2022年10月24日月曜日

僕の「奥の細道」(I)2022年10月24日

10月24日月曜日のお昼少し前に福島県の白河の関に到着した。ロードスターで巡る僕の「奥の細道」の出発点だ。芭蕉の「奥の細道」の起点は東京(江戸)で長い時間をかけて弟子の曾良と二人徒歩で巡るものだから,自動車で正確に彼らの道を辿れば,立ち寄るところが自ずと異なってくる。たとえば,「二,旅立ち」のあと,白河の関が出現するのは,草加,日光などを経て十一番目だ。「白川の関にかかりて旅心定まりぬ」と記されていることなどを考え,僕の「奥の細道」の起点は白河の関とすることにした。

起点とは言うものの,神戸からは800キロ程離れている。実は出発したのは前日の10月23日。軽井沢の旅館で一泊し,翌日に起点にようやく到着したわけである。それでも,軽井沢まで自宅から約500キロ以上,かなりの距離である。しかし毎夏のように利用する中央自動車道は勝手知ったる道なので安心して運転できる。事実,何度も訪れた梓川SAから順調にいけば1時間程で目的地の碓氷軽井沢ICに到着する。軽井沢で泊まったのは,老舗旅館。長丁場の後なのでどうしても大きな温泉がある旅館に泊まりたかった。

荷物はこれ一つ。入っているのは衣料だけ。

駐車スペースもちゃんと確保されていた!

泊まったのは,何やら有名な小説家も泊まったという老舗旅館。少し高いが10月11日から始まった「全国旅行支援」制度のおかげで5000円割引,その上3000円のお買い物クーポン付き。軽井沢は通過地点に過ぎず,夕方「ガッチリ買いましょう」スタイルでりんごバタージャムをふたつ購入。残りは軽い夕食代。運転疲れで食欲なし。

翌日早朝チェックアウトし,関越道,北関東道を経由し,ひたすら東北自動車道を北上,昼前山奥の白河関跡に到着した。今は小さな碑とその奥に神社があるだけ。人も少なく曇り空のもと,ひっそりと碑が立っていた。しかし,いざここから僕の「奥の細道」が始まると思うと,身が引き締まる。まさに「白川の関にかかりて旅心定まりぬ」だ。

白河関跡の碑

実は芭蕉は白河の関では俳句を残していない。しかし旅に同行した曾良が素敵な俳句を残している。

卯の花を
かざしに関の
晴れ着かな

    曾良

再び東北自動車道に戻り,SAで軽く昼食。このまま北上すれば今日の目的地松島まであと一息だ。郡山に差し掛かろうとしたとき,常磐道という標識が目についた。神戸からはるばるこの地まで来て,楢葉,大熊,浪江,相馬という場所を通らず東北道を北上して良いものだろうかという考えが頭をよぎった。通り過ぎるだけには違いないが,このまま北上するのではなく,いわき市へ進路をとり常磐道を北上することが今の僕が示せる最低限の誠意ではないかと考えた。本当に通り過ぎるだけなのだが。

急遽磐越道へ進路をとる。まさに「北北東へ進路をとれ!」磐越道経由でいわきJCTから常磐道に入る。高速道路沿いには何キロかごとに放射線の線量計。通常ならば「現在の気温〇〇°」と書かれている電光掲示板には「〇〇シーベルト/時」という表示が。数値のレベルが人体に対してどのような影響を与えるものかは僕にはわからない。しかし原子力発電所の事故はまだ終わっていないし,これから何万年も続くのだ。そのことに対して僕たちは何ができるのかなどを考えながら常磐道を北上した。最後に「相馬SA」で休憩。そこにはやはり常磐道沿いの各地点の放射線量が示されていた。

放射線量の掲示(相馬SA)

職場では僕は明らかに「原発反対派」だったし,経済学入門の講義で,経済理論の文脈のなかでその立場を明らかにしたこともある。職場には「原発反対」の立場の発言をあからさまに批判する人もいたが,いまでもその立場は変わらない。

常磐道
秋の日差しに
線量計

   一郎

そんなことを思い出したり考えたりしているうちに松島に到着。まだ陽は高かったのでひとまず瑞巌寺を訪れた。

瑞巌寺本堂前

ここ瑞巌寺と,これから訪れる予定の平泉の中尊寺,毛越寺,山寺の立石寺すべて参拝することを「四寺廻廊」というらしい。何やら,全てのお寺のスタンプ(御朱印と書かれていた)をそれ専用のノートに押すと,最後のお寺で住職のサイン入りの色紙がもらえるとのこと。しかし「四寺廻廊」の記録については旅が終わったあと,記念に自分で作成することにした。実際に「四寺廻廊」を回ればきっとその時の印象をもとに良いものができそうだ。



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