2026年9月27日日曜日

版画百人一首

百人一首シリーズの新作を3枚。枠付き、カルタの取り札と同じ形状、同じサイズ。子供の頃、取り札が「ひらがな」だけでわかり難く、年上の女性達に太刀打ち出来なかったことを思い出し、子供でもわかるようにと始めた木版画百人一首。既作の5枚(こちら👉)と合わせてこれで8枚完成。先は長し,人生は短し。

百人一首:新作三首

田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ

山部赤人(ボートの5番目の赤い服😆)


君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ

光孝天皇


秋の田の 仮庵の庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ

天智天皇


百人一首:既作八首

2026年9月22日火曜日

秋分:二十四節気

 明日は秋分。木版画のタイトルは「月夜の彼岸花」。

月夜の彼岸花

月夜の彼岸花:小さな額入り

ブルーの彼岸花に違和感を感じる人も多いと思う。事実,僕自身もずっと彼岸花は赤だと思っていた。七月脚の手術の前に中高の友人二人と「最後の晩餐」と称して食事をした後の雑談で,彼岸花の版画の構想を話した。技術的な理由で赤い彼岸花は断念し,非現実的だがブルーの彼岸花にしたと話すと,博識のTK内君が「ブルーの彼岸花もある。加古川の花の寺にあるから是非観に行くと良い」とアドバイスしてくれた。

敬老の日の昨日九月二十一日,ちょうど彼岸花のシーズンに円照寺を訪れた。境内は色とりどりの彼岸花で溢れていたが,残念ながら青い彼岸花は八月末から九月始めがシーズンで,今年は九月十三日に青い彼岸花は終わったらしい。

円照寺境内の彼岸花

円照寺境内の彼岸花

実は小学二年生から大学院まで二十年足らず加古川で暮らした。円照寺へ行った帰りふと自宅のあった場所へ行ってみた。住んでいた家はまだあった。小学二年生の時に建ったのだから築60年以上になる古い家だ。雨戸がパリのアパルトマン風の鎧戸,2階にはベランダがあり洋風の屋根の当時としてはとてもモダンな家だった。母が死んで1年後,空家のままにしておくのも不用心だと,家族三人でフィラデルフィアに長期で滞在することになったのを機に手放した。40年以上も前のことだ。

随分古いから建て替えても良さそうだが,面する東の道,南の道はともに4メートルに満たない細い道だから,都市計画上建て替えに伴う土地のセットバックを避けているのかもしれない。しかし本当のことはわからない。それでもお隣さんや近所には見覚えのある表札が掲げられていてとても懐かしかった。

その後町の中心へも足を延ばしてみたが,子供の頃とても賑わっていた「寺家町通り」という商店街はすっかり寂れ「シャッター通り」になってしまっていた。小学校の同級生だった傘屋,洋服屋,下駄屋,居酒屋,お寿司屋も見当たらなかった。おそらく昔の駅前通りだった所には,MYKという時計屋(昔はレコードも売っていた)や女性服のGZ屋,もう一つの大きな交差点の角のICI文房具店はまだあったが,町は昔の面影もなくすっかり様変わりしていた。なぜか「もうここに来ることはないだろうな」と思った。そして中原中也の「帰郷」を思い出した。特に最後の「ああおまえは何をしてきたのだと 吹きくる風が私に言う」が胸に刺さった。





住吉大社

シルバーウイークの初日の20日,和歌山まで墓参りに行った帰り,大阪の住吉大社に寄ってみた。住吉大社は源氏物語にしばしば登場する知られた神社だが訪れるのは今回が初めて。多くの人々,特に生まれたばかりの赤ちゃんを連れた「お宮参り」 の人々で賑わっていた。有名な朱色の太鼓橋が華やかさを醸し出す。

太鼓橋

源氏物語関屋澪標図屛風

境内には番号付きの四つの本宮がある。それぞれ檜皮葺の屋根の立派な建物なんだが,どうも僕には神聖さとか荘厳さが感じられない。僕は無神論者だが,それでも大分の宇佐神宮,宮崎の高千穂神社,伊勢神宮に行ったときは,何か訳のわからない荘厳さを感じた。否定的な言い方になったが,逆に言えば,住吉大社はとても庶民的で人々の間に溶け込んでいる。

奥まで続く四つの本宮

四つの本宮にはそれぞれ賽銭箱があるのが商売っ気たっぷりで何とも大阪らしい。加えて散在する小さな社もすべて賽銭箱を持っている。すべて回って賽銭を投げ入れると随分な出費になる(笑)。賽銭箱はあるが,どういう訳か,カランカランとなる「本坪鈴」や「鈴緒」は無い。

一番奥にある大きな楠の下,楠珺社で招き猫を求めた。左手を挙げている猫は人を招き,右手をあげている猫はお金を招くらしい。僕がどちらを求めたかは写真より明らか。

大きな楠

楠珺社

招き猫





2026年9月9日水曜日

九月九日重陽の節句

今日九月九日は重重陽の節句。別名菊の節句。五節句のうち一年で最後の節句だ。三月三日の上巳の節句(雛祭り,桃の節句),五月五日端午の節句(子供の日菖蒲の節句),七月七日は七夕の節句(星の節句,笹の節句)がそれぞれよく知られているのに対し,重陽の節句はあまり一般的ではない。雛人形,鯉のぼり,笹飾りのように大人も子供も楽しめるような行事がないからだと思う。事実,車のナビは朝エンジンをかけると「今日は九月九日,救急(99)車の日です」と味気ないアナウンスがあった。もう少し味のあるアナウンスをするナビはないものだろうか。たとえば「今日は重陽,菊の節句です」とか。

重陽の節句は菊の節句とも言われ,薬効のある菊を浮かせた「菊酒」を飲むというのが行事らしいが,もちろん,これは子供向けではない。それでも,やはりあまり知られていないからこそ,ここは正攻法で菊を題材とすることが一番良いと考えた。そこで作った版画がこれ。

重陽:大輪の菊

どこにでもあるようなありふれた図柄になってしまったが,菊以外には見えないからこれはこれで良しとしよう。実はこの版画のような大輪の菊が咲くのはもっと先,十月に入ってから。個人的には立派な菊よりも,小さな野菊,野路菊が好みなんだが,「重陽」という漢字からはやはり大輪の菊を連想する。これで五節句のうち四節句がそろった。以下それらを列挙しよう。

  • まずは三月三日,上巳の節句。これは言わずとしれた桃の節句ひな祭り。ぶらっとO市の「雛めぐり」を訪れた。立派な雛人形がたくさん飾られていたが,心を惹かれたのは,布で作られた小さな立雛(たちびな)だった。中学高校時代O市から遠路はるばる列車通学をしていた友人がいたことを思い出した。

上巳:立雛
  • 次は五月五日,端午の節句。こどもの日で休日,ちょうど五月のゴールデンウイークのさ中。この時期の図案の題材はたくさんある。まず第一は鯉のぼり。これはこれまで三回挑戦した。そのうち二回はなぜかステンドグラス風鯉のぼり。もう一つは四万十川の鯉のぼりの川渡し。その次は,食べ物,粽も柏餅も作ってみた。そういうわけで種切れ気味の端午の節句。そんなとき子供たちが新聞紙で兜を作っているのをみて,それを題材にしようと考えた。やはりなぜかステンドグラス風。

端午:ステンドグラス風兜

  • 最後は七月七日七夕。5月に東北を車で巡った。2022年には「奥の細道」をめぐる旅と称してロードスターで東北を旅(👉こちら)した。その旅と少し重複はするるが,今回は飛行機とレンタカーを利用して宮沢賢治,柳田國男,太宰治,森敦をめぐる旅。仙台空港から始まった旅の二日目,花巻から遠野に向かう途中,宮守川橋梁に出会う。その時のイメージで七夕の版画「銀河鉄道と天の川」を作った。天の川を描くのに苦労した。天の川の両岸の大きな星はそれぞれベガとアルタイル。
七夕:銀河鉄道

残すは人日の節句,七草の節句のみ。この節句だけは月と日がゾロ目ではなく1月7日。まだ手もつけておらず,七草粥以外何のアイデアもないが,添える判子(篆刻)だけは完成している。

右より人日,上巳,端午,七夕,重陽




2026年9月7日月曜日

白露:二十四節気

今日は白露。先週末から続く雨のせいか,漸く朝晩は気温が少し下がってきたような気がする。この時期スーパーや農協のお店にはたくさんの無花果が並ぶ。子供の頃住んだ家の裏庭には無花果の木があった。無花果の実がなる時期には,好きな時に好きなだけ千切り食べていた。そのため無花果がパイナップルやバナナのようにお店で売られる希少な果物だと知ったのは大人になってからだ。そんなことを思い出しながら,無花果を版画にした。さりげなく皮の筋を描くのに苦労した。瑞々しさは表せなかったが,少なくとも無花果以外には見えないので一応は成功かな?

いちじく

いちじく:小さな額入り

中島敦『山月記』「時に残月,光冷やかに,白露は地に滋く,樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げていた。」(『山月記・李陵』,岩波文庫,117ページ)




寒露:二十四節気

今日10月8日 は二十四節気の寒露。朝夕はすっかり涼しくなった。このシーズン,刈り取られたばかりの稲を稲架で乾燥させているのをよく見かける。稲架と書いて「はさ」あるいは「はざ」と読む。そんな風景を子供の頃の記憶を元に描いた。子供の頃,田圃を通る通学路の近道で刈り株に躓いてよく転ん...