2026年9月22日火曜日

秋分:二十四節気

 明日は秋分。木版画のタイトルは「月夜の彼岸花」。

月夜の彼岸花

月夜の彼岸花:小さな額入り

ブルーの彼岸花に違和感を感じる人も多いと思う。事実,僕自身もずっと彼岸花は赤だと思っていた。七月脚の手術の前に中高の友人二人と「最後の晩餐」と称して食事をした後の雑談で,彼岸花の版画の構想を話した。技術的な理由で赤い彼岸花は断念し,非現実的だがブルーの彼岸花にしたと話すと,博識のTKUC君が「ブルーの彼岸花もある。加古川の花の寺にあるから是非観に行くと良い」とアドバイスしてくれた。

敬老の日の昨日九月二十一日,ちょうど彼岸花のシーズンに円照寺を訪れた。境内は色とりどりの彼岸花で溢れていたが,残念ながら青い彼岸花は八月末から九月始めがシーズンで,今年は九月十三日に青い彼岸花は終わったらしい。

円照寺境内の彼岸花

円照寺境内の彼岸花

実は小学二年生から大学院まで二十年足らず加古川で暮らした。円照寺へ行った帰りふと自宅のあった場所へ行ってみた。住んでいた家はまだあった。小学二年生の時に建ったのだから築60年以上になる古い家だ。当時は雨戸が鎧戸,2階にはベランダがあり洋風の屋根のとてもモダンな家だった。随分古いから建て替えても良さそうだが,面する東の道,南の道はともに4メートルに満たない細い道だから,都市計画上建て替えに伴う土地のセットバックを避けているのかもしれない。しかし本当のことはわからない。それでもお隣さんや近所には見覚えのある表札が掲げられていてとても懐かしかった。

その後町の中心へも足を延ばしてみたが,子供の頃とても賑わっていた「寺家町通り」という商店街はすっかり寂れ「シャッター通り」になってしまっていた。小学校の同級生だった傘屋,洋服屋,下駄屋,居酒屋,お寿司屋も見当たらなかった。おそらく昔の駅前通りだった所には,MYKという時計屋(昔はレコードも売っていた)や女性服のGZ屋,もう一つの大きな交差点の角のICI文房具店はまだあったが,町は昔の面影もなくすっかり様変わりしていた。なぜか「もうここに来ることはないだろうな」と思った。そして中原中也の「帰郷」を思い出した。特に最後の「ああおまえは何をしてきたのだと 吹きくる風が私に言う」が胸に刺さった。





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