長岡に寄ったのは訳がある。今回の一人旅の目的の一つが長岡を訪れることだった。僕が26歳のとき,55歳で死んだ父は旧制長岡高等工業(現在の新潟大学工学部)の応用化学科の出身である。和歌山という暖かい所で生まれ育った父がどうしてそんな北国の学校へ行ったのかはよくわからないが,旧制中学校ではなく旧制工業学校に通ったという経歴が関係しているのだろう。
ただ長岡高等工業(→こちら)は,高等工業と言いうものの,初代校長の方針で,応用一辺倒ではなく数学,物理,化学などの基礎学問に重点をおく学校だったらしい。そして学生服ではなく皆背広を着ているちょっとハイカラな学校だったということだ。このことは経営学部という「簿記,算盤」の学風の中で,経済学という基礎的な分野を専門とした僕に通づるものがある。
父はよく長岡の話をしてくれた。和歌山から長岡へ初めて行きスキーができなければ下宿から学校まで行けなかったこと,長岡駅で大阪から来た汽車をみて和歌山が懐かしかったこと,そして先に述べたような長岡高等工業の校風などだ。新潟大学工学部はすでに新潟市のキャンパスに移転し長岡には教育学部の附属学校があるだけということだ。ウェブには今は跡地に小さな碑があるとのこと。どうしてもそこを訪れてみたかった。
跡地は,現在の長岡市民文化公園 (市立体育館・市立中央図書館)にあるという。夕方にそこを訪れたが,ちっぽけな碑なのだろうかなかなか見つからない。図書館の受付で聞いてみたがそんなものは見たこともないとのこと。それどころかここに長岡高等工業があったということもご存じなかった。体育館の事務室でも聞いてみたが,やはりわからない。ただ大きな記念碑みたいなものが図書館と体育館の間ぐらいにあるから一度見てみたらどうかと言われた。まあ大きな記念碑といわれた時点で僕が探している碑とは違うだろうなあと半信半疑で行ってみると何と新しく建てられた立派な碑だった。
長岡の石碑に映る秋の雲一郎
夜は長岡駅に出かけた。駅に朝日酒造の直営店があり,そこで「久保田」という長岡の地酒を購入した。その直営店で教えたもらった料理屋でちょっと上等のお寿司を食べて,帰り駅の近くのカフェで暖かいコーヒーを飲んでホテルに戻った。
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