僕が生まれたとき祖父は既に死んでいた。祖父は沖縄戦で戦死した。僕が小学生のころ,祖母は慰霊祭に参加するためか,何度か沖縄へ行っていたことを覚えている。当時はまだ沖縄は返還されておらず,祖母が父に免税店で上等のウイスキーやブランデーをお土産に買ってきて,父がとても喜んでいたことを覚えている。
息子は高校の修学旅行で沖縄を訪れ,戦没者慰霊塔で祖父(彼にとっては曽祖父になる)の名前を見つけたと話していた。このように意外と僕は沖縄と関わりが深い。母は何度か沖縄を訪れたようだが,僕だけが沖縄にいったことがなかったが,10年ほど前初めて沖縄を訪れた。中学と高校で数学をならった先生を訪ねた。先生には主として代数を習ったが,僕は代数はどちらかといえば苦手で,幾何の方が好きだったし得意だったように思う。
事実,その後の僕の仕事は,多少の代数は用いたが,論文の根幹に関するところはすべて幾何学的な考えを用いている。そんな大そうな話ではない。つまり図を描いて確かめることができる問題を取り扱った。その過程で論文とは直接の関係はない対称性や格子についても興味が出て,現在の趣味や道楽に繋がっている。
沖縄では多くの場所を観光することはできなかったし,戦没者慰霊塔も訪れなかった。短い旅程のなかで石垣島も訪れるという強行日程だった。しかしレンタカーを借りて移動する際,広大な基地を眼の当たりにし,さらには目の前の空を飛ぶオスプレイにも遭遇した。明日5月15日は沖縄本土復帰50周年だ。50年のうち,僕が沖縄を訪れて以降のいろいろな出来事を考えても,負担をすべて実質的に沖縄に押し付けたままだと感じることが多い。
森山良子の「さとうきび畑の唄」を聴きながら,木版画を作成した。海の色,空の色はうまく表せたと思うが,広いさとうきび畑のざわわ感はやはりうまく表せなかった。祖父のみた沖縄はこんなものではなかったのだろうと思う。篆刻は「風音」,つまり「ざわわ,ざわわ,ざわわ」。
ざわわ,ざわわ,ざわわ |
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