『平家物語』を通読したことはない人でも,その冒頭は聞いたことがあるだろう。
祇園精舎の鐘の声,諸行無常の響きあり。
作者不詳,盲目の琵琶法師によって語られていたらしい。したがって,この冒頭には琵琶の音が付き物だ。べ〜ん,べ〜ん,べん,,,。『平家物語』を木版画にしてみた。琵琶と水面に映る月。篆刻は「祇園精舎」。「諸行無常」,「盛者必衰」など魅力的な言葉は他にもあるが,やはり一等最初の祇園精舎は外せない。
『平家物語』は12世紀,つまりおよそ900年前のことだが,実はとても身近にある。平清盛が定めた福原京は自宅から車で15分の兵庫区の平野(ひらの)にあったし,一ノ谷の戦い,鵯越の逆落としの舞台は家のすぐ近くにある。中央市民病院への通院,木版画教室への通学,三ノ宮での買い物の際は,必ず平野の交差点を通過する。平野の交差点には平清盛の銅像まであるのだ。
ところで,祇園精舎の鐘はどんな音がするのだろう。祇園精舎(注記)へは行ったことがないのでわからないが,高校生の時以来ずっと,大きな釣鐘から「ゴ〜〜〜ン」という音が響くのだろうと思っていた。しかし実際にはそうではないらしい。英語訳を読んで初めてわかった。次のような脚注がある。
The Japanese reader must always have heard in the opening lines the familiar boom of a bronze temple bell, but scripturally these bells were silver and glass. At the Jetavana Vihara (Gion Shoja, built for the Buddha by a wealth patron) they hung at the four corners of the temple infirmary and were rung when a disciple died.
(The Tale of the Heike, New York: Penguin Classics, translated by Royall Tyler)
つまりお寺の四隅にかけられた銀とガラスの鐘のようだ。ガラスだから大きなものは作れないし,もちろん撞木(しゅもく)でつくと割れてしまう。風鈴のようなものだろうか?それなら「ゴ〜〜〜ン」では「ちりん,ちりん♪」。ちょっとイメージは変わるが,「諸行無常」にはその音の方がふさわしい気もする。
(注記)東京のK大のS君は計量経済学のエキスパートだが,なぜかインドに精通していた。もちろんインドには有名な統計学の研究所があるが,彼は主としてフィールドワークのために何度もインドへ行っていたように記憶している。一度インドへの同行を誘われたのだが,そのころ僕は病気が寛解状態で体力に自信がなく行けなかった。病気続きの50代だった僕に対して,元気一杯で精力的なS君だったが,一昨年末突然亡くなってしまった。僕はすっかり健康を取り戻したが,彼の案内でインドへ旅行することはできなくなってしまった。