みを断片的に憶えている。おそらく天山山脈だろう。そのおぼろげな記憶をもとに,山や,砂漠,ラクダを組み合わせて木版画を作成した。色使いはとても難しく,シャドウブルー一色の濃淡だけで作成した。色使いについて,このみ先生に教えてもらおう。




篆刻はいずれも天山南路。右上から反時計回りに読む回文。大きさは上が40mm×40mm,下は45mm×45mm。K大名誉教授のU先生に中国書法を習っていた時期2018年に作成したもの。ちょうど,篆刻だけではもの足らず(というより表現力の無さから篆刻だけでは作品にならない),木版画を始めた時期である。



天山南路

天山南路









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