教養課程で選択した第二語学はフランス語だった。しかし第一回目のフランス語の授業で聞いたフランス語は,僕がそれまで映画などで聞いて憧れていたフランス語とは似ても似つかないものだった。正確に言えば,耳に心地良く響かなかった。瞬時にしてそれを習う意欲を無くしてしまった。そのため大学院の入学試験の第二語学はフランス語では無く,独学で学んだドイツ語だ。正真正銘の独語だ(笑)。
あくまで私見だが,語学はやはり「読む」,「書く」,「話す」がバランスしていなければ身についているわけではないと思う。時々「読んだり,書いたりはできるが,話したり聞いたりはできない」という人がいるが,おそらくその人は,実は読んだり,書いたりもきちんとできていないんだと思う。「読み書き」ができて,はじめて話せるし,話せてはじめて「読み書き」ができるんだと思う。
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二ヶ月間の入院中に再学習したドイツ語の教科書とノート |
独学で始めたドイツ語もやはり独学は難しく,定評あるSchulz-Griesbach, Deutsche Sprachelehre für Ausländer を教科書として,J心のルカルツ神父に習うことにした。キチンとした発音で教えてもらうと習う意欲も出てくる。ルカルツ神父の話すドイツ語は耳に心地よかった。思い起こせば生まれて初めての外国語である英語を習ったのもJ心の神父さん達だ。ドイツ語もまず話すこと,聞くことからスタートした。
僕は西欧言語の本物の発音ができる人から語学を習うという当たり前のことに慣れてしまっていたのだ。だから日本人の大先生が教えてくれる教養課程の初めてのフランス語の授業には馴染めなかったのだと思う。
実を言えばフランス語やフランス語の先生に罪があるわけではない。馴染めなかったのはフランス語だけではない。明確な目的意識のないまま大学に入学した僕にとって,大学で提供されるすべての科目にあまり興味が持てなかったのだ(👉こちら)。
一応文法の基礎を終え,ドイツ語が自然に耳に響くようになった後,大学院の入学試験に備えて独文解釈の教科書を一人で勉強した。ドイツ語そのものより例文として揚げられている文章の内容が興味深く,しばしドイツ語を離れて楽しむことができた。それらは経営学部で提供される簿記や会計という科目よりずっと格調高く学問の香りがするように感じた。
受験に必要だったドイツ語は,その後20年間,仕事(計量経済学)で使う機会はまったくなかった。そのため,すっかり忘れてしまっていたが,1998年半年間のマールブルグ滞在で再びドイツ語に興味が湧いた。正確には必要に迫られたと言って良い。講義はドイツ語ではなく英語でよかったが(英語で講義するのも死ぬほど大変だったが),カフェでのコーヒーやケーキの注文,お肉屋さんでのハムやソーセージの注文にはやはりある程度のドイツ語が必要だった。
ドイツの生活の中では,かつて教科書で習ったそのままのドイツ語,例えばDas gehört nicht mir.(それは僕のものではない)や,Immer geradeaus!(ずーっとまっすぐ) ,Es kommt gleich(すぐに来る)をさまざまな場面でしばしば耳にした。ドイツ語を聞き取れたことが嬉しくて,すぐに場所を変えて自分でも使ってみたりした。一度使えばそれは必ず身についた。このように半年間の滞在中ドイツ語をちょっぴり楽しめたのも,帰国後再びドイツ語の勉強を始めた理由である。
幸運なことに,僕が勤めていたKB大学の経営学部にはドイツ語が堪能な先生が何人もおられた。黎明期の経営学はドイツからの輸入学問だったからドイツ語が欠かせなかったのだろう。事実多くの先生方の留学先はドイツだった。中でも国際会計が専門のK教授のドイツ語はほとんどネイティヴ,本物のドイツ語だった。そんな訳で僕のドイツ語学習の環境は極めて良かった。
K教授の奥様はドイツ人で,定年退職後は日本を離れ奥様と二人ベルリーンに住まわれていた。先生は「妻は異国の地で長い間苦労したから,次は自分が異国で苦労する番だ」と言われていた。先生はドイツから日本に来られたら必ず連絡をくださり,拙宅に泊まっていかれたこともある。残念ながらK教授は僕が定年退職する直前にベルリンで亡くなられた。専門分野は全く違ったが,先生には学部学生であった時以来ずっとドイツ語を通して親しくしていただいた。
このようにドイツ語は僕の生活とは切り離せない大切なものになった。まったく上達しないが,いまでもNHK(エヌ・ハー・カー)のラジオ講座「まいにちドイツ語」は続けている。ドイツ語は僕にとって仕事上必要というものでも無いし,生活のために必要というものでもない。この「実践的合目的性」を持たないところが,天邪鬼な僕の「性分」にマッチし,ドイツ語を学び続ける大きな原動力になっている。もちろん,それが上達を妨げている大きな要因なのは間違いないのだが。
これからの人生でドイツ語を使うことはおそらく無いだろう。
春愁やドイツは遠くなりにけり。
しかし,「いつまで経っても入門レベル」のドイツ語の学習はこれからも続けるつもりだ。Man lernt nie aus!
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ラジオ講座のテキスト |