2025年8月31日日曜日

百人一首シリーズ(その2)

今日で8月も終わり明日から9月。しかし依然として猛暑。このまま秋は来ずに地球は終わるのでは無いかと心配になるほどだ。百人一首から秋の二首。

わが庵は都の辰巳しかぞすむ世を宇治山とひとはいうなり (喜撰法師)

大学退職後ご街の北西の山里で,たまに子育て支援のお手伝いをしながら,趣味や道楽を楽しみのんびり暮らしている僕にはとても共感する歌だ。たいした仕事をしたわけではないが,親からもらった才能から見れば十分お釣りが出るほどの仕事はできたと思っている。きっとこの生活の心地よさは,ちまたの多くの大学教授たちには理解できないだろう😆。ちなみに「しかぞすむ」はしっかりと暮らしているという意味で「鹿」ではないが,山奥の鹿を連想させる効果をねらっているらしい。自分には何となく晩秋を感じさせる歌だが、その確証はない。

わが庵は都の辰巳

もう一つ秋の歌。これはもう光景そのまま。花札の鹿が頭にすぐ浮かぶ。

奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき (猿丸大夫)

奥山に紅葉踏みわけ



百人一首シリーズ(その1)

子供のころ家族で百人一首のかるた取りをするのが我が家の正月の慣行だった。犬棒カルタはほとんど覚えていて子供の中では連戦連勝だったが,百人一首に関しては歌の意味もわからないので大人のなかでたった一枚の札を取るのも至難の技だった。とにかく一枚でも多く覚えて,一枚でも多く札を取ろうと,まずは五十音順に「あ」で始まるものから一つずつ覚えていった。それ故,今でも覚えていて直ぐに口に出るものは「あ」ではじまるものがほとんどだ。

  • あわじしま かよふちどりの なくこえに いくよねざめぬ すまのせきもり
  • あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも
  • あまつかぜ くものかよいじ ふきとじよ おとめのすがた しばしとどめむ
  • あきのたの かりほのいおのとまをあらみ わがころもでは つゆにぬれつつ
  • あきかぜに たなびくくもの たえまより もれいずるつきの かげのさやけさ

しかし単に覚えることは実践的には大きな意味を持つわけではないことはすぐに判明した。つまり「取り札」には下の句しか記されておらず,50音順に「上の句」を覚えていっても,「下の句」はそれに対応して順序よく並べられているわけでは無い。

ところで上記の和歌はすべてその光景が容易に目に浮かぶ。しかし「取り札」には下の句がひらがなで書かれているだけで,絵はまったく描かれていない。これが子供にとって高いハードルとなっているのだ。そこで,百人一首の取り札を,和歌から浮かぶ光景の絵で作ってみようと考えた。ちょうど5個作った時点で一旦公開,いろんな人からのコメントを参考により良いものにしていこうと考えている。サイズはカルタと同じ5.2センチ×7.3センチ,小さいものだ。

まずは持統天皇。

春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香山

これは大いに勘違いしていた和歌。春が過ぎて暑い夏の日,天香山に天女が舞い降り,あまりの暑さに山の中の泉で水浴をした後、濡れた衣を乾かしているという,西洋絵画の絵にあるような光景を思い浮かべていた。しかし,まったく違って淡々と目の前の光景を見て,何事もなく季節が移ろいでいくこと詠んだ素敵な歌だった。

春過ぎて夏来にけらし

次に権中納言匡房。子供の頃,加古川という兵庫県の南西部の大きな川のそばの町に住んでいた。加古川は高砂で瀬戸内海に注ぐ。確か河口近くにあった相生橋を渡れば高砂だったと思う。神戸と姫路の間瀬戸内海沿岸部を走る山陽電車で,姫路から神戸に向かって「高砂」駅の次の駅は,加古川を渡って「尾上の松」駅。そのため

高砂の 尾の上の桜 咲きにけり 外山の霞 たたずもあらなむ

を初めて聞いた時,当然頭に浮かんだのは高砂と尾上という地名。どうして高砂や尾上の松から富山の山に霞がかかっているのが見えるのかと疑問に思っていた。これも全くの誤解。高砂は地名ではなく,砂が高く積もった山,すなわちこれが遠くの山なのだ。尾上も地名ではなく尾根に近い山の上の方という意味。そして何よりも富山ではなく外山は遠くではなく近くの里山。つまり遠くの山の上に桜が咲いている。どうか近くの山から霞が立ち,それがみえなくならないように,という歌。版画の手前の松の木は,その誤解の名残,尾上の松。

高砂の尾の上の桜

3番目は源兼昌。淡路島は神戸から目と鼻の先にあるが,明石海峡に橋が架かるまではなかなか行くことがなかった島だ。最初に行ったのは中学二年の海浜学校。洲本の海岸で泳いだ記憶がある。2回目は高校一年の夏休み,畏友と二人で淡路島から四国にかけての自転車旅行。明石からボート(小さな海峡連絡船)に乗っていった。楽しい旅だった。

淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に いく夜寝覚めぬ 須磨の関守

実は最初に覚えたのはこの歌。淡路島という固有名詞から具体的なイメージがすぐに浮かんだんだろう。今でこそ京都から須磨までは1時間ほどで行けるが,当時はきっと京都から見れば遠く離れた辺境地だったはずだ。つまり辺境の地須磨で,夜中に淡路島から通ってくる(図柄では淡路島に向かっているように見える。実は淡路島から須磨に向かってくる千鳥を須磨側から描くのはとても難しい)千鳥の鳴き声に何回も目が醒めるという寂寥たる思いを詠んだ歌。僕からみれば,都会の喧騒から遠く離れて静かに過ごすことは,むしろ望むべきことなんだが。


淡路島かよふ千鳥の






2025年8月14日木曜日

平家物語

ずっと前に,平家物語の最初のくだりから「祇園精舎」,「盛者必衰」という二つの判子(篆刻)を作ったことがある。今回それらに「諸行無常」,「沙羅双樹」を加えてとりあえず最初のくだりにある四文字熟語はすべて揃った。

祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり

娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす

せっかくだから,琵琶の版画を作成し,そろった四つの篆刻をそれに添えた。平家物語も一郎刻も版画で作成。筆で書くと下手くそな字も版画にすればなんとなくそれらしい。名前の下の落款は「一老山人」,自分でつくった雅号だ。一郎の「郎」の代わりに老人の「老」としている。字はなんとなく斉白石スタイル。写真は版画作成のモデルとした実際の琵琶。




夏盛り

遅ればせながら夏の花の版画を二つ。一つはもう時期は過ぎたが7月に満開だった紫陽花。もう一つは我が家にはない朝顔。朝顔は子供の頃庭にあったものを思い出しながら描いた。相変わらず写生ができないので,なんとなく紫陽花らしい,朝顔らしいというだけもの。どちらも小さい額にいれて,夏らしさを楽しんでいる。

朝顔(約7センチ×5センチ)

紫陽花(約5センチ×5センチ)


2025年7月30日水曜日

一休み

7月末長野県小谷村の雨飾荘に滞在し,山歩き,温泉,蕎麦を堪能しました。行きは北陸道経由,帰りは中央道経由で神戸を起点にぐるっと一周した感じです。

モモ(柴犬)がいたころ(私は50歳代)毎年夏は平川の畔のバンガローで過ごしたました。今回久しぶりにその辺りに行きましたが,バンガローはまだ残っていたものの辺りは開発が進み,すっかり変わっていました。

日中は信州もやっぱり暑かった。しかし朝夕は涼しく,少々疲れていた精神を休めることができました。夜空は澄み,ちょうど北西から南東へなんともいえない心地よいスピードで飛んでいく国際中ステーション(日本の実験ユニット「キボウ」)を肉眼ではっきり確認することができました。

やはり豊かに生きるためには,たまにはこういった非日常の体験が必要ですね。

白馬三山を望む

小谷の黄昏

山麓の池

山道から遥か日本海を望む

熊鈴をつけてのハイキング




2025年6月19日木曜日

朋有り遠方より来たる (その2)

 子曰く

学びて時にこれを習う

亦説こばしからずや

朋有り遠方より来たる

亦楽しからずや


イタリアのウルビーノ(世界遺産)にあるウルビーノ大学の学長Giorgio Calcagnini(ジョルジョ・カルカニーニ)さんから突然「日本に行くので会いたい」との連絡があった。ところで日曜日に中高の友人と会食(カジュアルフレンチ)したばかり,月曜日と水曜日,木曜日,金曜日は既に詰まっており,空いているのは火曜日だけ。せっかく日本に来たのだから,珍しい体験をしてもらいたいと,鴨川の納涼床に招待することにした。日曜日に会食した中高の友人に紹介してもらった京都のとある料理旅館を予約した。

一日一グループだけの完全予約のお店にもかかわらず,突然の予約を受け入れてくださり大感謝。本当に申し訳ない。しかし本当に有難い。女将をはじめとするすべてのスタッフの完璧のホスピタリティーで,カルカニーニさんたちは特別の体験を大いに楽しむことができたと思う。

カルカニーニ学長とムッソ教授



カルカニーニ学長と私


宴の後,若女将に感謝

2019年に引退してまるまる6年になる。すっかり経済学は忘れてしまったが,いまだにこのように気にかけてくれる友人がたくさんいることには心から感謝している。ちなみにカルカニーニさんに限らず僕が研究上深く関わり親しく付き合った人の多くは,その後大学の学長など偉くなるという法則がある(笑)。事実オランダ・フローニゲン大学の元学長も香港中文大学の元学長も共著者だし,フィラデルフィア時代の友人は帰国後小さな私立大学の学長になった。学長になりたくてなりたくて仕方がなかったのに,なれなかった日本の大先生の方々,ごめんね😆。

ローマ・ワークショップの宣伝ポスター

こんなことを書いていると,長らく会っていないラウ先生とも会いたくなった。香港で中華料理を食べるか,あるいはまた神戸でスキヤキを喰らうかしよう!

2025年6月5日木曜日

ロードスター,ラストラン

ロードスターを息子に譲ることにした。6月1日の日曜日がラストラン,遠く離れた息子の家まで運転して行った。朝出発して夕方到着,無事にロードスターを届けることができた。

途中のサービスエリアにて

このロードスターで,信州,九州,四国,東北などいろんな所へ行った。年に2回の和歌山までの墓参り,週に一度の山越えの道を通って食パンと和菓子の買い出しと,まさに相棒と言う言葉がピッタリの車だった。

ガレージのいつもの場所にもう無いのは少し寂しいが,他人に渡ったわけではない。息子のところにあるのだから安心だ。単なる移動手段ではない特別の車として息子家族に潤いを与えてくれるだろう。

これからはカミさんと一台の車を共用することになる。これまでのように,いつでも自由に使うと言うわけにはいかないが,だんだん増えてきたキャンプギアを積み込むにはロードスターよりも便利になる。

ロードスターキャンプ

ロードスター・魅惑の小容量トランクルーム


ロードスターの記録



2025年5月20日火曜日

生誕150年記念「上村松園」

クラリネットの調整のため大阪の楽器工房まで行った。工房に楽器を預けた後,中之島美術館に立ち寄り,日本画の展覧会「生誕150年記念上村松園」を楽しんだ。

入り口の看板(左が「待月」)

受付の上の垂れ幕

上村松園といえば「序の舞」だが,僕が一番気に入ったのは入り口の看板(上の写真)にも用いられている「待月」。実はこの絵には月は描かれていない。看板にする時に端折ったのではなく,本物にも月は描かれていない。なるほど!月をテーマにしていても月を描く必要はないのだ!月は描かれていなくてもまさに「待月」。なぜかとても腑に落ちた。

「待月」以外も,すべての作品の色合いの優しさが素晴らしい。それぞれの絵の中で美人は考え抜かれた絶妙のバランスの位置に置かれている。絵の下絵や縮図帳なども展示されていて,手を抜くことのないプロの姿勢に感銘を受けた。展覧会へ行くと発見が多い。良いものを観ると感銘を受けるだけでなく,とても勉強になる。




2025年5月9日金曜日

パウル・クレー展

兵庫県立美術館のパウル・クレー展を観に行ってきた。パウル・クレーを観るのはこれが2回目。1回目はずいぶん前になるが,ベルン(スイス)のパウル・クレーセンターだった。チューリッヒ工科大学(ETH)での報告が終わった後、少し足を延ばして ベルンまで出かけた。チューリッヒからベルンまでは列車で一時間あまりだ。

県立美術館・会場入り口の看板

パウル・クレーセンターはとてつもなく大きかった。たくさんの作品を鑑賞した。どれもとても素晴らしく印象的だった。体調が悪く,出国時からずっとしんどい出張だったが、のんびり作品を鑑賞していると幾分かましになった。すっかりファンになり,帰国後しばらくして本を購入したぐらいだ。

パウルクレーセンター (ベルン)


パウルクレー『造形思考』(ちくま学芸文庫)

今回,素人の戯れとはいえ,木版画を楽しむようになったためか,パウル・クレー展は,ただ作品を楽しむだけでなく,とても勉強にもなった。もちろんパウル・クレーは僕とは遠く離れた別世界の大芸術家なんだが,彼の言っていることには素人の僕でも共感するものがとても多い。作品はすべて素晴らしかった。


六甲山ハイキング

連休中,六甲山へハイキングに出かけた。出かけたと言っても六甲山は近所。洞川湖から森林植物園,山田道を経て谷上駅までぶらりぶらりと歩いただけだが,コースは六甲山のメインコースから離れていているので人も少なく良い気分転換になった。

洞川湖

山田道

山田道

山田道丸山川

神戸には,街からちょっと離れたところにこんな素敵なところがある。裏六甲には気分転換にもってこいの場所がたくさんある。

2025年4月28日月曜日

バースデーカード

子どもたちのお誕生日会のために,木版画でバースデー・カードを作成した。

バースデーケーキという子供らしい図案のカードだが,お誕生日の嬉しさや楽しさを表すために,ちょっとシャガール風にケーキの周りを舞う子どもたちを描いてみた。

バースデーカード:シャガール風


2025年4月22日火曜日

静けさを求めて琵琶湖畔へ

冬に購入した新しいテントの試し張りを兼ねて琵琶湖畔でデイキャンプを楽しんだ。天候は曇りだったが春の快適な気温。美味しいコーヒーを飲みながら湖と比叡山を眺め,静かな時間を過ごし,すっかりリフレッシュすることができた。

今回は,夕方から天候が崩れるという天気予報のため,早めにテントを撤収。新しいテントは,一辺が2メートル80センチの正方形でゆったりしている。張り方のコツもわかったので,次回はゆっくりオーバーナイトのキャンプを楽しもう。ゆっくり眠れそうだ。

新しいテントTC280

コーヒーを楽しむ




2025年4月19日土曜日

新二十四節気:穀雨

明日4月20日は穀雨。春の終わりを告げる時期だ。あと二週間すれば立夏,夏が始まる。一昨年の立夏「絵に描いた柏餅」から始めた新二十四節気の木版画シリーズも今回が最後。途中中断したが,昨年末の「力作のない木版画展」(こちら👉)を機に再開しやっと完成した。これでひと段落。一息ついてから新しいことに挑戦しよう。

穀雨のテーマは筍。非現実的だが,筍をブルーにすることで雨後の竹林に筍が生えている雰囲気を出してみた。篆刻は今回新しく楕円形のものを朱文で作成した。丸い石は真っ直ぐ垂直に押印するのは至難の業だ。

竹林の筍


最近,必ずしも対象物の現実の色ではなくても,雰囲気を表すにふさわしい色ならばどんな色でも良いのではないかという気がしている。以前の「異邦人」でも黄色い空に白い太陽でアルジェリアの日がジリジリと照りつける暑い日を表してみた。


異邦人よりアルジェリアの太陽

ブルーと深いグリーンで冷んやりした竹林の中を表したのだが,どことなく福田平八郎風だ。昨年作品を直に鑑賞してからすっかり福田平八郎のファンになってしまった(こちら👉)

2025年4月15日火曜日

Also Sprach Xaver (フランシスコ・ザビエルはかく語りき)

「赤いコートを着た女」の構図がとても気に入って,同じような大きさの,同じような構図の木版画を作りたくなった。ふと思い浮かんだのが大分駅にあるフランシスコザビエル像。明示的に手を描かなかった「赤いコートを着た女」に対して,フランシスコザビエルは大きく手を広げている。それを特徴として木版画を作った。ただし実際の銅像の頭は傾いてはいない。

大分駅のザビエル像

自作のザビエル

例によって,版画は5センチ×7センチぐらいのとても小さいもの。写真の背景のLPレコードはカール・リヒター指揮/ミュンヘンバッハ管弦楽団 :ヘンデル オラトリオ「メサイヤ」-ドイツ語版-(全曲)。

両手を広げたザビエルの姿は,僕にはどうしても次のように見えてしまう。ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき(Also Sprach Zarathustra)』風に言えば,
Also Sprach Xaver:

Fängt es an zu regnen?

それとも,何かを尋ねられて両手を広げ「私にはわからない」と答えているようにも見える。この発想,中学高校とカトリック系の学校に通ったにもかかわらず不謹慎極まりない。

 

2025年4月11日金曜日

小さな額:サボテンの花

再び小さな正方形の額。今回はサボテンの花。サボテンは棘が多くて厳ついイメージだが,実は花言葉は「熱烈な愛」ということだ。ずっと昔から(子供の頃からあったように思うが,思い違いかもわからない)放ったらかしにしているがいまだに元気な鉢植えのサボテンをお手本に木版画を作成した。写生は得意でないから,棘がたくさんあり赤い綺麗な花がさくという特徴だけを描いた。棘はいろいろ試してみたが,大きさや太さをそろえて綺麗に彫るより,適当に彫ったほうが棘らしく見える。結局最初に乱雑に彫ったものを採用した。

サボテンの花

鉢植えのサボテン


2025年4月6日日曜日

知己朋友:大人の遠足篠山編

清明の版画(花見団子)で予告したとおり,今日中学高校の友人三人と丹波篠山まで花見に出かけた。しかし山間の篠山はまだ七分咲。満開には少し早かったようだ。3年前に始まった花見の会,一年目は少し遅くて桜はほとんど散ってしまい,遅咲きの御室桜(👉こちら)に滑り込み,二年目の夙川(👉こちら)は,前年の失敗を踏まえて早めに計画したがあいにく桜は三分咲。なかなか満開の桜には巡り合わないが,出遅れ→三分咲→七分咲と日程は確実に満開に収束している。来年はきっとどこかで満開の桜に出会うだろう。

七分咲の桜:篠山城跡

七分咲の桜:篠山城跡

桜は満開ではなかったが,素敵な食事を楽しむことができた。篠山に行くのは初めて,どこで食事をすれば良いかもまったくわからない。そこで児童館でいつも大変お世話になっているK先生に相談したところとても素敵な古民家レストランを教えていただいた。地元の食材を使ったとても美味しい料理を堪能した。自動車で行ったため,残念ながらお酒は抜き,まあ昼間だから仕方がない。しかしお酒なしでも十分以上に食事を楽しむことができた。K先生ありがとう!

外から見るとレストランとは思えない素敵な古民家

地元の食材を使った前菜

これまた地元の自然薯のとろろ

K先生推薦の地鶏料理

すべて美味。古民家の雰囲気もあって,おしゃべりと料理を堪能することができた。シーズンを改めてまた来たいと思う素敵なところだった。デザートも終わり三人で記念撮影。今年も元気に春を迎えることができた。

たとえ偽りの春だろうと,春が訪れさえすれば,楽しいことばかりだった。問題があるとすれば,どこですごすのが一番楽しいか,という点に尽きただろう。一日を台無しにしてしまうのは人との付き合いに限られたから,面会の約束さえせずにすめば,日ごとの楽しさは無限だった。春そのものとおなじくらい楽しいごく少数の人たちを除けば,幸福の足を引っ張るのはきまって人間たちだったのである。 

 

ヘミングウェイ/高見浩訳「偽りの春」,『移動祝祭日』(新潮文庫)所収



当たり前だ皆同い年。
同じ中学高校に通ったのは50年以上前





2025年4月3日木曜日

新二十四節気:清明

 明日4月4日は清明。桜はまだ五分咲き。日曜日には,いつもの中高の友人三人と花見に行くつもりだが天気予報では雨とのこと。まあ美味いものを食って,おしゃべりを楽しむことにしよう。というわけで「清明」の版画は花見団子(三色団子)。そう言えば昔「黒猫のタンゴ」という歌があった。

黒猫の花見団子


2025年3月23日日曜日

小さな額:コーヒーポット

再び小さな正方形の額。今回はコーヒーポット。昔使っていた,木の取っ手のあるコーヒーポットの版画を入れた。このポットでお湯を沸かし,下に散らばっている豆を挽いてドリッパーでカップに濾過して飲むのが正しいが,そのプロセスを適当に省略して,そう言う日常を単純化して描いたわけだ。何せ5センチ四方足らずの小さな絵だから省略は必須。「赤ワイン」,「赤いコートの女」と鮮やかな色合いが続いたから今回はおとなし目の色合いにした。


コーヒーポットとコーヒーカップ




2025年3月19日水曜日

新二十四節気:春分

明日3月20日は春分。科学的には昼の長さと夜の長さが等しくなる日だが,漢字の意味するところは,立春(春の始まり)と立夏(夏の始まり)のちょうど中間点。つまり春真っ只中なんだが,実は瀬戸内海に面した温暖な地域であるここ神戸でも昨日は雪が降った。今はお彼岸の期間,明日春分はその中日にあたる。そこで季節の版画は,「ぼた餅」にした。添えた言葉は「棚からぼた餅」ではなく絵そのもの「箱からぼた餅。」なんの意味もない見たそのまま。

餡子ときな粉のぼた餅

子供の頃は,これを「ぼた餅」ではなく「おはぎ」と呼んでいた。「おはぎ」は秋分に食べる「ぼた餅」で,「ぼた餅」は春分に食べる「おはぎ」ということだ。つまり,物理的には両者はまったく等しいものらしい。

明日は京都に住む息子家族と一緒に和歌山までお墓参りにいくつもりだ。お天気は回復するようだ。阪神高速湾岸線を利用して自動車で行くのだが,関西国際空港を右手に見ながら,阪和自動車道へ分岐するあたりでとても懐かしい気持ちになる。「この道はいつか来た道」,現役時代の出張はいつも早朝三宮から関空行きのリムジンバスだった。

2025年3月6日木曜日

赤いコートの女

2018年10月,定年退職の半年前,初めて壬生狂言なるものを観た。初めはちょっとした時間つぶしのつもりだった。ちょうどその日の夜,京都で,オランダから来た旧友と共同研究の打ち合わせをすることになっていたからだ。そのころ旧友はオランダの古い国立大学の学長(Rector)をしていたため,昼間は表敬訪問や大学間協定の会議など研究以外の公務で忙しい。夜しか研究の打ち合わせの時間が取れなかったのだ。忙しい中,彼はいつも時間を作って共同研究を続けてくれた。

壬生狂言は午後1時半ごろ始まり日が沈む頃まで続く。先に言った様に少しだけ観て街中へ行き,お気に入りの寺町通りなどをぶらぶらしようと考えていた。しかし意外に面白くて引き込まれ,最後まで存分に楽しむことができた。

壬生寺

ところで席はすべて自由席なんだが,ちょうど僕の斜め左前の席に赤いコートを着た一人の若い女性が座っていた。満席だったが,何故かその人は誰かを待っている様で,なかなか狂言に集中できない様子だった。とても魅惑的な香水の香りが微かにしていたこともあり,その様子がとても気になった。最後の演目が始まる直前,辺りが暗くなるころ,初老の男性が現れ,中座した観客がいたため空いていたその女性の隣に座った。
「ごめん,ごめん。なかなか仕事の区切りがつかなくて」
「先生,お忙しいのだったら言ってくださったらよかったですのに」
二人ともとても落ち着いたやさしい声で話していた。僕とほぼ同年輩の男性は,きっと僕と同じ職業なんだろう。素敵な香水の香りとともに印象に残っているこの情景を「赤いコートの女」と題し,ちょっとモディリアーニ風の木版画にした。サイズは「赤ワイン」と同じ小さなもの。バックはマイルスデービスのスケッチオブスペイン。情熱の国スペインだが,他意は無い。



赤いコートの女:モディリアーニ風

赤いコートの女:モディリアーニ風




百人一首シリーズ(その2)

今日で8月も終わり明日から9月。しかし依然として猛暑。このまま秋は来ずに地球は終わるのでは無いかと心配になるほどだ。百人一首から秋の二首。 わが庵は都の辰巳しかぞすむ世を宇治山とひとはいうなり (喜撰法師) 大学退職後ご街の北西の山里で,たまに子育て支援のお手伝いをしながら,趣味...