2021年4月30日金曜日

Jour de muguet

木版画教室の若い友人が「5月1日はJour de muguet(フランス語ですずらんの日)と言って,大切な人にすずらんの花を贈る日なんですよ」と粋なことを教えてくれた。持つべきものは「若い」友だ。5月1日と言えば,僕は組合のメーデーしか思い浮かばない。すずらんは,幸せを運ぶ花らしい。

それじゃあ,すずらんをモチーフとして木版画を作成しようかという話が持ち上がった。さっそくご近所の庭先に咲くすずらんを観察に行ったが,思っていたより随分小さくてびっくり。僕の版画(ハガキサイズ)は,単色(ビリディアンというこれまでほとんど使わなかった色)の背景に,すずらんの花を白くくり抜いただけの,とてもシンプルなもの。

明日は5月1日,ジュールドミュゲ。すずらんが幸せと平穏を運んできてくれると良いのだが。


(注記)もちろん「若くない」友からも多くのことを学んでいる。持つべきものは「若い」友だけではない。


2021年4月25日日曜日

A place I have never been (V): The Suez Canal in the Middle East(中東,スエズ運河)

 一ヶ月ほど前に日本のコンテナ船がスエズ運河で座礁したというニュースがあった。交通が遮断されそれは大変な事故だったのだろうが,犠牲者が出たとか怪我人が出たとかいう話ではなかったので少しは気が楽だった。ただ,研究者生活の最後の時期は,ほぼ生産ネットワークの計量経済学的分析に費やしたが,まさにネットワークが切断されるという例だった。

不謹慎かもしれないが,事故そのものよりも衝撃を受けたのは,コンテナ船に山積みされたコンテナの多さである。生産ネットワークを勉強していながら,現実のロジスティクスのそんなことも僕はしらなかったのだ。

事故がなければ,とてつもなく大きなコンテナ船が整然とスエズ運河を適当な間隔をあけて次々とゆっくり,ゆっくりと進んでいく光景は壮観そのものだろう。その妄想を木版画にした。何せ行ったことがない所を,ただただ空想に任せて描くのであるから,嘘も多い。

K大で同僚だったHさんは現在Q大の教授だが,かつてN郵船に勤めていた。彼はロジスティクスのエキスパートだ。彼がN郵船からK大に赴任した直後に,阪神淡路大震災が起こった。当時,学部執行部にいた僕は,次々と入る様々な情報にどのように対応すれば良いかがわからず右往左往するばかりだったが,頑張るのが人一倍苦手な僕がなんとか頑張れたのは彼の強力なサポートのおかげだと感謝している。

その後,彼とは研究上の交流も始まり,中国へも,国内では北海道へもロジスティクスの調査で同行した。すこし版画が心配になって,久しぶりにHさんに連絡して聞いてみた。質問は「スエズ運河からピラミッドは見えるか?」というものだ。答えはノー!見えないらしい。しかし彼は「版画にピラミッドがあっても構わないんじゃない」と言ってくれた。何せ妄想の世界なんだから。オレンジ色の灼熱の太陽と,遠くに見えるピラミッドは,コンテナ船がスエズ運河を通っていることの象徴なのだ。

そのついでに,彼から別の問題点を指摘された。今はもうNYK LINEのコンテナ船は存在していない。三つの大きな船会社が共同で新たなコンテナ船を運航しているとのこと。しかしその写真を見るとなんとも,ピンク色の船が僕にはどうもしっくりこない。そのため,版画は昔ながらの黒と赤にした。

スエズ運河を航行する巨大コンテナ船


ところで,版画のコンテナ船に積まれたコンテナの色は6色だが,実際には赤,黄,青の3色しか使っていない。つまり,赤と黄色が重なりオレンジ色,青と黄色が重なり緑色,赤と青が重なり紫色が出現する。そういうわけで版画の作成は,思ったよりも面倒ではなかった。残念なのは船の動きがうまく出せなかったことだ。後ろに続く船の舳先でそれを表そうとしたのだが。


金閣寺

紛れもなく金閣寺は京都における必見の名所の一つだ。僕が最初に金閣寺を見たのは小学校五年生の時だった。ちょうどその年の夏に死んだ祖父の納骨のため,父,母,弟と4人で京都の知恩院へ来たのだ。納骨が終わった後,両親に連れられて,二条城,金閣寺,龍安寺などのお決まりのコースを観光した。

二条城も,金閣寺も,龍安寺も小学五年生の興味を引くものではなかった。その後学生時代に訪れたかもしれないが,本当に「物心」がついてから訪れたのは金閣寺の近くの大学で働くことになってからである。僕が三島由紀夫の『金閣寺』を読んだのは,そんな「物心」がついてからである。

三島由紀夫が死んだのは,僕が高校一年生の時だった。隣のクラスのF君がそれを知り,わざわざ僕のクラスまで興奮した面持ちで,知らせに来ていたのを覚えている。同じ高校一年生でありながら,僕と違ってその時点で既に様々な文学や思想に触れて精神的に成熟していた友人たちがいたのだ。恥ずかしながら僕はその時,それがどれだけ大変なことなのかを理解できなかった。

その後僕は『金閣寺』をはじめ,様々な文学に触れ,高校一年生の時点でこのような文学に既に親しみそれを理解していた彼らとの違いに絶望的になった。自分で言うのも何だが,僕が通った中学・高校は,当時はそのあたりの(小学校の)秀才が通う学校だった。秀才といっても,彼らのように精神も「成熟した」本当の秀才と,僕のように小学校でちょっとだけ成績が良かっただけのただの「子供」も同居する自由放任の不思議な学校だった。

そういうわけで金閣寺といえば,三島由紀夫の『金閣寺』をどうしても連想してしまう。三島は僕が小学生時代を過ごした加古川に本籍があり,徴兵検査を加古川で受けたらしい。そのため彼の考え方には同調できないものも多いが,彼はずっと気になる小説家の一人だった。

木版画はまさに小説『金閣寺』そのものである。金色の篆刻は「鹿苑寺」。小説では金閣の漱清についての記述があるが,版画ではそれを描かず,金閣本体だけに留めた。何か全てをリアルに描写するのは気持ちが悪かった。


(注記)本文中のF君は,小野桜づつみ回廊で書いた映画のF君とは別人である。小野桜づつみ回廊へ行った後,同じ中学高校へ小野から通学していた映画のF君に,簡単な版画のハガキを出した。返信不要と書いていたのだが,しばらくして,彼から返信が来た。懐かしいことがたくさん書かれていた。その中で,かつてアムステルダムで,在住の同級生F君とも旧交を温めたとあった。F君がアムステルダムにいたとは全く知らなかった。あれだけ頻繁にオランダへ通い,帰国の前日は決まってアムステルダムに滞留したのに会うこともなかったことは残念だ。アムステルダムのF君は秀才だがとても温厚な人だったことはよく覚えている。映画のF君が,アムステルダムのF君のことを考えている時,ちょうど僕もこの版画の下絵を描きながらアムステルダムのF君のことが頭に浮かんでいた。偶然ではないような気がする。

2021年4月12日月曜日

Revisiting "A place I have never been (I): Antarctica"

先日,アトリエプンタスの木版画教室へ行ってきた。生徒は僕だけでこのみ先生を独り占めだった。まるで大学院のゼミのように雑談を交えながら密度の濃い指導をしてもらった。以前作成した南極の版画が,小学生の夏休みの宿題の版画みたいに思えたので,先生に相談すると,先生がかつて作成した版画「南極点のお弁当」を見せていただいた。とても大きく素敵な版画で,いつものように,やっぱり見ているだけですごく幸せな気持ちになる。

つまり,砕氷船が航行する氷海に一工夫すれば良いというアドバイスである。南極点のお弁当は雪原,僕の南極は氷海で,両者に違いはあるが,それを参考に「丸刀」でランダムに(というより適当に)彫ることで氷海らしくなった。もちろん先生の作品はもっと複雑に効果を考え抜いて作成されている。ついでに南極大陸の山並みにも雪化粧をつけてみた。なんとなく南極らしくなった気がする。少なくとも「小学生の宿題」から「中学生の宿題」にレベルアップしたな(笑)。



2021年4月11日日曜日

万能カレンダーキット再考

少し前に,万能カレンダーキットを作成したが,いざ刷ってみるといろいろな問題点が出てきたので再考することにした。問題点というのは

  1. 日曜日や祝日を赤色にする必要があるが,一度黒の絵の具を着けてしまうと,かなり洗っても色が残り赤色が濁ってしまう。
  2. 版画を小さいピースにするため,カット面の歪みがそのまま字の歪みに出てしまう。カットした通りの配置の場合は目立たないが,配置を変えると歪みやズレが目立ち違和感がある。

そこで,次のような改良を施すことにした。

  1. 色の問題については,黒用,赤用の2セットを作成する。
  2. ズレや歪みの違和感の原因は,一つ一つの数字がPCのフォントに基づいていて規則性が高く,歪みが少ないためである。最初から不規則に歪んだ自分の手書きの文字にすれば,全体のズレや歪みは気にならないかもしれない。
改良に際し,方針をかなり変更した。版画のピースについては不必要な部分を切り取るのではなく,その部分に色を着けず空刷りにすることにした。また【23/30】,【24/31】方式は採用せず,すべて6行7列のマトリックスに統一した。このようにすることによって4行の場合(日曜スタートの2月)から6行の場合(金曜,土曜スタートの大の月)までバラツキが生じるが止むを得ない。

このように考えると,曜日を除けば,ピースは6個の5次列ベクトルと1個の6次列ベクトルの7ピース(赤用と黒用で14ピース)で十分。

曜日(日本語・英語)を含めて16ピース

例として,来月5月のカレンダーを作成してみよう。5月は3日,4日,5日が祝日で,土曜スタートの大の月。つまり6行になる。

  • まずは黒い字だけを配置してみる。外枠と隙間を埋めるための小さい破片ピースを用いている。

赤字の部分はマスキングテープで覆う

黒字部分の刷り上がり

  • 次に赤い字の部分を配置
木曜,金曜,土曜は不要

出来上がり

これなら,字のズレや歪みは手書きだから当然で気にならない。これでどのような月にも対応できる。サイズは縦置きB4(257mm×364mm)もしくは八つ切り(270mm×380mm)の下半分を想定。つまり上半分に木版画を配置する。B5サイズのバインダースタイルも可能。もちろんA3あるいはバインダースタイルのA4にも対応。後は汚れを取るために微調整すれば完成。






2021年4月3日土曜日

仁和寺にある法師

高校時代に古文を習った人なら誰でも兼好法師の『徒然草』は知っているだろう。高校時代古文は苦手だったし,興味もほとんどなかった僕でさえ,41年前R大学の衣笠キャンパスに近い仁和寺に初めて行った時「仁和寺にある法師」という徒然草の文章が頭に浮かんできた。恥ずかしながら,その当時は,その後に続く言葉も,話の内容もまったく覚えていなかった。今から思えば,熱心に古文を教えていただいたH先生には大変申し訳ないが,そこに綴られたことに共感を覚え,興味を持つほど僕には経験もなかったし,精神的に成熟していなかった。

R大に赴任後一段落して,初めて仁和寺を訪れた時,遅咲きの御室桜が満開で見事だった。その後特に親しくなったわけでは無いが,僕が担当する統計学の隣接科目を担当するH助教授が連れて行ってくれたように記憶している。そんな仁和寺と徒然草の記憶を木版画と石の判子(篆刻)にした。版画は,仁和寺にある法師が,二王門を出て石清水八幡宮へ行こうとする場面を,まったくの想像で作成したものだ。


実は,徒然草を改めて読んだのは随分それから後の不惑の年,教授になってからのことである。助手に採用される時に審査があるのは当然だが,助教授になるときにも業績審査があり,もちろん教授になるときにも業績審査がある。別に教授になることをそんなに望んでいたわけでは無いし,事実教授になって良いことなどまったく無かったが(注記),そのとき何故か義務を果たしたようにホッとしたことを覚えている。形式的とは言え,もうこれで他人に審査されることもないと,少し精神的に余裕が出たのか,経済学・統計学とは関係の無い本もよく読むようになった。徒然草を読んだのも,そういう経緯からである。

「仁和寺にある法師」の話は第52段で,その内容は,仁和寺の法師が年を取ってから,それまで行きたいと思っていた石清水八幡宮に行くのだが,極楽寺と高良神社を石清水八幡宮だと勘違いして,山上の本殿に参らず帰ってきたというものだった。どんな小さなことでも導いてくれる人(先達)が必要という教訓のようだ。観光にも,ご当地のガイドさんが必要だということかな。これ以降,国際学会では,学会報告の合間の学会主催のエクスカーションには必ず参加した。😄

ところで,年をとってから改めて『徒然草』を読んで共感を覚えたものに第82段がある。そこには,

すべて,何も皆,事の整ほりたるは,あしき事なり。し残したるを,さて打ち置きたるは,面白く,生き延ぶるわざなり。

とある。不完全な仕事ばかり残してきた僕にとって,これはとても有り難い言葉だった。いつか誰かがそれらの間違いを正してくれるだろう。

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(注記)実は教授になって良かったことが一つだけある。共同研究の打ち合わせでオランダのフローニンゲン大学を訪問した時,友人の計らいで,博士論文の公開審査会に出席した。僕が実質的に博士論文の審査をした訳では無いが,立派な講堂での公開審査で審査員側の席に座るという経験をした。日本やアメリカの卒業式では,卒業する学生が法衣のようなガウンや四角い帽子をかぶっているが,実はオランダの王立大学では,あれは学生が着るのではなく,教授が着るのである。准教授(Associate Professor)は公の場で着ることはできない。事実その博士論文公開審査会では,実質的にその博士論文の主査だったもう一人のオランダの友人はスーツ姿だった。彼はそのとき既に国際的な学術雑誌の責任編集者をするなど名の知れた学者だったが,たまたま肩書きが准教授だったというだけでガウンを着ることができなかったのである。これだけでも大学の肩書きと実力は無関係だということがわかる。僕は,たまたまそのとき教授という肩書きがあったため,ヨーロッパの伝統的な大学の博士論文公開審査会にガウンと帽子を着て出席するという貴重な経験ができた訳である。ただ大学が用意してくれた帽子がすべて僕の頭には小さいのには閉口した。そういえば木版画に描かれた法師も頭が大きい。


新二十四節気・冬至

今週末の土曜日(12月21日)は冬至。北半球では一年で夜が一番長い日だ。ただし日の入りが一番早いわけでも無いし,日の出が一番遅いわけでもない。日の入りから日の出までの時間が一番長いというだけだ。実は,日が暮れるのが一番早い日は冬至より少し前,日の出が一番遅いのは冬至より少し後にな...