2022年5月20日金曜日

姉を訪ねて三千里(その二)

お昼過ぎ,松山を出発し,宇和島を通り海岸沿いを一路四万十へ。今日の目的地は足摺岬。海岸の道路沿いには穏やかな海が広がる。幌全開でとても気持ちが良い。途中何人ものお遍路さんに出会った。そうだ,四国はお遍路さんの島なんだ。

海岸の道路沿いの穏やかな海

御荘,城辺,宿毛といった懐かしい場所を通り,四万十市に着いたのは6時を過ぎていた。そして念願の足摺岬に到着したのは空が赤く染まる直前だった。断崖にひっそりとたつ白い灯台は,緑色の光を放ち,独特の雰囲気がある。ここが四国の最南端だ。あたりにはもう誰もいなかった。田宮虎彦の『足摺岬』にとうとう来たのだと感慨深い。

余談だが,木版画の「スリ」は「刷り」ではなく「摺り」と表記する。木版画を習い始めた頃,なんかあまり普段は使わない漢字をわざわざ使うことにペダンチックな感じがして,違和感があった。事実,僕はこの「摺」という漢字を日常生活でこれまで使ったことが無い。しかし,足摺岬の「摺」はまさに,木版画の「摺」だということに足摺岬の道路標識を見て今頃気がついた。

断崖絶壁の灯台

緑の光を放つ灯台

夜8時過ぎホテルに到着。一人でホテルに泊まるのは何年ぶりだろう。定年の直前に,共同研究の最終仕上げのためオランダとイタリアへ出張した時に泊まって以来だから,実に三年ぶりの一人旅だ。実は僕の仕事は定年前と定年後で大きな違いははい。定年前も週に何度かの講義以外は時間的な制約はほとんどなく,毎日職場には通ったが何時までにというようなこともなく,用意ができたら職場に向かい,仕事が自分なりにひと段落したら帰宅するという毎日だったから定年後の今もそんなに変わらない。

そんなことを考えながら,ふと定年前と定年後の大きな違いに気がついた。25歳で助手に採用されてから39年間ずっと,自宅の部屋以外で自分一人だけで過ごすことができる「研究室」というものがあったのが無くなってしまったことだった。自宅に部屋はあるものの,独立感が全然違う。不謹慎ではあるが,研究室は研究をする場所だけではなく,誰にも邪魔されずに生きることができる僕の精神の駆け込み寺だった。一人旅でのホテルの一室はその「精神の駆け込み寺」を思い出させてくれる。

研究者生活の最後を過ごした研究室


海外のホテルほどはゆったりした部屋ではないが,四万十で泊まったホテルには共同の大浴場があった。幌を全開にしたオープンエアーのドライブは爽快だが,実は排気ガスのせいか顔がすごく汚れることはあまり知られていない。大浴場でゆっくり体をほぐし,横になるとそのまま眠ってしまった。


0 件のコメント:

ぼーっと生きていると危険だ!

トイレの手すりで頭をしこたま打った。手すりというか硬い金属製のハンガーのようなもの。尖った角で打ったため,少しだけだが血が出てきた。それもすぐに止まったから大丈夫だろうとたかを括っていたのだが,夜になると傷口がズキズキ痛むし,打った側の目や耳まで痛いような気がする。しかし,肩こり...