2022年12月31日土曜日
裏庭の風景:1月
2022年12月16日金曜日
木版画教室の帰り道
今日は県立美術館の木版画教室。めずらしく今日は2時間すべて作業に没頭した。このみ先生に加え,ベテランのAさん,Oさん,Kさんのアドバイスを受けながら作成途中の「裏庭の風景2月」の試し刷りをした。 結構おもしろいものができたが,結果は2月のお楽しみ。
帰り道,ちょっと六甲台キャンパスまで足を延ばして,アトリエノーベンバーのシュトレンをAさんから受け取った。ずっしりと重く今年も美味しそうだ。
アトリエ・ノーベンバーのシュトレン |
Very Merry Christmas! |
2022年12月6日火曜日
クリスマスカード2022
アトリエノーベンバーにお願いしていたシュトレンも出来上がったとの連絡があり,いよいよクリスマスだ。今年もクリスマスカードを作成した。今年は正統派,ポインセチアの図柄に決めて,写生するため早速街の花屋さんで鉢植えを購入した。480円。
ポインセチア |
しかしもともと絵を描く才能がゼロの僕にとって写生は難関中の難関。結局いつものようにマンガのような図案になってしまった。花は上から見ているのに,鉢は横から見ているという理屈に合わないチグハグなものになってしまった。
赤いポインセチア |
ポインセチアに見えるといいのだが。上にMerry Christmas !と文字を入れたので,ポインセチアと認識してもらえるといいのだが。一つでは寂しいので,色を変えて黄色いポインセチアも摺ってみた。
黄色いポインセチア |
2022年11月30日水曜日
裏庭の風景:12月
明日から師走。ことし最後の月だ。
冬になると裏庭の南天が赤い実をつける。この南天は,庭木の剪定にきてくれた植木屋さんが「この南天は珍しい種類だから大切にすると良いですよ」と言ってくれたものだ。そういえば近所で見かける南天はまさに実がたわわになっているのだが,この南天は少し上向きで,茎が撓むほど沢山実をつけるわけではなく,スリムで上品だ。
実際にはここ裏六甲に雪はまだ降っていないが,二十四節気の「小雪(しょうせつ)」は11月22日,「大雪」は12月7日だから,雪はいつ降ってもおかしくはない。木版画は南天に「小雪(こゆき)の降りかかる」様子を描いている。
汚れつちまつた悲しみに(中原中也) |
篆刻は「師走」。縁は太く,中の文字は細いスタイルの朱文にした。師走の由来には諸説あるが,最も尤もらしい(Maximum Likelihood,なんか懐かしい言葉だなあ)のは坊さん(師)がお経をあげるために走り回る「師馳す(しはす)」らしい。4月に始めた裏庭シリーズも残りは一月(睦月),二月(如月),三月(弥生)の三つになった。あと一息。
2022年11月18日金曜日
アドヴェント
2022年11月12日土曜日
空摺り
兵庫県立美術館の木版画教室(本田このみ先生→こちら)の今期の課題は「空摺り」だ。これは絵の具を使わない技法で,エンボスによく似た手法だ。手法そのものは絵の具を使わないということ以外はこれまでに習った木版画の彫りや摺りと大きな違いはないのだが,それを「どのような場面に適用するか」というもっとも重要なところが僕は,まだ十分理解できていない。
先生の例を参考にしながら,二つ三つ適用例を考えたのだが,なかなか良いアイデアが浮かばない。いろいろ考えている最中,ふと定年退職の直前2019年2月のイタリア出張の際,仕事の後に訪れたナポリの考古学博物館で見たヴィーナスを思い出した。大理石だからまったく色はないのだが,お尻の格好がなんとも言えず美しく思った。題名をみるとまさに「尻の美しいヴェヌス」。そのときに感じた美しさを空摺であらわせないかと,,,。なるほど色をつけてその時の印象を表すよりも,色無しの空摺りの方が良いような気がする。
Aphrodite Kallipygos |
これで良いのかなあ,と半信半疑で教室へ持って行くと,先生を含めて意外に評判が良かった。というわけでアップロードします!
2022年11月4日金曜日
神戸元町界隈
2022年10月31日月曜日
裏庭の風景:11月
明日から11月。朝晩はすっかり冬の気配だ。裏庭で,ふとジャスミン(ホワイトプリンセス)の花が一輪だけ咲いているのを見つけた。近くによると微かに良い香りがする。「ホワイトプリンセスの開花時期は9月から11月,晩秋の花」という記述を信じて,それを11月の木版画とすることに決めたのは9月の終わりだった。ジャスミンの花は満開ということはなく,一つ咲いては消え,別の花が一つ咲いてはまた消えを繰り返す。花が咲き誇るというような感じではない。今は最後の花がまさに咲こうとしている。明日にはそれが咲くだろう。
ジャスミンの葉 |
2022年10月30日日曜日
同期会
2022年10月29日土曜日
僕の「奥の細道」(VI)2022年10月29日
昨日金沢に到着した。今日は今回の一人旅の最終日。あとは神戸まで帰るだけだ。昨日の走行距離は290キロとそんなに多いわけではない。しかし旅も6日目になると疲れが出たのか金沢に到着後,ホテルですぐに居眠りしてしまい,街を散策することができなかった。朝早く目が覚め,美味しい朝食を済ませた後,ぶらりと町の散策にでかけた。まずは徒歩で15分にある東茶屋街。とても風情のある街で,さらに早朝のため,地元の人以外の観光客もおらず,居心地がすこぶるよい。金沢も今回どうしても訪れたかった町だ。
学生時代からお世話になったF先生は金沢の出身だ。厳しい先生であったが,定年後もよく僕の研究室を訪ねてくれ,夏と冬には金沢のお菓子を送ってくださる優しい先生だった。まさに「仰げば尊し,和菓子の恩」である。
指導教官だった経営統計論のM教授と証券市場論のF教授,それともう一人経営数学のI教授はすべて同じゼミナールの出身という繋がりがあり,ずっと親しくされていた。F先生は2020年,「二人展」の相方Dさんが亡くなった三ヶ月後に亡くなった。僕は直接論文の指導を受けたわけではないが,研究者としてずっとお手本としてきた先生である。
東茶屋街にそのお菓子屋や,ホテルから東茶屋街への途中にはときどき先生がくださった飴の飴屋もあった。早朝で,まだ開いていなかったが,とても風情のあるお店だった。茶屋街は格子や石畳など風情あるとても居心地の良いところだった。
老舗のお菓子屋 |
東茶屋街の街並み |
浅野川 |
老舗の飴屋 |
西茶屋街の街並み |
西茶屋街の街並み |
犀川 |
あかあかと日は難面もあきの風芭蕉
2022年10月28日金曜日
僕の「奥の細道」(V)2022年10月28日
長岡に立ち寄ったことはとても良かった。ちょっと上等のホテルに泊まったから朝食も美味しく新たなエネルギーが注入された感がある。昨日の夕方の天気は曇りだったので,出雲崎で日本海の夕日を見ることは断念したが,今日は快晴。さっそく出雲崎へ向かうことにした。出雲崎までは30分ほどの距離,日本海に面したところにあり,目の前に佐渡島が見える。明石海峡を隔てた淡路島をイメージしていたが,佐渡島は思ったよりも大きく,そして遠く全く違っていた。淡路島とは比べ物にならないほどずっと大きく,スマホのカメラには収まらない。(注)
佐渡島:向かって左端 |
佐渡島:中央 |
佐渡島:向かって右端 |
荒海や佐渡によこたふ天河芭蕉
穏やかに佐渡まで続く秋の海
朝凪や佐渡によこたう秋の雲
一郎
なんとも風情のある団子屋 |
団子食い見渡す先の秋の雲一郎
親不知の断崖から |
(注)恥ずかしながら,淡路島の方が佐渡島より大きいと,ずっと勘違いしていた。調べてみると佐渡島の面積は淡路島のほぼ1.5倍だ。最初ブログにもそのように書いていたがここに訂正します。
2022年10月27日木曜日
奥の寄り道:長岡(父の思い出)
長岡に寄ったのは訳がある。今回の一人旅の目的の一つが長岡を訪れることだった。僕が26歳のとき,55歳で死んだ父は旧制長岡高等工業(現在の新潟大学工学部)の応用化学科の出身である。和歌山という暖かい所で生まれ育った父がどうしてそんな北国の学校へ行ったのかはよくわからないが,旧制中学校ではなく旧制工業学校に通ったという経歴が関係しているのだろう。
ただ長岡高等工業(→こちら)は,高等工業と言いうものの,初代校長の方針で,応用一辺倒ではなく数学,物理,化学などの基礎学問に重点をおく学校だったらしい。そして学生服ではなく皆背広を着ているちょっとハイカラな学校だったということだ。このことは経営学部という「簿記,算盤」の学風の中で,経済学という基礎的な分野を専門とした僕に通づるものがある。
父はよく長岡の話をしてくれた。和歌山から長岡へ初めて行きスキーができなければ下宿から学校まで行けなかったこと,長岡駅で大阪から来た汽車をみて和歌山が懐かしかったこと,そして先に述べたような長岡高等工業の校風などだ。新潟大学工学部はすでに新潟市のキャンパスに移転し長岡には教育学部の附属学校があるだけということだ。ウェブには今は跡地に小さな碑があるとのこと。どうしてもそこを訪れてみたかった。
跡地は,現在の長岡市民文化公園 (市立体育館・市立中央図書館)にあるという。夕方にそこを訪れたが,ちっぽけな碑なのだろうかなかなか見つからない。図書館の受付で聞いてみたがそんなものは見たこともないとのこと。それどころかここに長岡高等工業があったということもご存じなかった。体育館の事務室でも聞いてみたが,やはりわからない。ただ大きな記念碑みたいなものが図書館と体育館の間ぐらいにあるから一度見てみたらどうかと言われた。まあ大きな記念碑といわれた時点で僕が探している碑とは違うだろうなあと半信半疑で行ってみると何と新しく建てられた立派な碑だった。
長岡の石碑に映る秋の雲一郎
夜は長岡駅に出かけた。駅に朝日酒造の直営店があり,そこで「久保田」という長岡の地酒を購入した。その直営店で教えたもらった料理屋でちょっと上等のお寿司を食べて,帰り駅の近くのカフェで暖かいコーヒーを飲んでホテルに戻った。
僕の「奥の細道」(IV)2022年10月27日
昨晩鶴岡に到着後,3000円のお買い物クーポンで街へ夕食をとりに出かけた。日本海側の街だからお魚が美味しいだろうと思い,ちょっとした居酒屋に入りお刺身を食べた。明日は特に決まった予定はないのでゆっくりできる。ホテルには無料のランドリールームがあったため,たまった下着などをすべて洗濯する時間も十分あった。
朝食を済ませて7時半,いざ出発と思ったら,お気に入りの帽子がない。何年か前髪の毛を短く切ったので,帽子は防寒にかかせない。特に冬の幌全開の走行には必需品だ。
お気に入りのパタゴニアのキャップ |
ベッドの横の隙間に落ちたのだろうか,毛布のなかに巻き込んでいるのだろうかと探したが見つからない。昨日でかけたのは居酒屋さんだけだからきっとそこに忘れているのだろう。領収書を見ると開店時間は朝11時とある。まだまだ先だが,まずは予定していた湯殿山神社へ行って11時を待つことにした。その途中,忘れ物の問い合わせと電話番号を記したメモを居酒屋のドアのスリットから投げ込んでおいた。あれば電話がかかってくるだろう。なければ湯殿山神社から直接次の目的地長岡へ向かおう。
湯殿山神社までは一時間足らず。麓まで山形まで続く高速道路を使うことができる。当初はちょっと寄るだけで帰るつもりだったが11時までたっぷり時間があるので,参拝することにした。山の下に平安神宮の鳥居並みの大きな鳥居がある。そこから山道を30分たった一人歩きながら本宮を目指す。
参道の入り口の鳥居 |
人一人いない本宮へ続く参道 |
振り向けば山 |
紅葉と小さな鳥居 |
月山に続く山 |
本宮への参道にある鳥居から先は写真撮影禁止。せせらぎのような音を聞きながら谷底へ下っていくと何やら建物があり神主さんが一人。ここで靴を脱いで裸足になれと言われる。裸足にならないと神社に入ることはできないのだ。もちろんタダではない。これから先に入るために500円必要。そして小さな紙人形とお守りのようなものをくれて,お祓いをしてくれる。お祓いをして身の汚れを紙人形に移し,それを水の流れに流さなければ入れないのだ。これなら500円は高くない。久しぶりになんとなく身が清められた気分になる。しかし足が冷たい!不思議な御神体を拝み(帽子がありますようにとお願い),もとの入口まで帰ってくる頃には足は縮かんでしまって感覚がほぼ無くなっている。みなそうなんだろう。入り口には温泉の足湯が用意されていた。忘れ物のおかげで良い経験ができた。とても神秘的な感覚だった。
雲の峯
幾つ崩れて
月の山
語られぬ
湯殿にぬらす
袂かな芭蕉湯殿山銭ふむ道の泪かな曾良
火恋し
足冷たきや
湯殿山
湯殿山下る参道秋の風
一郎
鶴岡へ戻る途中スマホに電話の着信が。居酒屋さんから帽子があったとの連絡。湯殿山神社でのお願いが通じた! 11時から開店だが既に開いているのでいつでもOKとのこと。しかしやはり準備中は立て込んでいるだろうから11時に伺うことにした。少しだけ時間があったので,致道館という庄内藩の藩校に立ち寄ることもでき,道中の景色と合わせてしばし藤沢周平の世界に浸った。11時になって居酒屋さんへ帽子をとりに伺いお礼をいって長岡へ再出発。日本海を右手に見ながらの素晴らしいドライブを楽しんだ。ただ帽子騒ぎでバタバタとしたためスマホの充電器をホテルに忘れてきてしまった。
意外に早く目的地長岡に着くことができた。長岡については別に詳しく話すことにする。長岡は今回の旅の目的の一つでもあるからだ。今日の走行距離は281km。
2022年10月26日水曜日
僕の「奥の細道」(III)2022年10月26日
1日目は554km,2日目は552kmという強行日程だったが,昨日は234kmという適度の距離の移動,それも鍋越峠を越える山道のワインディングロードや素朴な家並みの中の母袋街道などの楽しいドライブだったから一息つけた気がする。さらに天童市で宿泊した旅館は素晴らしく居心地がよく,つかれがすっかり取れた気がする。夜は10割そばと天ぷらをいただき生き返った心地。
早朝温泉につかり,美味しい朝食のバッフェ(僕はホテルの良し悪しは朝食で決まると考えている。I日を気持ちよくスタートするためには何と言っても美味しい朝食だ)の後,山寺の立石寺に向かった。山寺に到着したのは8時30分。麓の駐車場にはまだ人影もない。よく見ると「管理人がいない時は,このメモに自動車のナンバーを記入し500円を包んでポストに入れてください」との掲示がある。
立石寺の山門に着いたが人影はまったくない。入り口で入場券を購入したときに聞くとそれでも既に二、三人のひとが入山したとのこと。ここからてっぺんの五大堂まで1000段以上の階段を登らなければならない。人は誰一人いない静寂の中,ゆっくりゆっくり登り始めた。
折れ曲がりながら続く階段 |
閑かさや岩にしみ入る蝉の聲芭蕉
句碑:芭蕉はここで俳句を詠んだという。ほんとうかなあ? |
閑かさや聲なき塚の秋の寺一郎
振り返ると人影が |
紅葉の納経堂 |
五大堂からの眺望 |
紅葉の山寺降りて膝笑う一郎
予定より早く階段を降りてくることができた。十分時間があるので,午後に予定している最上川船下りも一本早い船に乗船できそうだ。余裕を持たせた計画なので,ひとまず天童市内に戻り,昨日スキップした「天童将棋資料館」を覗くことにした。さまざまな将棋の駒が展示されていてとても楽しい。さまざまな将棋グッズが売られていたが,ここでもやはり主役は藤井聡太。
たいそうな時代錯誤の乗船場 |
五月雨をあつめて早し最上川芭蕉
静かに流れよ最上川 |
秋晴れにあつめる雨なし最上川
船下りところまだらの紅葉かな
一郎
最上川を戻る船 |
山形道頭上を過ぎる秋の風
幌開き庄内平野秋の空一郎
羽黒山大鳥居の近くから月山を望む |
2022年10月25日火曜日
僕の「奥の細道」(II)2022年10月25日
松島で昨晩泊まったホテルは朝夕の食事付きだったため,宮城県のお買い物クーポンは夕食には使えない。次の日は岩手県の平泉が中心の行程だからその日のうちに使わなければならないため,ほぼ「ガッチリ買いましょう」状態で夕方は買い物に明け暮れる。さらに名物の笹かまぼこは賞味期限が短く,これからの旅の日程を考えると購入することもできない。上等のお菓子も日持ちがしないなど悪条件が重なり,結局夜の小腹の足しになるようなものばかり買ってしまった。まあいいか。
今日は快晴!さっそく小高い丘に登って松島湾を見渡す。たくさんの島が湾内に散らばる景色が見える。日本三景はこれで全て見たことになるが,天橋立の洲,宮島の厳島神社ような特徴的なものがわからずピンとこない。素晴らしさをわかるためには遊覧船に乗らなければならないのかなあ?
松島湾 |
松島でも芭蕉は俳句を残しておらず,曾良が素敵な俳句を残している。
松島や
鶴に身をかれ
ほととぎす曾良
今日の目的地は平泉。ここからは100キロ足らず。高速道路をつかえばI時間ほどで到着するはずだ。しかし平泉では訪れる予定も盛りだくさんだ。遊覧船は断念し,早めに松島を出発することにした。
午前10時には中尊寺に到着。中尊寺の駐車場に車を停めて本坊表門を目指すが意外と長くきつい坂道。休み休みたどり着いたが,まあどこにでもあるような山門だ。この向こうに本堂がある。
本坊表門 |
五月雨の降りのこしてや光堂芭蕉
中尊寺経蔵 |
芭蕉像の前で |
紅葉にはまだ少し早い |
夏草や兵どもが夢の跡芭蕉
秋空を川面に映す北上川一郎
平泉を流れる北上川 |
夏草ではなく秋草だけど |
毛越寺(池の向こうに本堂が見える) |
峠道山の中には秋の声
秋晴れの鍋越峠われ一人
秋高し母袋街道下り坂一郎
新二十四節気・冬至
今週末の土曜日(12月21日)は冬至。北半球では一年で夜が一番長い日だ。ただし日の入りが一番早いわけでも無いし,日の出が一番遅いわけでもない。日の入りから日の出までの時間が一番長いというだけだ。実は,日が暮れるのが一番早い日は冬至より少し前,日の出が一番遅いのは冬至より少し後にな...
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「通読」という言葉が適当であるかどうかはわからないが,最初から最後まで系統的に目を通すという意味では僕は万葉集を通読したことはない。それどころか,実は『万葉集』そのものも持っていない。これまで目を通したものは抜粋された歌に口語訳や解釈が併記されたものだけなのだが,それでも鮮やかに...
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Dさんのことを「Dさん」と呼ぶようになったのはいつ頃だっただろう。Dさんは学部も大学院も僕の3学年先輩だが,最初の出会いは,僕が大学院・修士課程1年生の時だった。その時Dさんは既に大学の助手であり,学生の僕は「D先生」と呼んでいたと思う。事実,修士論文の作成に必要な数学的な方法を...
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実は昨年3月から学童保育で働いていた。65歳で大学を定年退職するまで,狭く閉じた社会で,ただひたすら研究と教育に没頭してきた僕にとって,新しい世界での新しい仕事へのチャレンジは予想したよりも遥かにエキサイティングで,日々発見の10ヶ月はワクワクするようなちょっとした「冒険」だった...