2024年12月19日木曜日

新二十四節気・冬至

今週末の土曜日(12月21日)は冬至。北半球では一年で夜が一番長い日だ。ただし日の入りが一番早いわけでも無いし,日の出が一番遅いわけでもない。日の入りから日の出までの時間が一番長いというだけだ。実は,日が暮れるのが一番早い日は冬至より少し前,日の出が一番遅いのは冬至より少し後になる。

そんな気象の話よりも,冬至といえばやはり柚子湯。湯船にぷかぷか浮かぶ柚子を木版画にしてみた。石のハンコは新たに彫り直したもの。


絵柄は水(湯)に浮かぶ柚というだけで,それが風呂であるかどうかはまったくわからない。むしろ明らかに湯船とわかるところに柚子が浮かんでいるというありふれた図柄にはしたくなかった。しかし,水面をどう表すかが問題で,結局,福田平八郎の「鮎」の水面に大きく影響を受けたものになった。この濃いブルーと薄いブルーの色合いを選んだのはそれだけではなく,元はと言えば,二年前の晩秋,奥の細道を辿るロードスター一人旅の帰り道,長岡から金沢に向かう途中で立ち寄った「親不知」で,断崖絶壁から眺めたとても美しい日本海の水面の記憶である。

親不知:断崖絶壁から見た日本海の海面




2024年12月7日土曜日

新二十四節気・大雪

今日,12月7日は大雪。「力作のない木版画展」も無事終わりホッとしていると直ぐに大雪になってしまった。それに合わせて作成した「二十四節気」の大雪の木版画は次の通り。妻が料理をしているキッチンに行くとちょうど葉を切り落とした小さな蕪が三つ。葉の切り口がとても綺麗なグリーンでまるで薔薇のように見えたので,それを大雪の木版画の図案とした。今は蕪が旬のようだ。

蕪の白い部分は根だと思っていたが,実は根はその下の小さな髭のような部分,白い丸い部分は根と茎の間が膨らんだもので根では無いそうだ。妻が準備していた株は既に葉の部分と根の部分は切り落とされ,直ぐに料理に使える状態だった。つまり根も葉もない蕪だ!新作の版画に合わせて篆刻も新しく作成した。

「木版画展」に来てくださった沢山の方々,本当に有難うございました。

根も葉もないかぶら


2024年11月26日火曜日

力作のない木版画展はじまりました。

「力作のない木版画展」無事はじまりました。初日は生憎の雨模様。記念すべき最初の訪問者は,偶然前を通りかかった女性。ガラス張りのギャラリーをみてぶらっと入ってこられた。まさに、ちょっぴりにっこりしてくださり感激。

いよいよオープン


カーテンをあけて

壁には全部で31点の小さな作品

入口のテーブルには「裏庭の風景」12点

奥のスペースには二十四節気24点。壁にかけることができたのは、半分の12点。残りは小さなフレームに入れて飾り棚へ。残念ながら季節の順序は、破綻せざるを得ない。

おまけで小物まで展示

 展示する作品はなんと60点以上。午後からはK大のHさん夫妻が東京からわざわざ来てくれたり,兵庫区,北区の児童館の支援員の先生,神戸のK大時代お世話になった方々が次々と来て下さり話が弾む。お天気には恵まれなかったが、それでも良い初日だったと思う。明日はお天気になりそうだ。大勢来て下さるといいな。

2024年10月20日日曜日

新二十四節気再開

昨年5月に始めた,新「二十四節気」の木版画シリーズは,秋分(こちら👉)で力尽きてしまった。 その後,「立冬」(こちら👉)で再開したが,「小雪」(こちら👉)が終わると弓折れ矢尽きてしまった。やはり食べ物に限定して,二週間に一度図柄のアイデアや添えるパッセージを考えるは思った以上に大変だった。それからちょうど一年になる。今年は小さな作品展(こちら👉)もするのでこの際,新「二十四節気」を完成させようとこの奮闘しなんとか完成させることが出来た。

当初はその時期に合わせて作っていたので,このブログやインスタグラムでタイムリーに紹介できたが,まとめて作成した今回(抜けていた「寒露」と「霜降」,弓折れ矢尽きた後,「大雪」から「穀雨」までの10節気の計12節気)はそうはいかない。もちろん全て「力作のない木版画展」で展示する予定だが,ちょうどタイムリーな「寒露」と「霜降」だけをアップロードすることにする。残りは順次タイムリーに紹介する。

寒露:栗ご飯

霜降:銀杏の松葉刺し


ご飯の中から拾った栗は美味しい。火の中から拾った栗は危険だ。今週の水曜日23日は霜降,あちこちで道路に落ちた銀杏の実を見る季節になった。銀杏は踏むと臭いが,殻を剥いて料理すると美味。日本料理の前菜にはよく出される。最近,会食で食べた和食も銀杏が出された。一度その味を知ると止められない。禁断の果実だ。銀杏は果実と呼ぶのかどうか怪しいが,実であることは確かだ。



2024年10月10日木曜日

朋有り遠方より来たる

子曰く

学びて時にこれを習う

亦説こばしからずや

朋有り遠方より来たる

亦楽しからずや


夕食の後で:左からT, O, S



ライプナー・チーズ



2024年9月30日月曜日

力作のない木版画展

二人展から3年が経ちました。同じ場所,ほぼ同じ時期に再び小さな木版画展をします。

案内状A
案内状B

趣味や道楽は自分自身が楽しめれば十分だけど,それで周りの人達もちょっぴりにっこりできればもっと良い。そんな思いで心にうつりゆくよしなし事を小さな木版画や篆刻にしました。力作なんてまったくない拙く小さなものばかりの作品展ですが,来ていただいた方方がちょっぴりにっこりしていただければ望外の喜びです。

得津一郎


会期:2024年11月26日(火)〜12月1日(日)  12:00~18:00

場所:Gallery & Space Coffretこふれ

〒657-0846 神戸市灘区岩屋北町1-7-18 サントヴィラージュ摩耶1F






2024年9月18日水曜日

ウイスキー

 高いウイスキーはキャンプに似合わない。安いウイスキーが良く似合う。

酒なくて何の己が桜かな

遠き山に日は落ちて

(大阪府能勢町:杜のテラスキャンプ場)

2024年7月18日木曜日

プルシアン・ブルー(Prussian Blue) or ペルシアン・ブルー(Persian Blue)?

7月14日の日曜日,お天気は良くなかったが,思い切って大阪まで「広重 — 摺の極」を観に行ってきた。大混雑と大行列を予想していたが,整理券方式で入場時間が来場者に割り当てられるため11時過ぎ会場に到着後間もなく11時30分にすんなり入場することができた。

作品展のポスター

大混雑ではないものの会場内は結構な人。「鑑賞の順は特に設けていないから自由に行き来してください」とのアナウンス。つまり,混雑しているとはいえ自由に進んだり戻ったりできるほどのスペースの余裕はある。僕にとっては趣味や道楽の木版画だが,流石にプロの作品は絵も彫りも摺も次元が違う。僕の道楽の木版画とは別物と考えた方が正しい。それでもやはり,気分が高揚して一つ一つの展示作品を食い入るように鑑賞してきた。

僕の木版画と比べるのは烏滸がましいのだが,4月に行った「福田平八郎展」(こちら👉の時と同様,自分がやっていることもまんざらおかしなことではないのだと妙な自信がわいた。

  • 見たものをそのまま上手に絵にすることができなくても,心でそのように見えたことを,頭に浮かんだイメージをどんなに単純であっても,自分なりに描けばいいんだ。無理矢理,写実に近づける努力をしなくても(もちろん僕にはそんな技量はまったくないが),気持ちを伝えることの方が重要なんだ。とくに煙の描き方に思わず「ガッテン!」。さっそく応用してかねてかふぁ悩んで停滞していた小さな木版画を一つ完成させた。
  • 以前,多色刷りがズレて白い隙間ができたり,細い線や細部が欠けてしまったりすることを嘆いていた。目を凝らして見ると,広重の作品にも白い隙間や細い線が欠けている所がある。かつて,ズレやカケを気にしていると,木版画の手解きを受けた二人の先生(琵琶湖のK先生,北野のH先生。どちらも女性)が「だってそれが版画なんだから」とニッコリ笑って言われたことを思い出した。これからはそんなことは気にせず楽しもう。
  • 浮世絵は,絵師,彫り師,摺師の共同作業だが,僕はその三者をすべて一人でやっているわけだ。400メートル走のタイムは400メートルリレーのタイムに遠く及ばないのは当たり前。これで飯を食っているわけではないので気楽にやろう。しかし,広重にこういう絵を持ち込まれた「彫り師」は,「これを彫るんですか?もう勘弁してくださいよ」と言いたくなっただろうな。それほど緻密な絵だった。そういう意味では,絵師,摺師だけでなく彫り師にも光を当ててほしい。「摺の極」だけでなく「彫の極」も十分あると思う。
というわけで,一つ一つの作品を丁寧に鑑賞していると,あっというまに時間が経ち,会場の出口で時間を見るとなんと2時間前になっている。2時間以上食い入るように見ていたわけだ。会場内は飲食厳禁,さすがの僕も水分不足で熱中症直前。広重展ならず疲労重展。

ただ一つ気になったのはこのブログの表題にもあるように広重のブルーのこと。会場で作品はいくつかの章に分類されて展示されており,その章の最初に各章の説明の大きな看板が掲げられている。看板はあまり気にせず作品に集中していたが,後ろから「広重の青は,ペルシャンブルー,ペルシャの青なんやねー」という女性の声が。思わず「違う,違う,ペルシャではなく,プルシャンブルーですよ」と言いかけて,その看板を見ると,なんとペルシャンブルーと書かれている。丁寧に英語でもPersian Blueと書かれているのだ。

看板では,ペルシャンブルーという記述の前には,この藍色を「ベロ藍」とも書かれている。つまりベルリンから来た藍色で,ペルシャから来たものではない。そもそも公式にはペルシャンブルーなる色の名前はない。それでも美術に素人の僕には,その場で「違う,違う,ペルシャではなく,プルシャンブルーですよ」と言う自信はなかった。きちんとした学芸員さんがいる美術館でこんなことを間違うわけはないから,おそらくこれまで僕が理解していたことが誤りだったんだろうと。

帰宅後も違和感は消えず,いろいろ調べてみたが,浮世絵の藍色がペルシャンブルーという記述はまったく見つからなかった。どれもプルシアンブルーと書かれている。とても気になるので,問い合わせようとしたが,美術館には電話以外に問い合わせ先がみつからない。たまたま展覧会のサイトに,ハルカス大学連携美術講座「広重展のみどころ紹介 初摺りの魅力」との記述があったので,ハルカス大学にある問い合わせフォームで質問してみた。3日後展覧会担当者からの伝言という形でメールが転送されてきた。

実はハルカス大学はハルカス美術館とは全然別物らしく,わざわざ美術館の担当者に聞いてくださったとのこと。ハルカス大学の方の丁寧な対応に感激。しかし美術館の担当者の回答では僕の違和感は消えなかった。転送された回答は

*********************************************************************
今は「プルシャンブルー」と表記するのが一般的
過去に、「ペルシャンブルー」と表記されていた時期もあり、その名残です。
原文「Prussian blue」の日本語カタカナ表記ですので、表記ゆれがあった。
*********************************************************************

という簡単なもの。どうやら特に問題はないようだ。しかし,素人の一般人が多く観に来る展覧会で,今は一般的な「プルシャンブルー」を用いずに,過去に表記されていたこともあるという特殊な「ペルシャンブルー」を用いたのは何故なんだろう?「ペルシャンブルー」と表記されていたのは過去のいつ頃のことなんだろう。それに原文「Prussian blue」の日本語カタカナ表記とのことだが,そもそも会場の看板には英語でもPersian blueと書かれていた。後ろの女性の声に思わず看板で確認したから僕の記憶に間違いはないだろう。

いずれにせよ,この回答では,いったい何が正しくて,何が正しくないのかがまったくわからない。転送された回答では,ペルシャンブルー(Persian blue)であってもプルシアンブルー(Prussian blue)であってもどちらでも構わないと言うことのようだが。他の細かい事ならともかく,藍色(ベロ藍)はいわば今回の展覧会の核心部分だから,気になって仕方がない。誰か何が正しいのか教えて下さ〜い。






2024年6月12日水曜日

新訳を楽しむ:サマセット・モーム

兵庫区の児童館で同僚だった若い女性(もちろん僕からみると皆若いのだが)は垂水から電車で通ってきていた。夜遅くなることも多いし,垂水は遠いから近くに引っ越せば良いのにと話すと,関東で育った彼女は,垂水がとっても気に入っているとのこと。そんな話をしているとき,サマセット・モームの短編「困ったときの友」に垂水の沖合の赤い灯台(ブイ)が描かれていることを思い出した。「困ったときの友」を読んだのはずっと昔だが,話の筋は覚えている。

「困ったときの友」は『コスモポリタンズ』という短編集に収められている。実は定年を機に蔵書はすべて処分した。「この本は持っておこう,この本は不要」と処分する本を選別するのは,上梓に渾身の力を込めたであろう著者に対して失礼な気がして,それならばと自分の著した本,恩師の本,友人の本を含めて研究室に置いていた本は,すべて公平に古本屋さんに引き取ってもらった。その中にモームのコスモポリタンも入っていたのだ。

今では本をすべて処分したことちょっぴり後悔している。そして恥ずかしながら,新たに購入し直した本も何冊かある。そういうわけで『コスモポリタンズ』もこれを機会に再購入した。しかし,経済学関係の書物は間違っても再購入はしないつもりだ。

龍口直太郎訳『コスモポリタンズ』(ちくま文庫)

読んでみるとやはりモームの短編は面白い。『コスモポリタンズ』には「困ったときの友」だけでなく,「審判の座」,「幸福者」,「詩人」など,お気に入りの短編がいくつも収められている。あらためて読んでも,やはりとても面白かった。モームの「ひとひねり」を楽しむことができた。

そんなわけで,時間潰しに立ち寄る本屋さんの書棚でも,ついモームに目が行ってしまう。昔読んだ『月と六ペンス』,『アシェンデン』などもつい再購入してしまった。いずれも昔読んだ中野好夫訳や河野一郎訳ではなく金原瑞人の新訳。見慣れた紺色とくすんだグリーンの表紙の文庫本ではなく,カラフルで現代的だ。とても読みやすくすべて一気に読み終えた。やはり翻訳も自分が暮らしている時代の人のものが良いのかもしれない。これは円地訳,与謝野訳などで『源氏物語』を何度も挫折したことに共通している。『源氏物語』も角田光代訳が断然読みやすく思った。角田光代さんは1967年生まれ,僕より一回り以上若い。

金原瑞人訳:新潮文庫

『月と六ペンス』は,新訳をあらためて読んで,昔読んだ時と少し感じ方が違っているように思った。全般的にはありそうもないような話(芸術の世界ではありそうなことなのかもしれないが)が書かれていて,おそらく若い時に読み面白いと思った時の僕の興味はそこにあったのだろう。

しかし今回読んで一番面白いと思ったのは(というより妙に納得した,苦笑いをしたのは),小説の最後に描かれているストリックランドが死んだ後の,元ストリックランド夫人の振る舞いに関するところだ。なるほどこれが他の短編とも共通するモームの「ひとひねり」で,実は話の真髄であり,『月と六ペンス』という題名の所以もここにあるんだなと思った。もちろんそれは僕が感じただけでそのような感じ方が正しいかどうかはわからない。

『アシェンデン』や他の短編については昔と同様楽しく読むことができた。モームの「ひとひねり」を本当に楽しむことができた。特に『アシェンデン』については大学で働いていた頃よく訪れたヨーロッパの素敵な街街を思い出しながら本当に楽しめた。金原瑞人のモームの新訳には,この他に『人間の絆』があるのだが,僕はどうしてもこの小説が好きになれなかったし,もう一度読もうとは思わないのだ。これも僕の感じ方が間違っているのかもわからないが『絆』というイメージではなく,逃れようのない人間と人間のしがらみ,文字通り縛られた人間関係(Of human bondage)という風に感じ,とてもしんどくて,気持ちよく読了したという記憶がない。それよりもこれから『お菓子とビール』,『女ごころ』などの新訳(金原訳)が出てくるのが楽しみだ。



2024年6月9日日曜日

梅雨入り前に,いつものように三人で

梅雨入りする前に,いつもの三人で会おうということになり,橋梁のT君が神戸御影界隈を散策後,灘五郷の酒蔵で食事をするというプランをアレンジしてくれた。お天気は快晴というわけではないが,強い雨が降るわけでもなし,蒸し暑いというわけでもなし,肌寒いというわけでもない過ごしやすい1日になった。

JR住吉駅で午後3時に待ち合わせ。僕は神戸在住とはいうものの六甲山の裏から近距離郊外の市バス(つまり一律210円という定額路線ではない)で30分から場合によっては40分かかるので,心理的距離は京都や大阪から来るのとそんなに変わらない。ただ楽しいことで出かけるのは,移動も楽しい。

行き当たりばったりの僕とは違って,真面目で計画性のあるT君,全行程をきちんと計画,まずは,白鶴美術館でちょうど開催されていた中国美術コレクションを鑑賞することから始めることになった。

白鶴美術館:立派な建物

中には最近知り合いのお茶の達人の影響で少しは知識がある天目茶碗もあったが,主たる展示は周の時代の青銅器。自然科学の二人は青銅器の本来の色について化学反応の観点からいろいろ類推や議論をしていたが,文系人間の僕にはちんぷんかんぷん。僕はそれより,このような建物,このようなコレクションを保有するとは,酒屋さんというのは儲かるんだなあ,とまさに三流経済学者の発想。しかし「夏,殷,周,秦」 …で始まり「宋,元,明,清,中華民国,中華人民共和」で終わる歴代の中国王朝は三人ともいまだに誦じて言えた。それを覚えたのは約60年前。前にも言ったように三人は中学・高校ともに同期だ。

T君からこの後は,御影住吉の高級住宅街を散策し,途中あるカフェでアフタヌーンティーを食べ,その後夕食は酒蔵のレストランへという予定と言われ,三人で少しずつ山を下ることにした。確かに大きなお家ばかりで圧倒される。こういうのをマンションと言うんだろうな。

大きな家で塀の中は見えない。

余談だが,日本では集合住宅,英語で言えばコンドミニアムのことをマンションと呼ぶが,実はマンションの本来の意味は大邸宅。日本でマンションを新たに購入した日本人が,それを機会に,ちょっとしたカクテルバッフェを開いて,アメリカ人の友人を招待した。バッフェもそろそろお開きといいう時,アメリカ人が一言。「ところで,新しく買ったマンションにはこれから連れて行ってくれるの?」

ちなみに和製英語にはこのような誤解が生じることが多い。たとえば中学や高校で履いていた白い体操用のパンツをトレーンングパンツの省略形とかでトレパンと言うが,英語圏の人はトレーニングパンツと言われると,子供がおむつを取るために練習するパンツを思い浮かべるから注意!話を元に戻して。途中,カフェで一休み。

晩御飯のことを心配しながらも,やっぱり食べてしまったアフタヌーンティー

途中見かけた水車

阪神魚崎駅近くの酒蔵まで,住吉川の堤防の内側にある遊歩道を散策する。どうも僕にはこの川の流れは人工的に制御されたように見え,自然の中を歩いているという感じがしない。土木の専門家や地質の専門家である二人は,しきりに「水の制御」という観点からいろんな話をしているのだが,僕には話の内容がよく理解できない。

ただ「人工的に感じる」という僕の感覚は正しいとのこと。実は,この川の上流にある渦森台の造成で出た土砂をこの川に沿って運んで降ろしたとのこと。そしてその土砂を運ぶ上り下りのトラックのための道路が,この遊歩道の起源ということだ。いつもながら,異分野の友人と話すといろんな知識を得ることができる。


この階段状の流れも何かを制御するためということだが,それが何かは忘れてしまった。

しかし,水が流れを見ていると以前作った四万十川の木版画にはあまり川の動きが無いことが気になってきた。木目だけでなく,すこし工夫が必要かな。

四万十川:虹色鯉のぼりの川渡し

歩くこと30分,灘の酒蔵に到着。立派な酒蔵だ。そう言えば城南宮の梅見の時も伏見の酒蔵のレストランだった。いつものように美味しいお酒と,料理,何よりもおしゃべりを楽しんだ。それぞれの近況報告で始まったおしゃべりで,今回は先日NHKのプロジェクトXで取り上げられた「明石海峡大橋」の話題がとても興味深かった。橋梁のT君はこの吊り橋の設計に関わった専門家。番組では取り上げられかった他の重要な問題について熱く語ってくれた。彼は橋と風の関係(自然系のことはよく理解できなくて,こんなザクッとした説明しかできなくてごめんなさい)についての専門家だ。

レストランの立派な入口

なんといってもここでしか飲めない日本酒

料理もすべて日本酒にマッチするように用意されている

地質のT君は4月後半にちょっと体調を崩したとのことであまり元気がない。今日は早めに8時ごろに終わって解散ということに。次回は明石大橋を渡って,しまなみ海道の大橋を経由して瀬戸内海を自動車で周遊しようということになった。僕の愛車はロードスター,残念ながら二人分しかシートがない。最近買い替えたカミさんのヤリスクロスを借りて行こうかと考えている。




2024年6月5日水曜日

焚き火

 火をじっと見つめていると心が穏やかになる。


有朋自遠方来不亦楽乎

(兵庫県丹波篠山市:ハイマート佐仲キャンプ場)


2024年4月28日日曜日

福田平八郎展

大阪まで福田平八郎展を見に行ってきた。 敬老優待乗車証のおかげでバス代は半額。これまでは自宅のある北区から三宮へ出るのに市バスは500円だったがそれが半額になったおかげで街に出やすくなった。敬老無料乗車証ならもっと良いのだが。

三宮から阪神電車(最近阪神電車のファン)で福島まで行くと,あとは10分ほど歩くだけで中之島美術館に到着する。橋のたもとで美術館方向を見ると炎天下長蛇の列。鑑賞意欲がそがれる中ともかく会場までと行くと,実は長蛇の列は同時開催のモネ展。福田平八郎展は行列もなくスッと入場することができた。



すべて素晴らしい作品だった。福田平八郎の絵は大分や京都の美術館でも観たことはあるが,こんなに沢山の作品を系統的に鑑賞したのは初めて。大きな刺激を受けた。物を見て描くというのは,現実をそのまま描くと言う訳ではない,自分の目と心に映ったものが反映されるように特徴的に描くということなんだと感じた。単純な図柄しか描けない自分の技量を卑下していたが,そんなことは気にせず自分自身が楽しめばそれでいいんだと納得。

もちろん福田平八郎の絵と自分の道楽を重ねるのは失礼極まりないのだが,ふとウイーンフィルのコンサートマスターが,子供に演奏を指導するというドキュメンタリー(奇跡のレッスン)を思い出した。そこでそのコンサートマスターは,演奏のテクニックのレベルに関係なく,どんな初心者でも楽譜通り演奏するということではなく表現ということが一番大切だと話していた。僕の道楽も技量はまったくダメだが,その言葉を拠り所として自分なりに続けている。滞っている新二十四節気の木版画を再開しようと大きな刺激を受けた

ところで,会場の大きな看板に福田平八郎の年譜が掲げられていた。そこに没後福田平八郎は,京都の法然院と大分の西応寺の墓に葬られているとあった。大分出身のカミさんの旧姓も同じ福田なのだが,カミさんの実家の墓も大分の西応寺にある。西応寺はごく普通の小さなお寺だ。2,3分もあれば境内をすべて見て回れるほどの広さだ。20年ほど前に墓参の時に見つけ「こんなところに福田平八郎の墓があるんだ。それとも同姓同名の別人なのかな」と思った記憶があるが,何故かそれ以降墓参りの度に探しても見つからない。福田という名のつく墓は西応寺には一つしかない。そのそのため僕の記憶違いなのかなとずっと思っていた。それが今回の福田平八郎展で見間違いでなく確かに墓があるんだと分かった。何か関係があるんだろうか。


2024年4月7日日曜日

ぼーっと生きていると危険だ!

トイレの手すりで頭をしこたま打った。手すりというか硬い金属製のハンガーのようなもの。尖った角で打ったため,少しだけだが血が出てきた。それもすぐに止まったから大丈夫だろうとたかを括っていたのだが,夜になると傷口がズキズキ痛むし,打った側の目や耳まで痛いような気がする。しかし,肩こりが原因かとも?と軽く考えていた。

僕は心臓に3つのステント(薄いネット状の金属製のパイプ)を設置してから,いわゆる「血液サラサラの薬」を20年間飲み続けている。高齢者(昨年70歳になった)で,血液サラサラの薬を服用している人は,強く頭を打てばそれがもとで硬膜下出血を発症するリスクが高いと脅かされた。それはすぐには現れず,時間が経ってから発症することが多いとのことだ。

念の為,いつもお世話になっている病院へ相談に行った。確かに僕はリスクが高いグループに入るらしい。大丈夫だとは思うが,CTスキャンで検査をすることになった。早めに兆候がみつかれば対処できるとのことだ。結果は今のところ異常無し。しかし,しばらくは用心するように言われ,「次のような兆候があればすぐに連絡を」という詳しい書類を渡された。

帰り道,病院の半地下にある駐車場で思わず満開の桜を見ることができた。ちょうど横長の映画のスクリーンに満開の桜が映っているようでとても美しかった。きっと脳は大丈夫に違いない!

銀幕に映る満開の桜





2024年3月29日金曜日

フライングお花見

昨年のお花見(こちら👉)は少し出遅れたため今年は早めに計画。メンバーはいつもの三人(地質のT君,橋梁のT君),場所は夙川。開花予想と天気予報とランチの場所の予約の可否を考えながら3月最後の平日の29日(金)に決定。まずは夙川駅でお昼前に集合,ランチを済ませた後夙川をぶらぶらしようということになった。

今回ランチはイタリアン。窓からは夙川カトリック教会が見える。なんとなくミラノの気分。

レストランの窓から:夙川カトリック教会

美味いワインでお昼からほろ酔い気分

前回からまだ一ヶ月,三人にほとんど変化なし

ランチの後,夙川沿いに香櫨園駅までブラブラ。やはり桜はまだ咲き始めたばかり,ところどころ桜の木の下で静かにお弁当を楽しむ家族を見かけるが,お花見の賑わいはまったくない。しかし考えようによれば,満開の桜のもと大勢の花見客に混じるよりも,これぐらいの方が,のんびり気持ちよく散歩を楽しめる。

チラホラというのか三分咲きというのか

近くによれば一つ一つの花は全開

人影もほとんどなく静かに桜が楽しめる

香櫨園駅でUターンし今度は苦楽園まで川沿いに遡る。たった30分ほどの間に桜は少しずつ開いているような気もするが錯覚かな?川面に近い道を歩いたが,昨日の大雨で水量が多く途中で冠水しているところもある。苦楽園で和菓子とお茶を食べながらおしゃべり。中学高校の同期の友人は気を許していろんな話をすることができる。

次回は少し足を伸ばしてしまなみ海道へ行こうかということになった。もちろん次回の主役は橋梁のT君。










2024年2月25日日曜日

知己朋友:大人の遠足2024京都編

昨年の忘年会(こちら👉)で,地質のT君が次回は春に城南宮の梅見に行こうと言った。約束通り二月中旬,地質のT君から連絡があり,時期は二月末か三月初めではどうかと。メンバーは橋梁のT君を含めいつもの三人,地下鉄(近鉄)竹田駅で待ち合わせ城南宮へ向かった。 

城南宮は訪れるのは初めて。それどころかT君に聞くまで名前も知らなかった。しかし着いてみると大変な賑わい。枝垂れ梅の庭に入るにも長い列に並ばなければならない。不謹慎だが白い着物を着た何人もの宮司さんが交通整理をしているのは少々滑稽。海外からの人たちも多い。こんなにも有名な名所だったのだと改めて実感。

庭に入ってみると見事な枝垂れ梅に圧倒される。こんなに見事な枝垂れ梅は初めて見る。ここは梅だけではなく,椿の名所でもあるようだ。椿と山茶花の違いがこれまでよくわからなかったが,橋梁のT君の理路整然とした説明に納得。これから僕はもう間違うことはないだろう。

枝垂れ梅は英語でweepingplum,確かに泣いている

幻想的な梅林に見惚れる

ちょっとやらせっぽい椿。花がみな通路側を向いている

地質 のT君(左)と橋梁のT君(右)

小一時間梅と椿を楽しんだ後,夜の会食前に伏見に場所を移し,酒蔵の界隈を散策。運河のある素敵な風景に,何度も訪れたアムステルダムやフロニンゲンの街が懐かしい。

運河沿いの大きな酒蔵

夜になっていよいよ会食。酒蔵に直結したレストラン。日本酒の酒蔵なんだが,何故か皆注文したのは地ビール。美味しい料理を堪能しながら楽しいおしゃべり。今回は,二人のT君達の専門と関係の深い能登の地震の話や,僕が最近気になっている社会的格差などちょっと真面目な話から,それぞれに縁のある大分県の美味しいお酒や醤油まで話は弾んだ。いつものことだが異分野の友人と話すことは学ぶことが多くとても勉強になる。ただ僕は少し酔っ払って,少し饒舌になってしまったようだ。近いうちの再会を約束して今日も楽しくお開き。すでに次回が楽しみだ。


お店の人に撮ってもらったが,slightly out of focus


2024年2月19日月曜日

蟹とたわむる

山陰の静かで寂しい雰囲気がとても好きだ。見慣れた瀬戸内海の海とは違う姿の日本海をみると何故かとても気持ちが落ち着く。相反するようだが,同時にこの海の少し向こうには大陸があるのだと思うとワクワクもする。

ちょっとしたことがきっかけで,香住町に一泊して蟹を食べた。蟹を食べるのは数年前地質のT君の紹介で出かけた京都の網野町の料理旅館以来だ。今回も蟹と地酒の日本酒を堪能した。

りっぱな蟹

ところで,香住町から少し西へ足を延ばせば,山陰線の余部鉄橋がある。中学生になった初めての夏休み,学校の海浜学校で餘部の鉄橋を通ってその先の諸寄まで行った。海浜学校の旅程表を学校でもらってきたとき,それをみながら,父が日本で一番高い餘部鉄橋を通ること教えてくれたことを覚えている。

昔の鉄橋の橋脚

とても高いコンクリートの橋

諸寄の海浜学校で,以前話した同級生のH君と二人が写った写真がある。とても小さな僕と比べて,その当時からH君はひと回り大きく堂々としている(H君のことについてはこちら👉)。そんなことを考えていると,当時がとても懐かしくなり余部まで行った。

橋はコンクリート製の構造物にに変わり,もはや鉄橋では無くなっていたが,鉄製の橋脚がそのまま残されている。橋は相変わらず,とても高くここを列車が通るのかと思うと少し不安になる程だ。事実,30年以上も前に強風で列車が転落し,橋の下の蟹工場を直撃した。列車の車掌さんと,蟹工場で働いていた何の落ち度もない女性達が大勢亡くなった。

蟹は食べると旨いことは確かだが,この事故の記憶や小林多喜二の『蟹工船』を読んだ記憶が,「蟹→山陰→寂しい」とい連鎖が,最初に述べた「山陰の静かで寂しい雰囲気」という僕の感覚に大いに影響しているのだろう。春になればまた一人ロードスターで,鳥取や島根など山陰を巡ろうと思っている。

新二十四節気・冬至

今週末の土曜日(12月21日)は冬至。北半球では一年で夜が一番長い日だ。ただし日の入りが一番早いわけでも無いし,日の出が一番遅いわけでもない。日の入りから日の出までの時間が一番長いというだけだ。実は,日が暮れるのが一番早い日は冬至より少し前,日の出が一番遅いのは冬至より少し後にな...